【前編】『火垂るの墓』の史実との矛盾を考察する

火垂るの墓サムネ前編 野良歴史家の歴史探偵
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清太の父は本当に『摩耶』に乗っていたのか?

ネットでささやかれているウワサがあります。それは、清太の父が『摩耶』の艦長だったというもの。この記事のため、改めて『火垂るの墓』をノーカットで見てみました。が、劇中では艦長の「か」も出てこず。

原作では清太が「巡洋艦『摩耶』にのりくみ」と述べていますが、それは観艦式の話で昭和20年の話にあらず。観艦式の記憶からの清太の思い込みの可能性と考える方が妥当です。

何故ならば、昭和17年頃から機密保持が厳しくなり、どの艦に乗っているかは家族にも言ってはいけないことになったから。「巡洋艦に乗ってる」「飛行機に乗っている」くらいはOKですが、「戦艦『長門』に乗っている」など具体的な名前や勤務地を出すのはNGどころか、機密漏洩として刑事罰の対象です。

今の海上自衛隊でも、機密保持がいちばんうるさい潜水艦のクルーは、家族にすら乗っているフネの名(「潜水艦に乗ってる」くらいは言っていいらしい)、航海スケジュールを言うのは厳禁です。呉で聞いた話ですが、海自の中でも潜水艦乗りの独身率・カップル破綻率がダントツに高いのだとか。

哨戒機パイロットの知人がいたのですが、

「哨戒機ってどんなの?」

「どれくらいのペースで飛んでるの?」

「(尖閣諸島をウロウロしてる)中国潜水艦を見つけるコツってあるの?」

と根掘り葉掘り聞いてみても、一切教えてくれませんでした。私も上手下手を駆使し、どうにか聞き出してやろうと頑張ったのですが、向こうの口の堅さの方が上でした。

 

しかし、父親が『摩耶』の艦長という話が広まって時間が経っているのか、SNSなどでは定説として固まってしまっています。劇中では全く語られていないソース不明の半ガセネタなのに、何故こうなってしまったのか?

私が推定する拡散シナリオは以下の通り。

観艦式で『摩耶』に乗組が一人歩きし、昭和19~20年もずっと『摩耶』乗組という思い込みが拡散。それが広まりいつの間にか「常識」となって定着したと。

結論から言います。昭和11年の『摩耶』に乗っていたから8年後も同じ『摩耶』に乗っているなんて、そんなもの海軍の諸制度を知らない素人の思い込み。
微々たる存在ながら昭和史を研究する一歴史家として、まずこれを強く否定しておかなければなりません。

 

兵・下士官であれば、同じ軍艦に何年も勤務し、その艦のスペシャリストになることは十分有りえます。海軍に奉職して25年、ずっと戦艦『長門』一筋で『長門』のことなら何でも知っているという、海軍記念物のような下士官・・・ならゴロゴロいました。

しかし、士官は1~3年おきに定期異動を繰り返すもの。
士官が同じ艦(持ち場)に8年も9年も勤務していたなど、私が知っている限り、『長門』建造の都合で呉工廠長に9年就任していた野中季雄元造船中将くらいです1。野中はエンジニア提督(技術士官)ですが、兵科でこういう人物がいたら、こんな人いたよと直メールで指摘下さい。

ドライで申し訳ないですが、これが史実です。

 

世界には、ある共通ルールで結ばれた集団が3つ存在すると言われます。
一つ目は共産主義者。世界中の左翼は頭の中がみんな同じ思考です。おそらく我々の知らない「テンプレ」が存在するのでしょう。

二つ目はキリスト教のカトリック信者。カトリックはローマ法王庁、俗にいうバチカンが管理している大組織で、ミサの方法や聖書の解釈まで、すべて統一されているのだとか。

そして三つ目が海軍
海軍は海という自然の魔物を相手にするせいか国を超えて仲が良く、世界のほとんどがイギリス海軍をベースにしているため、ルールがほぼ共通しています。そして何より、国を超えた横の連携が非常に強い。

その海軍世界共通ルールの一つに、「軍艦の艦長は必ず大佐があります。
英語で「艦長」はCaptain。これは中学英語レベル。が、Captainにはもう一つの意味があります。それは「海軍大佐」。手元の英和辞書を引いてみて下さい、隅に小さく書かれています。
同じCaptainでも、陸軍や空軍は「大尉」なのですが、海軍だけは大佐。これは艦長=海軍大佐という世界共通ルールから来たものです。
当然ながら、いちおう「軍隊ではない」海上自衛隊もそのルールに従っています。

 

大日本帝国海軍も、当然このルールです。戦艦・空母・巡洋艦の艦長はすべて大佐。『武蔵』のように少将が就くことがありますが、これは適当な人がいなかっただけの例外中の例外。
こう書くと、たまに「駆逐艦の艦長は中佐だぞ!」と噛みついてくる輩が来ることがあります。はい、その通りです。駆逐艦の艦長は中佐、潜水艦は少佐が艦長です。

