井上成美記念館を訪ねて2022年 後編 

井上成美記念館歴史探偵千夜一夜
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井上と英語-なぜ彼は英語教育を貫いたのか

前編でも述べたように、戦後の井上は公の場に出ることもなく、ここ長井で海軍の提督とは思えないほどの貧困生活を送りました。
しかし、井上が「すごい人」というのを間接的に耳にした、もしくは本人が醸し出すオーラで察した地元住民が、

住民
住民

それなら英語を教えてもらおう

とお願いし、彼の海軍時代の語学力を活かした英語教室が始まりました。
そんな中、長井の住民が井上に尋ねました。

兵学校校長の時に世間の反対を跳ねのけて英語教育を続けたそうですけど、それはなぜですか?

井上の答えは明快でした。

「米英と戦争していたからですよ」

兵学校校長時、

国民
国民

英語は”敵性語”だから排除せよ!

という声に対し、

井上
井上

そんなものは島国根性の視野狭窄、笑止千万!

と一蹴。世間の空気に忖度した学校のほとんどが授業から英語を排しましたが、兵学校は終戦による消滅まで英語を無くすことはありませんでした。

外国語を勉強するとは何ぞや。
外国語でメシを食っている一外国語使いとしての回答は、対象国・地域への多角的理解。人の読み書き聞く話すの技術はあくまで「対象国への理解」への道具ツールにすぎません。

私が受験生の頃の某外大のパンフには、学長の受験生へのメッセージとしてこんなことが書かれていました。

「外国語大学は、言葉を使って対象の国・地域の文化ををあらゆる角度から勉強する場所です。『◎◎語ペラペラ』という口先の技術だけが欲しい人は、本学ではなく街中の語学学校か専門学校へどうぞ」

約30年前の某外大の受験生向け案内冊子(筆者の記憶による概略)
筆者
筆者

ぜ、全然歓迎されてね~💦💦💦

こんな基本もわからん低レベルはこっち来んな!的メッセージに目が点になりましたが、今に思えば「外国語を学ぶとはいったい何ぞや」という神髄が、この短い言葉で凝縮されていました。

外国語大学って外国語を学ぶところじゃないの?

答えは是であると同時に否。上のようなキツいのは珍しいですが、「外国語学習とは相手国・地域への多角的理解なり」は外大や外国語学部(今なら国際教養学部もそうかな)のパンフにくどいくらいに書かれています。

しかし、これで終わりではありません。
他国の文化を何十年も勉強し、それをかがみにして自国(日本)文化を客観的に見る道具にする。
ここまで勉強を極めると、対象国だけではなく日本文化・日本人の本質が、レントゲンやCTスキャンのように透けて見えてきます。
外国語学習の究極の目標がこれ。5年10年ではたどり着けない境地ですが、ここまで到達すれば立派な「○×語柱」「特級外国語師」です。

井上が初海外留学に向かうとき、先輩の堀悌吉が井上にこうアドバイスしました。

堀悌吉
堀悌吉

話す聞くなんて小手先の語学なんて学ばなくてよろしい。重要なのは相手の文化だ。相手がどの場面でどういう思考をするのか、それを勉強して来い。

堀悌吉は歴史の表には出てこないですが、海軍史においては超がつくほどの重要人物。山本五十六の無二の親友であり、頭が切れすぎて危険人物扱いされ、中将でクビになった人です。
井上へのアドバイスからもわかるように、掘は外国語使いとしてもハイレベルだったのです。

閑話休題それはさておき

大阪に、「大阪女学院」という学校があります。大阪人には説明不要なほど有名な女子校ですが、戦前は「ウヰルミナ女学院」という名前でした。

それが昭和15年(1940)、文部省からの「お願い」により「大阪女学院」に改名させられた・・・・・とのこと。今はなぜか削除されていますが、一昔前の大阪女学院のHPの沿革には「強制でした」とはっきり書かれていました。削除されるなら魚拓とっとけばよかったけれども、紙ベースの校史には書かれているはず。
なお、こちらも大阪ではおなじみ「プール学院」も同年に和風に改名させられ、HPでも「変更させられた」とあります

ただし、プール学院が戦後すぐに復名し現在に至るのに対し、大阪女学院はウヰルミナに戻っておらず。「強制」なら戻せばいいのに…という謎が。大学HP(以前は大阪女学院全体)のサードドメインは“wilmina”なので、名前自体は捨ててはいないっぽいのですが…気になって仕方ないので誰か大阪女学院の中の人に聞いて下さい。

他にも、カナ名の芸能人や店名が改名させられたなどなど、国による改名の話は枚挙にいとまがないですが、前編でも触れましたがこれ、日本政府は全面否定しています。

政府
政府

あくまで『要請』であって強制なんてし・て・ま・せ・ん!(ドヤ

これが、「昭和戦争期の敵性語排除」に対する文部科学省のコメントです。しかも、言ったのは本当に

文部省
文部省

改名して欲しいな~

というお願いベースなので、嘘はついていない。

しかし、戦前の官からの「お願いベース」はほぼ「命令」。露骨な官尊民卑だった戦前だとなおさらです。
しかも、自称愛国者が

模範国民
模範国民

お国の”命令”に従わないのか!!

