大和川飛行場-大阪南港、幻の空港計画

南港空港飛行場サムネ大阪史
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大阪市の新空港計画

早速手を挙げたのが、THE GREAT大阪(大大阪)こと大阪市。
大正後期から続く慢性的な不景気に加え、急激なデフレにより虫の息だった日本でしたが、犬養毅内閣(昭和6~7年)の蔵相高橋是清による金融緩和政策により、経済は突如として蘇生します。

昭和7年末から12年まで、東京や大阪など都市部は空前の好景気となり、いわゆる日本経済無双モードに1。この時期を私は、「戦前昭和元禄」「戦前バブル」と造語しています。
心躍ってしまうような明るさと活気を昭和10年前後の東京や大阪の写真に感じることがありますが、「戦前昭和元禄」の客観的データを持っている私から言わせれば、それは気のせいでもありません。当時の明るい脈動(オーラ)が写真にも出ているのでしょう。

本格的国際空港建設の話は、そんな時期から始まりました。
大阪市はグレートのプライドにかけて、大和川の河口付近を埋め立て東洋一の国際空港を作るぜ!と大和川尻北岸の91万5000平方メートルの埋立予定地のうち、約60万平方メートルを飛行場に当て急ピッチで工事開始、昭和10年には完成の予定でした。これを「大和川国際飛行場計画(仮称)」といいます。

 

大阪港第二次修築計画図と大和川国際飛行場

昭和6年(1931)の大阪港第二次拡張計画にも、大和川河口に「飛行場移転予定地」(赤丸部分)と書かれています。その上には「国際飛行場」こと木津川飛行場が。

 

大和川飛行場位置推定

大和川国際飛行場(仮称)はここあたりに建設される予定だったのではないかと推定しています。

ここに「第ゼロ代関西国際空港」が大阪市に完成!!
…とそうは問屋が簡単におろさない。大和川国際飛行場(仮称)は、いきなり2つの課題に直面することになりました。
一つは煙霧。木津川飛行場がいらない子扱いされた主原因の一つですが、新空港予定地は木津川飛行場の近くで状況は変わらず、パイロットなどから反対が起こりました。こんなこと、すぐわかることだと思うんですけどね~。

もう一つは、「うちも空港作るぜ!」と名乗りを上げた兵庫県。

 

大和川飛行場鳴尾飛行場大阪空港

県は鳴尾村2に空港建設を宣言。川西飛行機(現新明和工業)や住友財閥をバックに、権力の暴力團大阪市と激しいバトルを繰り広げます。

 

鳴尾飛行場航空写真

鳴尾飛行場とくれば、戦争中の飛行場を連想する方が多いかと思います。ここには海軍の飛行場が設置され、戦後3年目の写真でもX形の滑走路がまだくっきり見えます。甲子園球場の場所がそのままなので場所特定も楽勝ですが、ああ、ここを国際空港候補にしたのねと。

しかし、一つ引っかかっています。鳴尾飛行場はニッチな分野ではメジャーなのかWebで取り上げる人も比較的多めですが、Wikipedia先生はもちろん、どこの資料にもここは昭和18年築と書いてあるのです。新空港の話が持ち上がった昭和8~9年には影も形もないはず…。

戦前西宮甲子園付近地図
(『昭和の郊外 関西編』p438より)
と思いきや、昭和9年(1934)の地図を見ると右端に「川西製作所」と書かれた飛行場と格納庫らしきものが見えます。
昭和5年(1930)に鳴尾に飛行機開発の工場が建設されていますが、「空港」にしては小さすぎ。しかしながら、空港を作る下地がないことはなかったということですね。

しかし、こうして調べてみてわかることがありました。甲子園球場って西宮市だったんだなと…なんだか甲子園だけ「甲子園市」のような錯覚が(笑)

この阪神国際飛行場バトルは双方とも一歩も引かず、どちらも一長一短あり空港誘致バトルは膠着状態に。結果として、軍配は当時航空を管理していた逓信省の仲裁により大和川にあがります。
誘致に破れた兵庫県ですが、大和川の「第一飛行場」に対し、大阪との県境の川辺郡神津村に予備としての「第二飛行場」建設の許可をもらいます。国がどちらの顔も立てるため玉虫色の御沙汰を下すことは、政治史にはよくあることです。
しかしこれが、日本航空史屈指のドラマへの始まりでした。

一件落着と思われた戦前の「関西国際空港」バトル。ほっと胸をなでおろした大阪市ですが、まだ波乱は続きます。

空港の下剋上

大阪の空港は、

大阪第一国際飛行場:大和川河口(大和川飛行場)

大阪第二国際飛行場:兵庫県川辺郡神津村

の2つが建設されることになりましたが、大和川国際飛行場(仮称)は、将来を考えるとやはり手狭と海軍からクレームがあがり、煙霧の害も改善せず、ここ不適格じゃね?という声もあがってきます。しかし大阪市はそんなの関係ナッシングとお構いなし。

昭和11年に大阪市によって編纂された資料によると、

『大阪市政』より大和川尻の海岸約百萬平方米を埋立て、これに理想的飛行場を建設する計画を樹て、昭和八年七月より工事に着手し目下埋立て工事中である。
(653ページ)

いったん出たションベンはもう止められないようです。しかし、昭和10年には完成しているはずでは?(笑)

さらに興味深い記述が続きます。

『大阪市政』よりこれと同時に住吉公園より同飛行場に通ずる新設連絡道路の建設に着手した。
(653ページ)

今を見ればわかるように、大和川国際飛行場(仮称)は未完に終わっています。当然遺構なんて残っているはずもないですが、ただ一つ、残滓と言えるものが残っています。それが住之江区を東西に横断する通称「住之江通」

