ついに発見!信太山ゴルフリンクス
その「意外なところ」とは、大阪市立公文書館でした。
公文書とくれば、読むだけで蕁麻疹が出てきそうな堅苦しい文章と数字の行列。私も出来ることなら避けたいほどの、堅苦しいお役人作文の羅列です。
しかし、だからこそ見逃していました。
公文書館には、太平洋戦争真っ只中の昭和17年(時期は不明)、大阪市が撮影した航空写真が「公文書」として保管されていました。
なんや航空写真やんと思うべからず。戦前の、それも戦争中の航空写真は超がつくほど貴重です。その証拠に、この航空写真は大阪市指定文化財に登録されています。
論文ではちょいちょい引用されていたので、存在自体は知っていたのですが、眼の前に現れた膨大な写真を目にした時、身震いが止まりませんでした。
こんな宝の山を目の前にして、ただ見てるだけじゃつまらない。目的を伝え複写申請し、ネタになりそうな箇所をすべて「セルフサービススマホコピー」させていただきました。「後でネタや資料になりそうなところ」だけでもその量たるや膨大、開館から閉館まで丸一日費やしたほどでした。
(昭和17年大阪市撮影航空写真)
その中には、何故か泉北郡伯太村(今の和泉市伯太町)の写真も残っていました。写真で黒塗りされているところがありますが、そこは当時の野砲兵第四聯隊、今の陸自信太山駐屯地です。時代が時代なので、軍事施設は検閲により黒塗りされてしまうのです。
その右側に、何やらゴルフ場らしきものが…。
そこの部分をアップしてみると、明らかにゴルフ場らしき形が!バンカーらしきものもくっきり見えます。郷土史に記載の、「野砲兵第四聯隊の横」というのは、ある意味正解だったのです。
しかし、写っているのは一部のみ。ゴルフ場は写真の下も続いている予感。ここまで来たら全景カモーン!
…と言いたいのですが、実はここが撮影範囲の南限。せっかく幻のゴルフ場の全容の尻尾をつかんだのに…非常に歯がゆい気分だけれども、「大阪市の航空写真」なのだから仕方ない。一部でも写真として残っていたことを、神様に感謝しましょう。
それにしても、野砲兵第四聯隊のすぐ隣にあったことを確認した時、思ったことがあります。
よくこんなところにゴルフコースを作ったな…
”こんなところ”とは、信太山という地理的環境ではありません。「陸軍聯隊のすぐ隣」という意味です。
阿川弘之のエッセイに、こんなエピソードが書かれています。
阿川が旧制広島高等学校生の頃、軍事訓練で当時広島に一つだけあったゴルフ場を通過しました。その時、引率の配属将校が言いました。
諸君も、こういうところでゴルフをやれるほどの人物になれ
一見、激励に思えるこの言葉、阿川によると明らかな嫌味だったらしく、
ゴルフなんかにうつつを抜かしていたら、もう一回二・二六事件を起こして貴様ら愚民どもを締め付けてやるぞ!!
と言いたげであったそうです。
ゴルフ大好き軍人が多かった海軍に比べ、 陸軍は「ブルジョアの道楽」とゴルフを目の敵にしておりゴルフを嗜む人はほぼ皆無。そんな陸軍からすると、「目の上のなんとか」を真横に作られたようなもの。よく許可したなと。
信太山ゴルフリンクスがあっけなく消えた理由はもしかして、陸軍聯隊の横にあったということも一因としてあったのかもしれません。
戦争だお国のためだと猛訓練にいそしんでいる横で、
ナイスショット!
