【前編】天王寺駅の怪-阪和電鉄の歴史

阪和電鉄阪和線天王寺駅 鉄道史

 

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◆阪和電鉄 vs 南海鉄道の仁義なき戦い

阪和電鉄の「超特急」は、ライバルの南海電鉄を相当刺激させることとなりました。

負けじと南海もスピードで勝負しようとしたものの、集客力優先で紀州街道の町を縫うように作られた南海は、スピードでは全く敵いません。阪和45分に対し、南海は頑張っても55分でした。55分は今の「サザン」より速いですが、相当無茶しとるな感があります。

南海の言葉をガンダム風に解説すると、

開通前…

見せてもらおうか、阪和の超特急の性能とやらを!

??「阪和超特急、行きまーす!」

開通後…

ええい、阪和の電車は化物か!

南海の嘆きも仕方ありません。超特急は「白いヤツ」だったのです。

まあ、信号だらけの一般道が、制限速度糞食らえの高速道路に勝てるわけがない。

しかし、このまま引き下がる南海ではありません。

これでどうだと、当時の常識の斜め上をゆく最終兵器を投入しました。

 

その最終兵器とは…

 

 

南海バスにかつてあった冷房車のヘッドマーク

冷房車

 

この冷房車についての詳しい説明は、こちらへどうぞ。

 

 

◆仁義なき闘い@浜寺

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(昭和17年撮影 大阪市撮影航空写真より)

今は臨海工業地帯になっていますが、南海本線の浜寺公園近辺は、かつて「東洋一」と呼ばれた天然の海水浴場でした。

 

浜寺公園浜寺海水浴場戦前

戦前の浜寺海水浴場
大阪府営公園デジタルアーカイブスより。昭和初期)

毎年夏になると関西中から海水浴客が訪れ、輸送を独占していた南海はウハウハでした。

そんな敵なしの南海に、真正面から凶器を持ってケンカを挑んできたのが阪和電鉄。その「凶器」が、今は「東羽衣線」という名の阪和線の支線です。私鉄時代は「浜寺支線」と呼ばれていました。

 

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今はJRになっている線路に、「東羽衣」(阪和電気鉄道時代は「阪和浜寺」)という駅があります。まるで南海の喉元に「ナイフ」を突きつけて、「刺すぞ!」って配置になっているでしょ?

 

阪和電気鉄道浜寺海水浴場広告

阪和電鉄浜寺海水浴場
(阪和電鉄パンフレットより)

阪和電鉄は、夏の海水浴シーズンになると天王寺から阪和浜寺駅(現東羽衣駅)までノンストップの急行を走らせ、広告でも大々的に宣伝し南海を煽りました。

阪和の宣戦布告に、南海はもちろん激怒。

毎年夏になると客の取り合いが始まり、阪和と南海の社員の殴り合いが始まるという「仁義なき戦い 場外乱闘編」まで起こったそうです。

南海も南海。阪和浜寺駅に電車が着くや、南海側は羽衣駅を通過する特急ですらわざとトロトロ走らせ、開かずの踏切にして通せんぼしたとかいう伝説が残ってます。
やることがヤクザな阪和もさることながら、南海もやることが実にセコい。

 

◆涙ぐましい必死の経営努力

しかし、無人の原野を爆走するだけじゃ経営が火の車な阪和電鉄。手をこまねいて我慢しているだけではなく、涙も枯れる経営努力を模索し始めます。

 

 

阪和電鉄いちご狩りの広告

阪和電鉄チューリップ狩り広告
(『阪和電気鉄道史』より)

阪和電鉄広告
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泉南市埋蔵文化財センター企画展「昭和の一大観光地砂川」より)

まずは、沿線に何もないことを幸いに、キャンプ場を作ったり、ピクニックコースを作ったり、「◯◯狩り」を開催したり。とにかく理由をつけて電車に乗ってもらおうと、色んなイベントを計画したりしました。

その姿には、もう涙ぐましいという表現しか思いつきません。

 

 

阪和射撃場地図阪和電気鉄道史
(『阪和電気鉄道史』より)

そしてなんと、阪和電鉄は直営の射撃場まで作っています。なんぼ経営努力言うてもそこまでせんでもええやん(笑)と思うのですが、それほど必死だったのだろうなと思います。
しかしここ、「日本初の総合射撃場」と銘打った本格的な射撃場のようで、16歳以上なら男女問わず撃つことができました。200mもの射撃場やクレーン射撃施設など、なかなか本格的です。

前代未聞、鉄道会社の射撃場の話はこちら!

 

阪和電鉄直営住宅地上野芝聖が岡
泉南市埋蔵文化財センター企画展「昭和の一大観光地砂川」より)

鉄道沿線に住宅を作り電車に乗ってもらう経営戦略は、元々阪急の創業者小林一三の独創です。他の鉄道会社もそれを真似して沿線の住宅地開発に力を入れていました。

阪和電鉄もその例に漏れず、住宅地の開発を直営で行っていました。阪和電鉄も沿線に何もない分伸びしろは十分。逆に人口を増やせるチャンスでもありました。

阪和電鉄が開発した住宅地は主に4つでした。

・上野芝向ヶ丘・霞ヶ丘(上野芝駅周辺)
・信太聖ヶ岡(北信太駅前)
・泉ヶ丘(東佐野駅前)
・富木の里(今の富木駅前周辺。おそらく計画倒れ)

富木以外は全部「◯◯ヶ丘(岡)」とついてます。

富木以外の3つは、今でも静かで道筋もきれいに整備された、家一軒がけっこうデカい住宅街になっています。
しかし、阪和電鉄も住宅経営のノウハウに乏しく、いちばん最初に作った上野芝の向ヶ丘住宅は、新築なのに2年で雨漏りするわ、飲料水は濁って飲めないわ、おまけに南海の嫌がらせで電気は通らないわ…今なら虚偽広告及び詐欺まがいの欠陥住宅でワイドショーの餌食でしょう。

天王寺駅の次の駅の美章園や鶴ヶ丘駅周辺、和泉市の山荘町も、阪和電鉄開業後に開発された住宅街なのですが、これは鉄道が通る不動産が売れる地価上がるウハウハと踏んだ不動産会社が土地を買い占め、住宅開発をした経緯につき電鉄直営ではありません。

NEXT:阪和線を襲った数奇な運命…

 

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