仙崎遊郭(山口県長門市)|遊郭・赤線跡をゆく|

仙崎遊郭 遊郭・赤線跡をゆく
注意本記事は2011年執筆の前ブログ記事を土台に、内容をリライトしたものです。
情報は更新していますが、古い場合があるのでご了承ください。

萩の町を離れ、日本海の荒波をバックにししながら西へ西へと進路を向けました。
そして次にやってきたは仙崎。

 

萩から仙崎

仙崎は長門市の一部ですが、昔は仙崎町という独立した町でした。萩からは、地図で見るとけっこうな距離にありそうですが、車だと所要1時間ほど。地図で見ると遠そうですが、実際に行ってみると意外に近い。日本はやっぱし狭かった!?

仙崎は、地図を見てもわかるように、日本海側にある港町で江戸時代は捕鯨の基地としても栄えました。
捕鯨基地というと和歌山県の太地町が世界レベルで有名ですが、仙崎は日本海側の太地町といったところでしょうか。
同じ哺乳類だからか、捕らえた鯨には人間と同じような法名をつけて供養されているそうで、その過去帳も残されているのだとか。
また、捕まえた鯨に胎児がいた場合、水子供養と同じやり方で供養しており、自然と一緒に生きる海の民の、鯨に対する敬意が込められている気がします。
海に生きる民は自然の怖さをいちばん知っています。それを知ってる者同士は、国や民族の垣根を越えてわかりあう存在と言われています。
昔の人間と鯨は、そういう意味じゃ心が繋がっていたのかもしれませんね。

少し話が話が変わりますが、世界には国や民族関係なく分かり合える組織が3つあると言われています。一つは「共産主義者」、「カトリック信者」、そして3つ目は「海軍」。海という自然を相手にする軍隊のせいか、陸軍や空軍と違って国際間での交流が盛んやったりします。
軍服も、ほとんどがイギリス海軍がベースなせいか、水兵はセーラー服で下士官以上は黒のダブルのスーツとほぼ世界共通(一部共産主義国は除く)など、ルールもだいたい世界共通。
旧日本海軍も、イギリス海軍を師匠としただけに端から端までイギリス式。同じ日本軍の陸軍とは話が全く噛み合わず、むしろ敵のアメリカ海軍の方が話が通じ合えたそうで、陸軍との話し合いを「日・日交渉」と内部では揶揄っていました。

旧日本海軍の軍服は詰襟でした。が、儀礼で着る礼服はダブルの黒スーツ、大正時代後期に普通の軍服もダブルのスーツにネクタイ、つまり今の海上自衛隊と同じ軍服にして海軍内じゃほぼ決まりでした。
これに物言いをつけたのがあの東郷平八郎。
「ワシらはこの詰襟で日本海海戦を戦ったのじゃ」という鶴…いや、神の一声で軍服チェンジはご破綻、結局終戦後の海軍解体までそのままになってまいましたとさ。
個人的意見ですが、東郷平八郎は最晩年に海軍内の人事に口を出し、海軍はおろか結果論的に日本の行く末を狂わせた歴史的大汚点からどちらかというとアンチです。
しかし、東郷平八郎を崇拝しているる人にとっては、これはあまり世間一般市民に知って欲しくない「黒歴史」でもあり、実際海軍の歴史を知ってる人以外は知らない歴史でもあります。
ぶっちゃけ、東郷平八郎の人生から学ぶ「歴史の教訓」は日露戦争の日本海海戦ではなく、「第一線から退いたらさっさと隠居して口も手も出さない」でしょう。

 

閑話休題。

仙崎駅

というわけでやってまいりました、仙崎駅まで。
中は無人駅、自由にホームまで入れるようになっています。しかしwikipediaで見てみたら、2009年の1日乗降者数68人ってあーた(汗

 

仙崎駅

人間だけではなく、お猫様も駅内フリーパス。吾輩は猫である。名前は某県の某駅ようなタマではない。もちろん駅長でもない。

仙崎駅

仙崎駅のホームです。
以前の繁栄はどこへやら、やけに寂れたホームがちょっと淋しそうです。

 

仙崎駅

駅の時刻表を見てもご覧のとおり。何じゃこの本数は(汗

1964山陰本線仙崎駅時刻表

昔は1時間おきとはいえ、これだけの本数が走っていたのと比べると、明らかに寂しさを感じます。

で、見てると12:45に「みすゞ潮彩号」というのがあるらしい。下関からの直通列車で、現物は見たことないけれども、仙崎までの観光列車のようです。
(※「みすゞ潮彩号」は車両の老朽化などで2017年に運行終了しています)

では、「みすゞ」って何やねんというと。

仙崎金子みすゞ

はい彼女です。

彼女の名前は金子みすゞ。短い生涯の中で素朴ながらも優れた詩を残した大正時代の女性詩人です。短期間に大量の作品を出したという点から樋口一葉と比較されることが多く、「詩人版樋口一葉」という感じかもしれません。