国は「お願い」なのに、国の権威という虎の威を借りた狐が「命令」げ替え、言うこと聞かない人に圧をかける…当時はご近所コミュニティからハブられると配給の対象外になるなど死活問題だったので、内心イヤでも従わざるを得ない。
そして、末端の庶民にとっては、「国に強制された」という記憶しか残らない。

そして約80年後…国や自治体は確かに「お願い」だったけど、忖度した「模範国民」がそれを「強制」させた…「自粛警察」「コロナ自警団」なんて呼ばれていましたが…我々はほんの1~2年前に、同じようなことを経験しましたよね?

そう、確かに強制はしていないのだけれども…。コロナの件も、50年後には「国による強制だった」ってことになるはずです。このブログが50年残っている保証はないですが、50年早く「予言」しておきます。

今年、ロシアがウクライナに喧嘩を売る形で戦争が勃発しましたが、それでロシア語を排斥せよなどは、井上の言葉を借りればとんだ下衆の勘繰り。
地域研究としての外国語使いの私から見れば、

筆者
筆者

むしろロシア語学習ブームが起きて、外大のロシア語学科の競争率爆増。
NHKロシア語会話が視聴率20%になり、在日ロシア人が駆り出されて大忙しになる

くらいでないと、「先の戦争への反省」はしていないと感じます。

遺憾ながら特攻隊員は全員無駄死にだった…というのが私の持論ですが、その根拠がこれ。なぜなら、日本人は戦前と全く同じ愚をほんの1〜2年前にやらかし、しかも愛国保守を名乗る「浅薄軽率にして島国根性を脱せざる似而非日本精神運動家」ほど気づいていないから。それでいて何が「反省」だと笑止千万。靖国の草葉の陰で英霊が苦笑いしているぞと。

井上の「米英と戦争していたからですよ」は、これほどの深い意味を含んでいたのです。

おまけー多磨霊園に眠る井上の墓

11年越しの井上成美記念館リベンジMission Completeでハイテンションになった私、返す刀である場所へ向かいました。

場所は東京都西部にある多磨霊園。ここに井上成美の墓があるのです。

筆者
筆者

東京にこんなバカでかい墓場なんてあったんや…

と絶句するほどの広い敷地に迷子になりながら探すこと数十分(地図がないと大人が迷子になるレベル)、ついに見つけました。

多磨霊園にある海軍大将井上成美の墓

井上成美ではなく「井上家」の墓ですが、その中に最後の海軍大将は永い眠りについています。誰が置いたか、墓の前には帝国海軍の紋が入った木の板が供えられていました。

ここには、成美だけではなく井上家一族が葬られており、元記念館だった家を建てるきっかけであり、結核で亡くなった最初の妻喜久子、戦後に再婚した富士子、そして兄の秀二の名前もあります。戦後に息子を連れて実家に帰り、長井の家で亡くなった娘の静子の名前がないのが少し寂しい。嫁ぎ先のお墓に入ったのだろうか…。
末席に名前がある秀郎は秀二の次男で、高校や大学で数学講師をしていたとのこと。秀二が土木系エンジニア、成美が海軍、そして秀郎が数学教師。井上一族は理系家系だったのでしょう。

井上成美記念館再建への思い

前編で述べた「海軍三羽烏」のうち、山本には故郷の新潟県長岡市に単独の記念館があり、米内は単独の記念館こそ存在しないものの、盛岡市の先人記念館に故郷の偉人として常設ブースが設けられ、阿川『米内』に書かれている資料の現物の数々が展示されています。阿川『米内』読了派にとっては目の保養になること間違いなしなので、盛岡に行った際は時間を割いてでも行くことをおすすめします1

米内光政と山本五十六の墓

また、個人的にも両者のお墓に参っております。

しかし、井上は上述のとおり記念館は閉館し、邸宅もその寂しい姿をあらわにしています。定期的に掃除をしている形跡があることだけが、唯一の救いです。

閉館した記念館には、当時展示されていたゆかりの品などがまだ残っているはず。記念館は閉館しても所有権はこの家の主にあるとは思いますが、それをこのまま朽ち果てさせるのはもったいない、否、歴史の損失です。
旧宅は震災で半壊したように、保存するには限界があります。なので、交通には極めて不便である長井の地にこだわることなく、横須賀市のどこかに遺物や旧展示物を移転し、井上の名前を後世に語り継ごうではないかと切に願っています。

大日本帝国海軍関連の記事はこちらもどうぞ!

  1. 先人記念館は新渡戸稲造や金田一京助などのブースもあり期間限定の特別展示もあるので、半日いても飽きない。
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コメント

  1. のらくろ二等兵 より:

    https://www.athome.co.jp/kodate/1000265880/?DOWN=4&BKLISTID=004LPC&sref=list_map
    横須賀市 長井6丁目 (三崎口駅 ) 平屋建 2LDK

    売りに出ているようですね。雰囲気的には在日米軍の住居のような感じですね。

    自分にも陸軍中野学校出身の知人(故人)がおり、陸海軍の軍人話には胸が熱くなります。

    • 米澤光司 より:

      >のらくろ二等兵様

      コメント及び情報ありがとうございます。
      これは元井上邸で間違いないですね。中は完全リフォームされて昔の面影はないようですね。
      しかし8000万円か…。

      旧帝国陸海軍、海軍に限って言えば艦艇や戦史などは昔ながらのマニアもおり掘り尽くされた感がありますが、人物誌は有名どころ以外は掘り尽くされていない感がありますね。

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