半藤一利さん死去-歴史探偵を偲ぶ

半藤一利さん死去歴史エッセイ

2021年(令和3)1月12日、半藤一利さんが亡くなりました。


(写真:時事通信より
享年90歳、まだ若いのに…なんて言えない年齢であり、結果的には大往生ではありますが、惜しい人を亡くした感は強いです。ご冥福をお祈り致します。

半藤氏と言えば昭和史。私は司馬遼太郎の「私には昭和史は書けない。次の世代に託す」という言葉を胸に昭和史(特に戦前史)をライフワークにしていますが、特に先生というものを持たない独学の身である私にとって、半藤氏は師範のような感じの存在でした。なので、半藤氏の死は師匠を亡くしたに等しい。
歴史学者でも歴史家でもない「歴史探偵」という立場で、自由にかつ辛辣に、旧制中学生の悪ガキで止まったかのように、時には海軍の提督に向かい「あんたそれでも男か帝国軍人かっ!」と怒鳴ってまで昭和史に向き合った姿は、私にとって指針でもありました。歴史家として年取るならこういう感じが良いなと。
氏の死去で、おこがましいですが「昭和史探偵」を名乗って後を継ぎたい気分もあります。

ここ数年は、憲法九条を守るという護憲派だった立場からか、「半藤は極左の反日」なんて言われもないレッテルを一部で貼られています。
が、こう言ったから著書まですべて全否定というのは、

「私は考える力のない愚人です」

と書かれた名刺をドヤ顔で差し出しているのと同様。特にこういうのがSNSで可視化されてきたせいか、一定数いるとはわかっていても、意外に多いものだなと感じています。それだけ日本人の思考力が衰えているのか。
私は半藤氏と真逆の憲法九条改正大賛成派ですが、半藤氏の評価がそれで下がることはないし、否定なんてとんでもない。その人の「合わないところ」は適当に骨を抜き、食べたい身をいただいたらいいわけで、骨を抜くスキルすらない無知蒙昧がいくらわめいても、己の愚かさを晒すだけなのに気づかないのが、愚かなるゆえんか。

半藤氏の著書の一つに『昭和史』があります。昭和史が全くわからない人のために「講義」をして欲しいという編集者の要望から始まったこの本。実際に昭和史を知らない人に語りかける講談風に書かれた昭和史は、初心者向けバイブルとして現在でも売れ続けています。
私はこの本で昭和史に入ったわけではないですが、「ソファーの上で横になってお菓子かじりながら読める昭和史」として何回も読み、特に戦前編は人様に見せられないほど手垢にまみれています。
『昭和史』戦前編には、日本人が肝に銘じるべき5つの教訓が書かれています。

①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。
出典:東京新聞「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓

特に私が感銘を受けたのは、①と②でした。

1994年、大志を抱くこともなく大阪の片田舎から中国上海へ留学へ向かいました。当時19歳。海外に出たいという欲望だけで一人異国へと旅立ちましたが、中国など右も左もわからない。そもそも中国に興味がない(笑
そんな大馬鹿野郎にも、国際情勢の勉強をしたいという夢だけはありました。それを知った先輩留学生がこうアドバイスしてくれました。

国際情勢はビルの10階から1階を見ろ。1階の熱狂に入り込むと全容を見ているようで何も見ていない。
ただし、(1階を観察する)双眼鏡は忘れるな。

その先輩留学生の顔はおろか名前すら忘れてしまったのですが、この言葉だけがしっかり頭の中に残っており、現在でも国際情勢を見る基本となっています。特にツイッターの台湾垢では、こと政治関連は日本も台湾もどこか突き放したスタンスですが、それは常に「ビルの10階から」視点なのです。

