大江ビルヂング

野良歴史家の歴史探偵

所は大阪市北区。地下鉄の駅で言うならば淀屋橋駅と梅田駅の間の界隈をブラブラ歩いていると、こんな素敵な建物を見つけました。

 

大江ビルヂング

大阪市内には戦争の空襲の衝撃や猛火にも耐えた、大正時代から昭和初期、たまに明治時代に建てられた、レトロな香りがする建築がけっこう残っているのですが、これもその一つに違いない。

 

大江ビルヂング

名前は、

グンヂルビ江大

…なわけがない。これじゃ日本語になってへんし。当然ながら、

大江ビルヂング

右から読むとビルの名前になります。
「ビル」というと、我々戦後の世代は何十階建ての垂直に建つ高層ビルを思い浮かぶことが多いです。これは和風のような洋風のような、なんだかどう表現してええのか言葉に困る、独特のたたずまいをした和洋折衷「ビルヂング」であります。

「ビル」でもなく「ビルディング」でもなく、「ビルヂング」というところがなんとも時代を感じます。
それより、右読みだけで相当レトロな雰囲気を醸しだしてます。というか、「ビルヂング」という名前自体を文化財に登録してもいいのではないかというレトロ感。

 

そこで、私の中にある好奇心の血が騒ぎ出しました。
このビルの正体は一体何なのか?
一昔前なら家に帰ってパソコンで調べて…となるのですが、今はスマホ全盛の21世紀、手持ちのスマホですぐに調べることができます。とても便利な世の中になったものだ。

しかし、ここであることがわかりました。「ビルヂング」なんて「ビル」やん~と面倒臭がって「大江ビル」で検索すると、中央区にある全く別の場所にある別のビルがヒットしています。ググる時は本名(?)の「大江ビルヂング」で検索して下さいね。

 

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大江ビルヂングの長い歴史

大江ビルヂングは、大正10年(1921)に建てられたテナントビルで、大阪初のオール賃貸型オフィスビルとしてスタートしました。ビルから声が聞こえる・・・。

あたし、こう見えてもオフィスビルなんです♪

でも、来年で築100年。もうBBAやん…

BBA言うな!!

 

設計は葛野壮一郎(かどの そういちろう、1880- 1944)という建築家が行い、同じく大阪市の渡辺橋にある「中央電気倶楽部」という建物も設計しています。

 

大江ビルヂング

こう見ると、ものすごく重厚感がある石造のビルに見えます。直線を多く使うことによって重厚感を増している気がします。建築学に詳しい人によると、西洋の新古典主義様式やルネッサンス様式、あるいはウィーン分離派の様式がところどころに散りばめられているユニークな建物で、和洋折衷ながら「ほぼ洋風」とのこと。

まるで高級な石が使われたような高級感があるのですが、石造り見えるのは実はフェイクで、ただの鉄筋コンクリート製です。

 

大江ビルヂング

サメというか、シャチのような青銅製の雨除けのひさしが、入り口にあります。戦前の建物には、玄関に「車止め」を造っていたことが多いですが、これは「車止め」にしてはやけに小さい。

 

大江ビルヂング玄関のひさしを下から撮影

コンクリの塊のよーな建物にちょこんと付け加えられた青銅のひさしは、ひさしという実用性の他に建物にアクセントをつけるためのデコレーションとしても、立派に存在感があります。
そして、建物に威厳をつけるためでもあると思います。
これは、何も気まぐれでつけられたわけではなく、絶対に計算されたものに違いない。

さて、気になる中身は・・・

 

大江ビルヂング正面玄関

重厚な茶色のドア。
何か「懐かしさ」を感じる、レトロな扉ですね~。

 

大江ビルヂング正面玄関のタイル

そして、お客を迎える玄関の床は、こんなタイルで装飾されています。
このいかにも戦前感たっぷりのタイル装飾を見た時、10年ほど前に訪ねた京都の「泊まれない旅館」を思い出しました。

「泊まれない旅館」って何やねん!?と思われますが、これは京都市内にあった旧島原遊廓に建てられた元揚屋、「きんせ」のこと。今はカフェとして開放されています。

泊まれない旅館「きんせ」の正面玄関

「きんせ」に入ると我々を歓迎してくれる、玄関のタイル張りです。
「きんせ」は、外観は純和風ながら、一歩入るとこのように超洋風。このすさまじいギャップの虜になってしまう不思議な建物です。建てられた時期は不明だそうですが、大正時代後期にダンスホール付きに改造された和風建築、たぶんこの大江ビルヂングと同時期にリフォームされたのだと思います。
おそらく、大正時代にこんなタイル装飾が流行ったのでしょうね。

 

大江ビルヂング裏口

大江ビルヂングには、裏口も存在します。

こちらはこれといって特徴もないですが、正面入り口が立派なのでついつい裏口の存在を忘れてしまいます。

 

大江ビルヂング散髪屋

ここの地下には散髪屋も存在します。

地上だけでなく地下もそこそこ立派なのですが、その一角に古くからやってそうな散髪屋があり、¥3500で散髪してくれるそうです。近代建築に興味がある方は、髪を切ってもらいながらここの歴史でも語ってもらってもよろしいのではないでしょうか。ご主人がビルに詳しいかは知らんけど。

 

話をもとに戻します。大江ビルヂングについてある謎が浮かびます。
なんで…とは言わないけれども、こんなオフィスビルが何でこんな場所に建てられたのか。
別に作りたけりゃ作ったらええやん!と言われればそれまでですが、一言で片付けたらせっかくのブログがそこで終わってしまう。
それに、今でこそ5階建ての建物なんか掃いて捨てるほどありますが、大正時代で5階建てというと、大阪で言うならあべのハルカスとは言わないが、梅田のグランフロント大阪並の「高層ビル」に等しい規模やったりします。階数は当然負けるけれど、平屋かせいぜい2階建てがメインの中に5階建ての威圧感は、10階20階建てなんて当たり前の我々の時代の人間には理解できないと思います。
そんな「高層ビル」を、和洋折衷の香りがムンムンする個性的なビルを建てるのには、何か理由があったはず。

そのヒントが、実はこの界隈にあったりします。

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