衆楽園遊郭跡を歩く
衆楽園遊郭跡は、現在でも変わらず瓦町のまま。鳥取駅からはほぼ道一本、歩いて5分くらいの所にあってロケーションとしては絶好の場所にありました。
上の場所は瓦町ロータリーという交差点、鳥取駅から鳥取城跡へ続く県道192号、智頭街道など4線がここで交わり、複雑な六差路を形成しています。
鳥取駅からロータリーまでがかつての繁華街だったそうで、現在でも商店街が軒を連ねています。
衆楽園は、ここの南東角の位置にありました。
今の瓦町の真ん中には、今は太平公園という三角形の公園があります。この公園は鳥取大火の後で作られた空間で、衆楽園の中心地はちょうどここあたりとなります。
上述したとおり、衆楽園の建物は昭和27(1952)年4月17日の「鳥取大火」でほぼ全滅しているはずで、公園のプレートにも「鳥取大火で瓦町一帯はすべて焼失」と記載されています。せっかく空襲を受けてなかった貴重な街なのに勿体無いけれども、そこは素直に諦めよう。
衆楽園には、9年前の2011年に一度訪れています。その当時と現在を比べると、まるで時が止まったかのようにほとんど様子は変わっていません。良く言えば9年の年月をよく生き抜いてくれたですが、悪く言えば駅から徒歩5分の立地条件抜群の地が開発されていない姿に、経済の現実が見えてくるような気がします。
しかし、そこはプラスに考えてまだ残っている建物との再会を愉しみましょう。
衆楽園遊郭跡の中でも大きさ・存在感ともにダントツの建物がこちら。
9年前の来訪時には、2階の各部屋にエアコンの室外機が置かれていたのですが、現在は撤去されている上に、人が住んでいる気配が全くありません。おそらく主がいなくなって空き家になっているのでしょう。
この建物の玄関をアップで見てみると、元は大店だったのでしょう、その面影が玄関に残っています。
こちらは9年前にもあった建物。9年前の写真と見比べてみたのですが、全く変わっていません。
しかし、9年の間に目が肥えてきたか直感が冴えてきたか、以前には気づかなかった側面にアンテナの感度が。明らかに「もう一つの玄関」が見えます。
遊郭・赤線の建物は営業の性質上、客同士が極力鉢合わせないような工夫がされていました。中に階段が複数あるのもそうですが、客が顔を合わせることのないよう玄関も複数存在していました。
これが特に赤線建築の大きな目印になっているのですが、ここも明らかに元赤線の建物なのでしょう、おそらく出口専用の玄関を作って横からこっそり…という感じ。
こちらも以前と変わりないたたずまいのまま残っています。遊郭時代は「開春(楼)」という屋号でした。赤線廃止後は「とめや旅館」となり、現在は「ことめや」という貸しスペースとなっています。
こちらのブログによると、建物は昭和19年に建てられたものだそうで、前年の鳥取地震の後に作られたとのこと。でもその時は戦争のまっただ中、こんな妓楼以前に遊郭って営業できたのだろうかと。資料がない以上、想像にお任せするしかありません。
そしてここ、「創作活動しながら宿泊」もできるそうです。昨今の事情を反映してか、wifiも完備とのこと。ブログも創作活動の一つ、今度はここで宿は…もとい創作活動やってみようかしらん。
いちおうHPはあるようなので、興味ある方はこちらで連絡を取ってみましょう。
その「ことめや」の隣にあるのがこの建物。よりによって鳥取県立図書館が休館日だったので昔の地図をGETできずだったのですが、構造的に怪しくないわけがない。おそらく…いやまあ間違いなく赤線時代のお店だったのでしょう。
現在は空き家か、鉄の門が固く玄関を封じ来るものを拒んでいました。
謎のエリア「松屋横町」
衆楽園の元赤線エリアには、こんなところがあります。
正直、9年前に来た時は気づかなかった「松屋アパート・横町」と書かれたエリア。
奥を見てみると、いかにも怪しそう…もとい昭和のノスタルジックな匂いが通路の奥から薫ってくるような、どこか懐かしい感触がします。昭和の文化住宅というかアパートというか。
「どうぞ!」
と書かれているので、では遠慮なくと中に入ってみました。あわよくば2階も拝見させていただこうかしらんと思ったのですが…
二階へ通じる階段は、この扉によって固く封がされていました。部外者入るべからず、その扉はそう私に伝えているような気がしました。
が、よく見ると興味深い文字が。
「瓦町遊園地」
当然、ここに子供向けの遊園地があった記録はありません(たぶん)。衆楽園は表現を変えれば「男の遊園地」。もしかして、これは21世紀の、令和の時代に残る唯一の「衆楽園」の名残なのだろうか…想像力を膨らませると膨らむばかりでキリがありません。
悲しいお知らせ
衆楽園は9年前から時が止まったかのよう…と述べましたが、一つ、大きく変わっていたところがありました。
鳥取衆楽園の象徴でもあった、灯籠付きの建物…こちらがなくなっていました。
かすれた文字で「君司」と書かれた灯籠…「君司」って鳥取の地酒の名前で、赤線時代の店の名前ではありません。
『花街』(加藤政洋著)に書かれた、
「庭先に店名を書いた雪洞(ぼんぼり)をしつらえた旅館が一軒」
とは恐らくこのことだったのですが、もはや現世界に存在せずとなってしまいました…。
悲しいお知らせを最後に、鳥取衆楽園のお話は筆を置こうと思います。
鳥取県の遊郭はこちらもどうぞ!
『鳥取県史』
『新修鳥取市史 社会篇 第二節四-遊郭の成立』
『鳥取県警察史』
『風流花山噺 鳥取のいろ街盛衰記』
『鳥取市商工名鑑 昭和24年』
『報道で綴る鳥取大火災 』
『鳥取大火災復興記念写真帖 1953』
他ブログ多数
コメント
[…] 衆楽園遊郭(鳥取県鳥取市) – ご昭和ねがいます 衆楽園遊郭跡に行ってきました①【鳥取県鳥取市】 鳥取(遊廓衆楽園)雪洞をしつらえた旅館 鳥取・衆楽園遊郭 – DEEP案内不動産部 鳥取市の遊所 前半 衆楽園 鳥取市瓦町の衆楽園遊廓跡を歩く(前編) […]