昭和史

昭和史に関して

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歴史探偵千夜一夜

二・二六事件 山下奉文旧宅跡を訪ねる

山下奉文という人物をご存じでしょうか。陸軍軍人で、「奉文」という名前が「ともゆき」というなかなか難読な人でもあります。なお、「ほうぶん」と音読みしている人もいます。「マレーの虎」という異名で知っている人もいるかもしれません。昭和史のターニン...
歴史探偵千夜一夜

航空写真で見る!阪和線堺市駅から伸びていた進駐軍専用線を追う【阪和線歴史紀行】

戦後間もない時、連合国軍(アメリカ軍)に接収された堺市の陸軍用地が「キャンプ・カナオカ」となったが、数年間だけ阪和線から基地まで線路が敷かれていたことを知る人は少ない。その歴史と現在にも残る「廃線跡」を追う。
ブログエッセイ

【二・二六事件秘録】渡辺錠太郎はなぜ「身内」に殺されたのか?

二・二六事件で襲撃対象になった唯一の陸軍関係者、渡辺錠太郎教育総監(陸軍大将)。彼はなぜ「身内」のはずの青年将校に殺されたのか?そして、もし渡辺が二・二六事件以後も生きていたら日本の歴史はどう変わっていたのか大胆に推測する。
歴史探偵千夜一夜

【二・二六事件秘録】天気から見る二・二六事件ー事件当日、本当に雪が降っていたのか?

二・二六事件当日は「雪が降っていた」というイメージが強いが、本当に降っていたのか?天気予報から見る事件の真実。
ブログエッセイ

徳山璉『ルンペン節』と昭和初期

ルンペン節の昭和史−ルンペンとはルンペンという言葉を知っているでしょうか。ルンペンとはドイツ語でボロ布という意味で、それが日本に入り、転じて「浮浪者」「失業者」という意味になりました。概してホームレスという意味と思って結構です。『キンキンの...
歴史探偵千夜一夜

井上成美記念館を訪ねて2022年 後編 

さて、前編では井上成美とはどういう人物なのかを、ざっくりと説明しました。それが思った以上のボリュームになってしまったので、前編・後編と分けることになったのですが、輪郭だけでも人物像を説明しないと、記念館の説明が空振りになってしまうので、敢え...
遊郭・赤線跡をゆく

ガマ将軍南喜一から見た玉の井|おいらんだ国酔夢譚番外編|

東京最大の私娼窟、玉の井。花魁遊郭の吉原とはすべておいて対象をなす「私娼窟界の吉原」。その玉の井の歴史を語る上で、避けられない人物が二人います。一人は文豪永井荷風。規模は大きいとは言え、一介の曖昧屋の集まりである玉の井の名を全国区にした名作...
遊郭・赤線跡をゆく

鳩の街赤線街(東京都墨田区)|遊郭・赤線跡をゆく|

永井荷風などが通い、吉行淳之介の小説のモデルにもなった伝説の赤線、鳩の街の歴史を様々な角度から語る。
歴史探偵千夜一夜

盛岡八幡宮の米内光政像と昭和史

盛岡八幡宮の米内光政像盛岡には、町の鎮守のために建てられた盛岡八幡宮があります。南部藩が盛岡に移った16世紀末に作られて以降300年間、盛岡の総鎮守として今日も町を見守っています。隣には明治時代に護国神社も建てられ、明治天皇の像が盛岡の安寧...
ブログエッセイ

米内光政提督が残した言葉

米内光政という名前は、どこかで聞いたことがあるかもしれません。しかし、岩手県民や近代史好き、海軍好きでない限り、ああ、あの人ね!とすぐピンとくる人はたぶん少ないと思います。むしろ、米内?『こめうち』って読むの?となる人の方が多いかと。「こめ...
遊郭・赤線跡をゆく

武蔵新田の赤線(東京都大田区)|遊郭・赤線跡をゆく|

東京大田区の下町、昭和史の隙間に現れた特飲街、武蔵新田。その短い歴史をたどる。
ブログエッセイ

浜口雄幸首相遭難事件と東京駅|昭和史その日その時|

昭和5年11月14日、当時の首相浜口雄幸が東京駅で右翼青年に襲撃された。浜口の人生とその後。
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