 

住之江通大和川飛行場戦前
(1937年大阪市地図より)

赤い矢印の道路が、「飛行場に通ずる新設連絡道路」です。今でこそ住之江から南港ニュータウンへと通じる道路ですが、そもそもは南港にできるはずだった空港の「連絡道路」の残滓だったのです。今なら関空の連絡橋というところか。

そんな頃、あくまで予備扱いの「第二飛行場」は、昭和11年(1936)に建設が始まりました。

大和川国際飛行場(仮称)がとんだポンコツプランとわかり、ニヤリと笑った組織があります。

大阪市営空港は死んだ、なら代わりに俺様が空港を作ってやるぜ!蚊帳の外と思われていた大阪が名乗りを上げます。

くどいようですが、じゃありません、です。

 

大阪府立空港東大阪盾津

既に建設が始まっていた「第二空港」が36万坪に対し、「大阪府営飛行場」は50万坪。同じ頃の羽田飛行場とほぼ同規模ですが、あっち(「第二空港)よりも敷地広いぜ!と府は猛アピール。

記事には、

「大阪府では逓信省、大阪市の協力のもとに優秀な「大阪国際飛行場」を大阪東郊に建設すべく具体的計画を進めている」

とありますが、大阪100年の「府市合わせ(不幸せ)」の歴史を知っている人なら、

大阪市と協力って絶対ウソやろ!www

と鼻で笑ってしまうはず。だって、絶賛頓挫中とは言え、大阪市は大和川国際飛行場(仮称)プランを捨てたわけではないから。当時の大阪市の傲慢不遜っぷりからして、自分の案を捨てて府に泣きつくとは考えられない。

「そんなケンカせずに、仲良く協同で作ったらええのに…」

外野はそう思うでしょうが、府と市はね、並の国なら内戦になっているほど仲が悪いのです。今でこそ府市の首長が同じベクトルを向いてるから上手くいってるけどね…

大阪府営飛行場(仮称)が用意した土地は、上の記事にもあるように東大阪の某所。記事内では大人の事情で記述を控えていますが、その後の消息を追っていくと「盾津(たてつ)という地区だそう。この盾津の名、しばし記憶しておいて下さい。次の記事のキラーワードとなります。

そして伝説へ…

大阪第二飛行場伊丹空港開港昭和14年

「第一」の大和川国際飛行場(仮称)計画が頓挫するなか、スペア扱いの「大阪第二飛行場」が昭和14年(1939)1月17日にオープンしました。
木津川飛行場の機能もすべて第二飛行場へ移転しお役御免、航空史の表舞台から姿を消しました。
が、あくまでここは「第二飛行場」。「第一」はどこにするかで折り合いがつかず、ついに国が仲裁に入ります。

 

大阪第二飛行場伊丹空港開港1939年

逓信省航空局長が来阪、飛行場について話し合いを行ったという記事です。

大阪国際飛行場は伊丹に落着こう」

見出しはこうなっていますが、書き方を変えると

もう伊丹でええんちゃうのん?

「大阪国際空港」の看板をめぐる大阪市vs府vs兵庫県の三国志っぷりに、長官の呆れ顔が垣間見えます。もうここでおわかりでしょう。「川辺郡神津村の第二飛行場」とは現在の大阪国際空港こと伊丹空港のこと。

そしてもう一つ、第二飛行場が無用のトラブルを生んだこんなニュースを。

 

大阪第二飛行場伊丹空港開港税関

大阪・神戸の税関が、正式に「大阪国際空港」に昇格した伊丹空港の管轄をめぐって、縄張り争いを起こしています。記事の概要を一言でまとめてしまうと、

大阪税関:名前は大阪やさかいうちの管轄ややろ!

神戸税関:住所は兵庫県やからこっちやし!

大蔵省「ケンカはやめて~!」

3行で済みます。役所どうしでお前ら何やってんねんと。
「第二空港」の分際で目立ちやがって…と歯ぎしりしている「第一空港」のはずの大和川国際飛行場(仮称)さん。ここで大阪市は起死回生の策を持ち出…せずはずもなく、「予備」のチヤホヤぶりに指をくわえるのみ。
現実として、補欠の「第二」がエースの「第一」のお株を奪う下剋上が起こりました。

そして対米戦争へ。
半鎖国状態と化した日本は旅客輸送にまわす燃料の余裕すらなり、旅客としての空港の歴史は、ここでいったん幕を下ろします。
大阪市のメンツを賭けた空港計画も昭和17年5月、逓信省の指示で白紙撤回。大阪市が夢見た国際空港の夢は、完全に潰えました。

空港用の敷地は宙ぶらりんとなりましたが、戦後に貯木場や倉庫、団地等に再利用され、新交通ニュートラムが走るニュータウンとして再利用されているのは、現在の南港を見ればわかります。
コンクリートの林と人々の雑踏の中、文字通り煙霧の奥に消えた大和川国際飛行場(仮称)は、知る人ぞ知る伝説として昭和史の大河の中に流れています。

そして、大阪の空港を掘っていくうちに、新たな謎が…

 

 

 

 


『大阪市政』(大阪市/編)
『新修大阪市史 第7巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集)
『あったかもしれない日本』(橋爪紳也 著)
『国立国会図書館デジタルコレクション』
『日文研 所蔵地図データベース』
『神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫』
『今昔マップ Web版』
木津川飛行場跡の碑[新木津川大橋北詰] 船町 1 , 2 – 大阪市
大阪港の港勢と建設の歴史(大阪市立大学)
Wikipedia
他ブログ数点

 

  1. ただし、東北では地震や冷害による凶作が続き未曾有の惨事に。
  2. 現在の甲子園球場の南側

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