後述しますが、本日6月5日は俗に言う「神戸大空襲」が行われた日であり、それから75年の月日が経とうとしています。
戦争の体験した人たちも残り少なくなり、記憶も日常生活では風化しつつあります。が、実は神戸市内の中心、三宮に戦争の傷跡が残っているのです。
今回は、普段意識することのない、戦争の痕を。
でもその前に、神戸の空襲のことを復習したい方は、下のリンクをどうぞ。
70年後も残る戦争の疵
神戸大空襲や終戦からすでに70年を過ぎ、戦争は過去の本棚で眠りにつくことが多い出来事です。さらに1995年の阪神淡路大震災で、神戸が多大な被害を受け建て替えなどが進んでいます。
阪神淡路大震災でも24年経ち疵を探すのは困難になってきたのに、70年前の空襲の跡なんてさすがにもうないだろう…。ところが、その跡が残っていたりするのです。それも、意外すぎるほどの場所に。
JR三ノ宮駅
JR三ノ宮駅は、戦前から特急『燕』などの優等列車が停車する鉄道の要衝でした。
三ノ宮界隈が人とモノの中心地になるのは、戦前は神戸駅・新開地にあった市役所や繁華街がこちらに引っ越してきた戦後のことですが、戦前の三ノ宮駅は神戸港発着の国内・国際船のアクセス駅として、大いに賑わいました。
当時の海外渡航は船がメインだったため、空港のターミナル駅のようなものと思えばいいでしょう。「ターミナル駅」を名乗るには神戸港までめちゃくちゃ遠いですが、戦前はそんなもの。
優等列車はすべて神戸発着だったのですが、なんで神戸じゃなくて三ノ宮発着にしないのか。
その理由は簡単、三ノ宮駅に列車を折り返す設備や信号設備がないから1。
昭和6年(1931)に現在のように鉄道線が高架化されましたが、神戸の人の流れを三ノ宮にしたい神戸市の意向もあり、旅客メインは高架化が決まった大正時代から三ノ宮駅ということになっていました2
駅の一階にあるコンコースです。
最近耐震補強が始まり、電灯がオールLED化され見栄えは変わってしまいましたが、装飾が非常に凝っているコンクリート製の円柱が並んでいます。
この風景…
『火垂るの墓』のオープニングは、主人公の清太が衰弱死する衝撃のシーンから始まりますが、彼がもたれかかって死んだ円柱は、このJR三ノ宮駅のものです。
耐震補強で味気も素っ気もなくなった駅の円柱ですが、一本だけ手付かずのものが残っています。
他は補強済みなのでこの一本だけがやけに浮いていますが、そもそもこれがオリジナル。確信犯的に残っているので、JRがわざと残したのかもしれません!?
コンコースもある意味戦争を生き抜いた遺産ではあるのですが、傷跡はもっと意外なところにあります。
JRと阪急を結ぶ連絡通路が外に走っています。写真は土曜日の朝6時時点なので人が少ないですが、通勤通学ラッシュや土日の昼間になると、乗り換えなどの人であふれかえるほどの黒山三昧となります。
三ノ宮駅を通勤通学で使っている人なら、何度も通ったことがあるのではないでしょうか。
こんなところに、実は戦争の傷跡が残っていたりするのです。
一見何気ない通路ですが、左側のJRとの境界線にある鉄のガードに注目。
ガードに孔(あな)が開いていることがわかりますか。
JRのホームが途切れそうな際の鉄板に、無数の孔が開いています。これは腐食で穴が開いたのではなく、米軍戦闘機による機銃掃射の跡なのです。
元々は高架の上なので間近で見ることはできないはずですが、連絡通路のおかげでJRの高架を人間目線で、それも超間近で見ることができるのですが、そうだからこそ発見できた戦争の痕の一つです。
鉄板のめくれ具合から、北の方から南の方向へ撃たれたことがわかります。
鉄板自体はそれほど厚くもないのですが、それでもめくれて孔が開くほどの威力。人間がまともに食らったら、身体に孔が開くどころではないでしょう。
それにしても、何故70年も修理もされず穴が開いたままになっているのか。
理由は推測ながら、孔が開いていても取り替えるほどの価値がなく、それ以前に修理・修繕すべきところは、あの時代なら山ほどありました。こんなところは、後回しと顧みられないのです。
そのまま放置プレイされたまま月日は経ち、機銃掃射の痕など忘れ去られていたが、連絡通路が出来たことによって誰かが再発見したのだと。
この銃痕は、「ここにありますよ」と看板が立っているわけではありません。それだけに、最初に見つけた人はよく見つけたなと感心するのですが、大多数の人は何も知らずに素通りしています。人通りが多いからこそ、まさかこんなところに・・・という意外性もあるのです。
70年前の孔は、今日も何も語らないまま、そしてほとんどの人に気づかれないまま、行き交う人々の往来を見続けています。
ここにあるなら…
この時、私の頭にある考えが浮かびました。
ガードにあるなら、駅のホームのどこかにも機銃掃射の痕があるんじゃないか?
この仮説をもとに、JR三ノ宮駅ホームを目で舐め回してみることにしました。
三ノ宮駅ホームから見た、連絡通路横の銃痕です。
駅は70年の月日で何回かリフォームされているのか、戦前からありそうなものは屋根を支える骨組みくらい。その骨組みも鉄筋の厚さが連絡通路横と違うため、判定がビミョーなのはあるものの、これだ!というものはなかなかお会いできません。
上を見、たまにうーんとうなってはホーム上を歩く私の姿は、傍目から見るとさぞかし異様に見えたことでしょう。
長い三ノ宮駅ホームを端から端まで見ること小一時間、ついに見つけました。
機銃掃射の痕と思われる孔です。貫通しているかはビミョーですが、明らかに不自然な穴であることがわかります。
鉄筋に穴が空いているほどのものは、この一ヶ所だけでした。
が!
上の写真のように、「何か」が当たって凹み穴となっているものは、私が老眼に鞭打って凝視したところ、4~5ヶ所ほど存在していました。
人間の背が届かない部分なので、おそらく鉄が厚く銃弾を弾き返した際に出来た凹みなのかもしれません。
これがホームのどこにあるのかは…上下線ホームを上を向いて歩きながら探すと小一時間かかるので、JR三ノ宮駅で小一時間の時間ができたら是非チャレンジしてみて下さい。ただし、上を見すぎてホームに落ちないように!…って今はホームドアがあるから大丈夫か。
阪急の三宮駅に残る戦争の傷跡は、こちらをどうぞ!
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