それから10年くらい時間が経ったか、半藤氏の「国民的熱狂をつくってはいけない」に突き当たりました。これだ…上記の留学先輩の言葉とこれが一瞬でリンクしました。
日本人は感情的な民族性を持っています。それはそれで詩歌に秀でた感受性を持ち、想像力が豊富な源泉となっています。俳句や短歌はもちろん、漫画やアニメだって日本人の感受性の賜ものです。
が、火がついてしまうと理性が吹き飛び感情優先になってしまう欠点も、表裏一体で備わっています。
別にそれが悪いとは言いません。ただ、国際情勢というものは常に「理」で見ないといけません。冷酷なくらいに冷徹に観察しないといけません。
ところが、「思いは通じる!」と、お前は可燃物かと簡単に熱狂してしまう、そして②に通じる。

②は、平たく言えば「こうであって欲しいな~」「こうに違いない」となり、最後は己の頭の中の世界(観念論)を「こうだ!」と現実にしてしまう。もちろん、それは現実ではないのですが。

台湾垢を持っているので、よくこういう人に出会います。
台湾問題は国際情勢でも超上級編、歴史から国際法まで様々な分野を勉強しないと火傷する取り扱い要注意の案件です。台湾は「中華民国」でも「台湾國」でもない、非常に曖昧な位置に存在しています。
ところが、観念論で「日本は『台湾』と国交を結ぶべきだ!」とのたまう輩がいます。
私は冷静に質問します。
「あなたのおっしゃる『台湾』は「中華民国」かしら、それとも「台湾國」かしら?」
たいていの人は「台湾國」と答えます。しかし、現実には台湾國など世界のどこにも存在しません。これが現実です。存在しない国とどうやって国交など結べるのでしょうか…とまた冷静に質問すると、十中八九答えが返ってきません。「台湾は独立国」であるという熱い思いが、かえって現実から目を背けさせているのです。日本人が非常に陥りやすい「ビョーキ」です。
台湾情勢を例に出しましたが、②の観念論、というか「思い」の暴走が④を呼ぶ。熱狂してしまい国際的な常識などど焼かれてしまったかの如く。
ほとんど悲劇のドミノ倒しです。

『昭和史』で半藤氏が血を吐くように記したこの「五戒」を、私は今後も昭和史、そして日本人を見ていく上の「双眼鏡」にしたいと思います。

また、半藤氏は、もう一つのライフワークである近代遊里史の一つ、「赤線」最後の経験者世代でもあります。売春防止法完全施行前の夜、東京の『鳩の街』で接待婦のおねえさんたちと一緒にお寿司を頼み、『蛍の光』を歌いながら赤線の最期を看取った歴史の生き証人でもありました。
その「餞別」に『鳩の街』の値段表をもらい、書斎に飾っていると同じ赤線経験者との対談で述べていましたが、それを一度見てみたかった。赤線の話を一度直接聞きたかった、そして「それ下さい!」と言いたかった…あと駆逐艦『夕立』謹製の文鎮も(笑

二千文字でまとめるところが文字数オーバーとなったので、ここで筆を止めます。
今頃は、司馬遼太郎と酒でも飲んでることでしょう。
私の方は半藤氏の著書を読もうかしら。いや、

文藝春秋雪風

半藤氏が『文藝春秋』編集長として駆逐艦『雪風』元艦長を呼んだ痛快爆笑座談会でも読むことにします。

 

コメント

  1. 松崎太郎 より:

    はじめまして。突然のコメントで失礼いたします。
    私も生粋の関西人で長らく大阪市内に住んでおりましたが、今は堺在住です。
    そういう経緯もありまして、大阪に関する色々なネタを提供してくれるのぶさんの
    ブログを移転される前から興味深く拝見しております。
    特に天王寺駅の話は非常に楽しく読ませて頂きました。
    Twitterもフォローさせて頂いておりまして、極寒の仙台で頑張っておられる様子も
    拝見しております。

    私も半藤一利の著書を愛読しておりまして、昭和史もお気に入りの一つです。
    のぶさんもおっしゃる通り大往生だとは思いますが、昭和の語り部がまた一人いなくなると
    思うと非常に寂しい思いがします。

    引き続きのぶさんには昭和史探偵として色々な情報を発信していただけたらと思い
    エールをこめてコメントさせて頂きました。これからも頑張ってください。

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