なんてやられたら、軍隊としては目も当てられないですしね…(笑
コメント
米澤様
いつも楽しく読ませていただいています(阪和線沿線住民ですので)。
信太山の会員名簿二枚目の、一番右の「渡辺節」氏は、住所もダイビルですし、直感で申し訳ありませんが、それこそ「大阪ビルディング(ダイビル)」、「神戸大阪商船ビル(商船三井ビル)」や、「綿業会館」の設計者である「渡辺節」氏ではないかと。
確かにウィキには載っておりません。
貴殿のエッセイに直接関係しないかもしれませんが、なんとなく気になりましたのでコメントさせていただきました。ご笑覧ください。
>竹内修さま
はじめまして、拙ブログをご覧いただきありがとうございます。
>信太山の会員名簿二枚目の、一番右の「渡辺節」氏は、住所もダイビルですし、直感で申し訳ありませんが、それこそ「大阪ビルディング(ダイビル)」、「神戸大阪商船ビル(商船三井ビル)」や、「綿業会館」の設計者である「渡辺節」氏ではないかと。
なるほど、その可能性は大ですね。新しいネタが出来るかもしれないのでちょっと調べてみます。ご指摘ありがとうございました。
ウチの母親は子供の頃『藤沢の別荘地』と呼んでいたそうで、今も残ってると思いますが、野外活動センター内にあるんやと思いますが、プールがあってそこを『藤沢のプール』と読んでいたそうで夏になると入りに行っていたんだとか。長らくプールもやってないようで、自分が子供の頃に30年位前で既にプールもやってなかったので、いわゆる『廃プール』となっているようです。
母親が言うには「昔はあそこは別荘地やって、金持ちの別荘がめっちゃ建ってたんやで」って言ってました。
>信太山には「ノドカワイーター」という魔物が棲んでいます。信太山を登る人間から水分を奪い取る、怖い魔物です。
なんか、日曜日の朝8時半からやっている某幼女(と大きなお友達)向け番組に出てくる敵の怪物みたいですね・・・ああ、そういえばその番組の過去のシリーズに阪和沿線(というよりも水間鉄道沿線)出身者がヒロインのひとりを演じていましたね。
いつも楽しく拝読しています。
私が通う某ハム大学にてこの地域の研究を行うことから「黒鳥郷土史」という資料が手元にあるのですが、そこに信太山ゴルフ場についての記述がありました(以下要約)。
信太山地域の開発事業として、阪和電鉄と結びつきの強かった藤沢樟脳及び南組による住宅地及びゴルフ場開設があった。阪和電鉄は現在の山荘町から高津池、旧伯太藩屋敷跡(丸笠神社)までの台地(長さ約1000m幅100m)を買い占めた。しかしこの土地は水不足のために住宅には向かないことが発覚。樟脳を作るためにクスを植えるも成長せず、土地の大半をゴルフクラブ用地に転用した。なお残りの土地は”藤沢のおばあさん”(恐らく親族のこと)の別荘地として残した(タケウチ様のコメントにある「藤沢の別荘地」のことでしょう)。ゴルフクラブは18ホールあり、市内のゴルフ族をクラブハウスまで運ぶためのバスが信太山駅ー伯太屋敷ー山荘間で運行した。戦争の激化によりゴルフのような遊びはできなくなったのでゴルフ場用地は大阪府に売却、府は鍛錬道場を建設するために購入したが更なる戦争の激化による食料不足解消のため疎開者や和泉町内の軍需工場などがこの土地を借用しサツマイモ畑となった。
また、ゴルフ場南の土地は同時期に黒鳥の立石吉右衛門氏により宅地造成され、高級住宅やバンガローなどが建てられた。
とのことで、タケウチ様のコメントにある「藤沢」はゴルフ場の造成などに関わっていた藤沢樟脳のことですね。またこの土地には高津池、平池、中津池、新池という溜池が当時から今まで(現在は一部惣ヶ池水源池になっています)あるため、この池をそのままゴルフコースにそのまま取り入れたのだと思われます。
信太山のゴルフ場についての記述を見て真っ先に思い浮かんだのが当記事でしたのでコメント失礼します。
自衛隊の正門近くで生まれ育ちました
少し山の方に歩いていくと、大阪市立の野外活動センターがあります
そのあたりの電柱の識別プレートには「ゴルフジョウ」と書かれていました
いまでもあるかな