金子みすゞはここ仙崎生まれで、幼少~青春時代を過ごしました。
仙崎は捕鯨の町と書きましたが、彼女が生きてた時代にも捕鯨が盛んで、「鯨法会」という鯨の供養祭が行われていました。
それを彼女が詠んだ詩が残っています。

「鯨法会」鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。

私に作曲のセンスがあったら、曲つけて歌にしたいような詩ですな。

 

仙崎金子みすゞ

金子みすゞの生家跡には、彼女の記念館が建っています。
彼女はある意味ごく普通の生活をし、ごく普通の結婚をしたのですが、夫が現在風に言えば会社をリストラされ性格が荒んでしまいます。その延長で下関の新地遊郭に入り浸り、性病を妻のみすゞに伝染させてまいます。
その上、二人の間に生まれた娘の親権を巡ってドロドロとした争いになり、精神的に追い詰められた彼女は昭和5年(1930)、26歳で自殺してまいます。
彼女が自殺した直接の原因は、淋病にかかった精神的ショックや苦痛からだとも言われています。淋病は、直接それで死ぬことはないけれども、病からくる苦痛は「メランコリー(抑うつ状態)」になるほどだそうなので…。
当時の倫理観から遊郭通を止めるわけにもいかないかもしれませんが、自分が汚したケツを他人に拭かせたらあきませんな。
遊廓のご使用は計画的かつ健康的に…。

西條八十に『若き童謡詩人の巨星』と絶賛されつつも、金子みすゞの名前は死後ほとんど忘れ去られた存在でした。
50年後の1984年、文学者によって再発掘されてから瞬く間に全国に知られることになり、以前の「知ってるつもり!?」でも特集されていた記憶があります。

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仙崎の遊郭

で、仙崎に遊郭などあったのか?というと、実際にはあったのです。「港町に遊郭あり」という法則は、ここ仙崎にも当てはまっていました。

 

仙崎遊郭マップ

地元の資料によると、仙崎を縦貫する、現在は「仙崎金子みすゞ通り」となっている通りの西側にありました。みすゞ嬢の実家があったところからも遠くはない。
現在は地名として残っていませんが、遊里があった場所は「後町」といい、大正時代の『山口県統計書』には「仙崎村字十王堂」の名前で記録されています。地元の漁師や、仙崎に寄った外国船の船員が立ち寄ったそうです。

『山口県統計書』の数字を丹念に拾っていくと、大正初年以前のデータが(ネット上に)ない上に、ネット上で見れる統計書が尻切れトンボになっているので詳細は不明と前置きしておいて、仙崎遊郭のピークは大正10年代と思われます。
免許地、つまり営業できる区域が狭いので貸座敷数と娼妓数には大きな変化がありません。が、遊客数は大きく変化します。
第一次世界大戦の好景気の影響か、大正初期に伸びを見せた遊客数は、1920年代前半にピークを迎えます。が、大正14年にそれが激減。昭和に続く不景気の影響と思われます。
大正10年~11年には1万人超えを達成した仙崎遊郭も、昭和恐慌の時には3分の1以下に激減。娼妓の数も減っているものの、統計書に同時掲載されていた芸妓の数にほとんど変化がないので、遊郭だけに客離れが進んだものと推定できます。

『全国遊廓案内』(昭和5年刊)には、

『全国遊廓案内』より貸座敷は現在6軒あって、娼妓は約20人いる。店は写真店で娼妓は居稼ぎ制、
遊興は時間制、通し花制で廻しは取らない。
費用は一時間遊びが1円50銭、一泊の通し花は5円見当で、台の物はつかない。

と書かれていますが、統計書の数字を丹念に拾っていくと「貸座敷6軒、娼妓約20人」の頃は昭和5年ではなく大正10年代の頃。おそらくその時の数字ではないかと。
同時期(昭和5年)の内務省警保局の資料には、貸座敷4軒、娼妓15人、年間遊客数3,675人、売上高は6,854円とあり、統計書の数字と近いので信憑性はこちらの方が高め。どっちにしても、こじんまりとした遊里だったようです。
ちなみに、同じ時期の同じデータによると、

★仙崎から一番近い萩遊郭:遊客数9,982人、売上高31,922円

★来客者数&売上日本一の松島遊郭(大阪):遊客数2,040,990人 売上高6,366,183円

決して大きい遊郭とは言えない萩と比べても、だいたい規模は3~4分の1程度、当時の日本一、メガを超えたギガ遊郭松島と比べたら、何だかかわいそうにさえなってきます。

地元資料によると、昭和初期頃にあった妓楼は仙崎楼、丸丸、嬉しか楼、よか楼、幕の内など。戦前の仙崎遊郭の貸座敷数は4~6軒だったので、明治~昭和初期を通してこの屋号だったと推定されます。

旧遊里は戦後に赤線となったところが多いのですが、仙崎はどうだったのか。
地元資料には「昭和24~5年頃まで(あった)」との表現がありましたが、これが正しいとすると売春防止法施行以前に消えてしまったということ。地元か県立図書館で現地新聞をまさぐれば何か出てくるかもしれませんが、東北から山口県はヘタな外国より遠い(北海道の方が近い)。現地には行く機会がおそらくもうないと思うので、これ以上の深掘りは興味ある人に任せます。

 

現在の仙崎遊郭跡は

早速仙崎の遊郭跡を探索してみたところ、

2011仙崎湯1

お!早速香ばしい建物発見!!仙崎に似つかわしくない…失礼、なんかあまりに周囲と浮いてるこの建物、この正体は!?

