下関新地遊郭(山口県下関市)|おいらんだ国酔夢譚|

下関新地遊郭中国・四国・九州の遊郭・赤線跡
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新地遊郭を歩く

下関新地遊郭

新地遊郭があったとこは、現在の新地西町から上新地町にかけて。画像の「新地西町」交差点があるように、「新地」という地名は今でもちゃんと機能しています。

なお、これからの写真や風景は、私が訪問した10年前の2011年撮影のものとなります。現在の風景とは変わっている可能性があることをご考慮下さい。

…といっても、Google mapで確認したらさほど変わってもいなかったですけどね(笑

下関新地遊郭

新地遊郭の正面は、日本海沿いを走る国道191号線の終点近くでもあります。
幹線道路沿いにドカン!と建っているので、あまりに堂々としすぎて見逃す人がおいるかもしれない!?
新地遊郭が栄えたのは、おそらく遊郭の方が先輩だと思うのですが、191号という幹線道路沿いに作られたこともあると思います。それにしても、道路拡張なんかで真っ先に壊されそうなのに、よく生き残っていたものです。

下関新地遊郭

上の画像の建物を近くから見てみた感じです。
赤線現役時代の住宅地図によると、ここは「春の家」という屋号で、売防法完全施行後は旅館に転業した模様です。

下関新地遊郭

入口はきれいにタイルが残っています。

下関新地遊郭

細かく調べていくと、けっこう装飾が細かいことがわかります。このケバい色使いに上のタイル、もはや説明不要です。画像を十分にお楽しみ下さいという感じです(笑

下関新地遊郭

このドアを見るだけでも、けっこう芸が細かい。建物自体は、10年前でもひび割れが目立ちガタが来ていましたが、2020年のGoogle mapで確認すると、さらにガタが来ていましたが残っていました。

下関新地遊郭

この妙に斜めな玄関は、戦後の赤線カフェー建築の典型と言えるもの。一見、東京の吉原とか鳩の街、玉の井のカフェー街を彷彿をさせる建物ですが、これは紛れもなく下関です。

下関新地遊郭

元「春の家」の南隣にある建物ですが、住宅地図の字がつぶれて判別不能なものの、こちらも元赤線の店だと推定できます。

違う角度で見てみると…

下関新地遊郭

これももはや何も言うまい。正面はほぼ和風です、側面はちょっとタイールっぽいのにね。そこのアンバランスかつアバンギャルドなとこが、また赤線っぽい所でもあります。その妙なバランスの悪さが、我々の心を刺激するんかもしれません。
赤線の店は、構造上旅館や下宿に転業することが多いのですが、ここはどうやらパーマ屋(美容院)に転業した模様です。

下関新地遊郭

こちらは、遊郭・赤線跡探索者には有名な建物ですね。

下関新地遊郭

手すりの色の「赤」が、わずかながら残っています。
ところが、10年後に昭和33年(1958)の住宅地図で精査すると、ここは「食堂」になっており、果たして赤線の建物だったのか!?という疑問が、10年目にして浮かび上がってきました。

この建物は現在、リフォームされていますが、「つる八」と書かれた看板の下にある赤と青のタイルが目立つ玄関となっています。が!

下関新地遊郭のつる八

10年前に私が撮影した時は、そんなものありませんでした。明らかに入り口は白くなっています。
もしかして、白の漆喰で固められていたのが、リフォームの際「オリジナル」である赤と青のタイルが漆喰の下から出てきたのかもしれません。

立石赤線カフェー建築タイル

同じような例を、東京の立石で見ましたから。

旧遊郭・赤線の建物が時を経るごとにどんどん少なくなっている昨今、これだけのものが残っているだけでも十分、もうお腹がいっぱいです。
しかし、そんな本能に逆らい、足を奥へ奥へと進めます。

下関新地遊郭

新地西町を奥に入ると、どこにでもある下町って雰囲気となりますが、ここはかつての色街、どこか面影がないこともないような気もします。
ここの右側、コンクリートで舗装している部分は昔はどうやら川の模様。ここあたりに橋が掛かってたのかもしれません!?

下関新地遊郭

建物自体は、10年前でもかなりガタがきており、今にも崩れそうでしたが、きちんとリフォームしたら綺麗になるかもしれません。こういう時に建築学でも勉強しときゃよかったと思うものの、あいにく私にそういうセンスはないようです(笑

下関新地遊郭

売防法で飲み屋に転業した後の改装の可能性が大きいですが、「斜め玄関」がなんとなく赤線っぽさを感じさせます。

下関新地遊郭

ピンクの壁の建物に別れを告げ先へ進むと、戦後築よりたぶん戦前からの生き残りのような建物と出くわします。

下関新地遊郭

新地遊郭跡を更に奥へ進むと、クネクネとした細い道が続きます。
ここが現役だった頃は、艶めかしいピンクや赤のネオンに飾られた家々に女の嬌声、男の怪しい視線が飛び交う「繁華街」だったのでしょう。それははるか昔の伝説の時代、でも歴史の事実でもあります。現在だけを見ると、到底信じられないでしょうが。

上の画像は、遊郭・赤線を調べている人は一度はどこかで見たことあるアングルの画像のはず。実は、私もそれを意識して撮影したので(笑
画像左にある建物は『千歳湯』という銭湯で、10年前はまだ現役でした。さすがに現在は閉業してしまった…と思ったら、まだ続いているそうです。戦前からずっと続いてた所で銭湯マニアの中でも有名店でした。

下関新地遊郭

その昔、ここに何かの建物があったのでしょう、道の角に玄関の屋根だけが残っている不思議な光景です。『赤線跡を歩く』の木村聡氏も同じ気持ちになったのでしょう、写真んと文章でこの何かのかけら(・・・)に言及しています。

下関新地遊郭

10年前の写真とGoogle mapのストリートビューを見比べながら、バーチャルで新地遊郭の10年後を探索すると、私の直感で撮影した建物はほとんど残っているようでした。が、上の写真のものだけは残っていなかった模様です。

新地遊郭は、どっちか言うたら「遊郭色」より「赤線色」が濃い所だったのか、東京の鳩の街のような雰囲気を感じた遊里跡でした。
売防法後の旧新地遊郭跡は、中心地から外れたのが幸いしたか災いしたか、現在でも古い建物がいっぱい残ってる野外博物館のような場所でもあります。
まだ町並み自体は残ると思いますが、市が景観を保存することはないので、このどこか懐かしい光景もあと何年残るのかはわかりません。
遊里抜きでもこの町並みは一度見ておく価値があるかもしれません。

そして、まだ10年前というのもあってか、他のブログを見比べると、細かいところで見落としがあるなと、10年前の自分の未熟さを再認識することにもなりました。くそ、こんなところを見逃していたか、今歩いたら細かいところに気づくはずなのに…と少し歯がゆい思いもしつつ、今回のお話はお開きということで。

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コメント

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