
大阪市立大学…もとい現在は府立大学と合併して「大阪公立大学 杉本キャンパス」。
1930年代に市内中心部から移転した、あと10年で100年を迎えようとする古い大学でもあります。
今回は、このキャンパスが出来た時から存在する近代建築の案内を。
市大本館(1号館)
市大のシンボルとも言える校舎が、旧大学本科にある本館です。

少し逆光気味なので見づらいかと思いますが、真正面から見ると白い大鳥が翼を広げているような姿であることはわかると思います。

側面から見ると、「車寄せ」という入口まで車を寄せるための屋根付きの部分があり、独特の姿をしていることがわかります。

昭和9年(1934)に竣工したこの本館は、平成14年(2002)に有形文化財に登録されています。
鉄筋コンクリートなので一見殺風景ですが、曲線を使うことによってデザインチックに見せようとする努力が見える気がします。建築学はド素人だし美的感覚もゼロなので、あくまで「気がする」ですが。

昭和10年代と思われる地図の裏側にあった広告に、小さいものの旧商科大のものがありました。
やはりシンボルなのか、本館があいさつ代わりになっています。
こうやって見ると、何度かリフォームはされているはずですが、形は昔のまま残していることがわかりますね。

裏側へ回ってみました。
正面にも時計がありますが、裏側にも時計があるのはなんだか不思議でした。それも手元のスマホで確かめるとちゃんと時間も合ってるし。
これが竣工当初からあったのかどうかはわかりません。しかし、裏はグラウンドなので運動をしている人には高いところにあって見やすいのかもしれません。

側面は曲線をより使い、意匠を凝らしています。なんとなく宇宙船に見えなくもない。

中に入ってみました。
建物自体はフルオープンなのですが、人っ子一人いる気配がありません。休日なので当たり前っちゃそうですが、不気味なほど人の気配を感じないのです。その理由らしきものは、後でわかりました。
正面階段の左右に置いてある、たぶんブロンズ製の壺には、

「大正七年」の文字が。
大正七年度の卒業時に作られたものか、それとも大正七年度卒業生が寄贈したのか。どちらにしても大正七年当時は商科大学ではなく専門学校の時です。

中を覗いてみて、凝ってるなーと思ったのは、この中の丸窓。
丸窓は大正時代後期~昭和初期に流行ったものですが、建物の外窓(というのか?)ではなく、建物の中に入らないと見えない中の窓に丸窓を使っているのは、初めて見ました。

階段の両側に丸窓を配置するセンスは、ちょっとションベンをちびりそうになりました(笑
こうして撮影すると、ちょっとファンタジーっぽい内景になる気がします。一眼レフなどで撮ると、もっと幻想的な写真が完成するはずです。

杉本町キャンパスができたてホヤホヤの頃の、1号館から正門を臨む写真があったので、人がいないのを幸いに1号館から似た角度で撮ってみました。

80年というのは、大きな歴史の流れで見るとほんの一瞬ですが、その一瞬でもこれだけ風景が変わることに、我々は驚かないといけません。
学生サポートセンター(旧商大図書館)

1号館の横にも、素敵な建物が鎮座しています。

「学生サポートセンター」となっているこの建物、リフォームされているので一見さほど古くない建物に見えます。
しかし、ところどころに残る昭和風モダン建築というのか、大正後期~昭和初期の建物によく見られる残滓がちょくちょく垣間見えます。
休日だったので閉まっており、中を見ることはできなかったのですが、代わりに周囲の外観をじっくり見てみることにしました。

正面から見ると何の特徴もない、当時の学生の言葉を借りれば「味気がない」ものになっていますが、裏側を見ると少しSFチックな形状になっており、1号館と姉妹のような形になっています。設計主が同じ(大阪市土木局)なので、当たり前と言えば当たり前ですが、当時としてはかなり斬新なデザインだったでしょう。
この建物のある意味いちばんの見所は、正面ではなく裏側。

船の艦橋(ブリッジ)を思わせるサンルームです。

昭和初期建築の証明、丸窓がアクセントをつけています。半円形に張り出させ、窓を多く配置して陽光がより多く入るよう工夫されている感じがします。

木が邪魔で全景が写せないのですが、ものすごくモダンというか、未来的なデザインです。

この作り、以前紹介した大阪市港区のハaハaハaというレストランの建物に似ています。
ハaハaハaの方は昭和11年に対し市大のこちらは昭和9年なので、市大のほうが若干先輩格になりますがほぼ同世代。当時はこういうつくりのデザインが流行っていたのでしょうね。
この建物は、規則的な作りかと思いきや、側面が非対称かつ不規則的な、子どもが積み木を重ねたかのような意匠。当時の設計者の遊び心が現れているかのようです。
五代友厚像
旧商大キャンパスを散歩していると、こんなものを見つけました。

像の主は五代友厚という人物で、薩摩藩士ながら大阪に骨を埋め大阪の発展に尽くした大阪財界の重鎮であります。全国の女子には、朝の連続テレビ小説『あさが来た』でディーン・フジオカ演じた、「五代様」と書いた方が早いかもしれません。
で、市大と五代友厚が何の関係があるかというと…。
五代は商都大阪を更にパワーアップさせるために様々なことを行いました。そのうちの一つに、これからの大阪を支える人材を育成するための学校、「大阪商業講習所」の創設でした。
当時は最先端の学問だった簿記や商法、貿易のための国際法や英語などを教える学校でしたが、それが市立商業学校→高等商業学校→商科大学→大阪市立大学と発展しました。
大阪商科大学を誕生させたのは元市長の関一でしたが、今の市大の「父」が関ならば、「祖父」は五代と言っても過言ではありません。
しかし、この像は土台からしてかなり新しい…いちおう、五代友厚生誕180年記念として作られたものだそうですが、除幕式の日付が2016年3月。ドラマ放映中、それも五代がドラマ中で死に全国の女性が「五代ロス」に苛まれていた時なので、めちゃ狙っとるやんかと。どうりで像が無駄にイケメンかと思った(笑
ちなみに、除幕式にはディーン・フジオカも参加したそうです。

旧商科大学の近代建築の次は、旧高等商業学校の敷地へ。
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