2011仙崎湯2

銭湯の跡のようです。「仙崎湯」という名前そのままの銭湯で、昔は漁から帰ってきた漁師の憩いの場でもあったそうです。
銭湯とわかってしまえば、ああ銭湯によくある建築やなと理解してしまうのですが、出来た当時はかなりハイカラな建物であったと思います。いかんせん、今も周囲と比べて明らかに浮いているので…いい意味でね。
また、「仙崎湯」の文字が右文字なことにも注目。戦前か、古い時代の文字と推定されます。

仙崎遊郭

ここあたりはその昔、仙崎一の歓楽街でした。遊郭の貸座敷だけではなく、旅館や料亭なんかが立ち並ぶ夜の街だったとか。仙崎湯も遊郭のすぐ近く。海の男だけではなく、遊女たちもここを利用してたのだろうと容易に推測できます。

しかし、今はここが繁華街だったという面影は全くありません。いや、そうだと言われても信じることすらできない程変貌していると表現した方が良い。
ただ、「仙崎湯」のやたら浮いた(←しつこい)建築が、当時の繁栄を物語る最後の生き証人と思われます。

で、このブログをリフォーム執筆している際、頭の中にこんな疑問が湧きました。

私

この「仙崎湯」、現存しとるんやろか?

場所は9年経っても覚えているので、早速Google mapのストリートビューで確認してみました。すると衝撃の光景が!

仙崎湯の現在

なんということでしょう!!

どうしてこうなった!?って放置プレイを9年繰り返したらこうなった…としか言いようがないのですが、たった9年で「草ぼうぼう」になって、建物が覆われて外壁が見えない状態に。90年なら十分わかるけれども、たった9年でここまで変わるか。
東京都心も、人間がいなくなってメンテされないと、約800年で森林に還るというシミュレーションを見たことがありますが、9年でこれだとさもありなんと。

 

仙崎遊郭

在りし日の遊郭街は、ご覧のとおりの有様に。どこにでもある住宅街と化してました。
20年くらい前まで、「仙崎楼」が残っていたそうなのですが…もう見る影もございません。

それでも諦めずに、元々人並み以下の体力を振り絞って周囲を再探索してみたのですが、やはりこれ以上の収穫はなし。結局GETしたんのは足腰の疲労のみ(笑
しかし、何も残っていなくても「何もない」が収穫。これにめげず次の目的地へ足を勧めました。

 

おまけ-仙崎のシーフード

しかし、転んでもただでは起きません(笑
収穫なしなら別のとこでネタ収集、ちょうど昼飯の時間帯だったので、せっかく仙崎まで来たのだから、ブログのネタにちょっと美味いシーフードでも食うかと仙崎の港へ。

仙崎漁港

これよこれ、こういう魚市場の食堂を探しとったんよ。
うちの地元でもこういう食堂はないことはないけれども、やはり日本海の幸を安くいただくにはこういう所で食うに限る。

早速開いてた食堂に入り、刺身定食を注文してみました。

 

仙崎シーフード

で、来たのがこのボリューム。もうシーフード一色の役満ですやん。
味は書くまでもないけどメチャウマーでした。特に、イカの醤油煮(?)がやたら美味で、イカ自体もめちゃ柔らかくて食べやすく、「メシが進む」とはこのことだろうなと感じ入りました。

 

そしてこの食堂、自家製イカの塩辛とワカメの醤油漬け(らしい)がおまけで食べ放題。イカの塩辛はあまり好き好んで食べる方ではないのですが、一口食ってこれは美味いと。
こんなサービスまである港町の食堂バンザイ\(^o^)/

その上、いちばんビックリしたのが、これだけのボリュームでお値段¥800也。おまけに、大阪から来たと言ったらまあそんな遠くからとコーヒーがサービスでついた始末。

シーフード(特にイカ)が安くて美味い港町バンザイ\(^o^)/

結局、遊郭を探索しに来たのかシーフードを食いに来たにか、どっちかよくわからないまま終わった仙崎の遊里探索でした(笑


・『山口県統計書』
・『全国遊廓案内』
・『全国女性街ガイド』
・『竹内三郎さんの回想』
http://akane.world.coocan.jp/misuzu/memorial/2yomigaeri-hito/tatkeuchi/index.htm
・古今東西舎様-仙崎(仙崎遊廓跡地)後町
kokontouzai.jp/archives/7602 

コメント

  1. キュア梅盛 より:

    金子みすゞの弟さんが作った劇団が劇団若草(水島裕さん・坂上忍・杉田かおる等を輩出している)だったりします。

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