が、駆逐艦(と潜水艦)は、厳密には軍艦ではなく「補助艦」扱い。比喩がちょっと無理やりですが、エンジン付きの乗り物でも軍艦が車なら駆逐艦は原付バイク。軍艦ではない以上、別に大佐でなくてもいいのです。

 

もし清太の父が「巡洋艦」の「艦長」であると設定されてた、もしくはそういう前提で論じるならば、必ず大佐でなければいけません

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劇中で出てきた父の写真です。これは夏服(正式には『第二種軍装』と言います)なので肩を見れば階級がわかるのですが…ん~なんだかビミョーにわからない。

しかし、昭和11年で大尉なら、昭和20年前後なら艦長になる資格を持つ大佐にはなっているんじゃないの?という疑問も出てきます。

海軍軍人がどれだけの速度で昇進するかは、海軍兵学校を卒業した時の成績である「ハンモックナンバー」で決まりました。

この「ハンモックナンバー」で、海軍軍人としての出世が決まると言っても言い過ぎではありません。「ハンモックナンバー」は首席から最下位まで全員、官報に晒されます。Wikipediaの海軍軍人の欄を見ると「兵学校入学時成績」「卒業時成績(=ハンモックナンバー)が書かれているのは、成績が公文書として残っているから。

ちなみに、陸軍の士官学校の成績は最後まで「極秘」扱いの非公開だった上、終戦直後に焼却処分されたものが多く、陸軍軍人には成績がほとんど書かれていません。

そこで、実在の海軍士官14人をWikipedia先生から無作為に選び、大尉から大佐になるまでの平均期間を抽出しました。昇進に左右する「ハンモックナンバー」も、首席の堀悌吉中将(32期)から最下位から11番目(107番/118人)の木村昌福中将(41期)までバラバラに抽出し、バランスを考えました。

そこで出てきた平均値は、14.8年でした。ほぼ15年というところか。

 

海が似合う立派なネイビーとして成長し、めでたく大佐になりました、ではすぐに艦長…って海軍はそんな甘い組織ではありません。

それどころか、大佐になったと同時に、

「今までお役目ご苦労さん」

と予備役編入(クビ)になるのが実情です。大佐昇進と同時にクビ、これを海軍では「名誉大佐」「成りチョン」と呼んでいました。今なら「なんちゃって大佐」という感じですね。

海軍は、自分から辞めたりよほどの不祥事を起こさない限り、大佐(実質中佐)までは完全保証してくれます。しかし、大佐昇進と共に3割~5割はクビ。艦長になれるのも、「クラス」という同期の中の15~20%ほどと狭き門なのです。

有名どころの山本五十六の場合、大尉から大佐になるのに14年、軽巡『五十鈴』艦長になるのに更に5年かかっています。

逆に山本と同期で首席の堀悌吉も所要14年ですが、大佐昇格と同時に艦長になっています。これも「ハンモックナンバー首席」だからこその特別待遇でしょうが、山本五十六とここで5年のキャリアの差が生まれます。

堀悌吉は兵学校歴代2位の成績で卒業した伝説の超秀才ですが、それでも艦長になるまで14年かかっています。艦長というものはそれほどの地位であり、憧れでもあったのです。

「艦長やったらもうお腹いっぱい。明日軍人辞めてもいい」

(逆に言うと、1日でいいから艦長やってから辞めたい)

と某少将が言っていましたが、これが偽りなき軍人の本音でしょう。

 

戦争で昇進が早まったという事情もあるかもしれません。事実、兵・下士官の世界では戦争特需といってトントン拍子に出世する人もいたそうです。

しかし、士官の世界はそうはいきません。ましてや艦長となると数百人~数千人の命を預かる身。そうやすやすと艦長にはさせてくれません。

どれだけ厳しいかという一例を。

ある海軍少佐の奥さんが、旦那が任務でいつも不在のため、寂しさのあまり魔が差して一夜だけの浮気をしてしまいました。それが発覚し旦那は免官、すなわち懲戒免職です。軍人の免官は過去1年分の給料を、即日満額返納せよというペナルティもあります。

この少佐の免官の理由は、

「奥さん一人管理できない人間が、艦長になって部下を統率できるわけがない」

という管理不行き届き。海軍士官は「艦長養成」がひとまずのゴールなので、艦長の素質がないと見なされた人は今すぐ海軍から去れという厳しい世界でした。

しかし、人事を預かる海軍省人事局がさすがにかわいそうだと思ったか、こうなりました。

「奥さんと離婚するか、予備役編入(免官と違い、企業で言えば普通解雇)のどちらかを選べ」

温情お裁きのような、究極の二択のような選択になったそうです。少佐が結局どちらを選択したのか、資料には残っていません。結局どっち選んだんやろ?とふと気になることがあります。

 

父の「神出世」?

仮に、兄妹の父が大佐で艦長だったとしましょう。

昭和11年で大尉で昭和19年のレイテ沖海戦で大佐となると、所要期間約8年で大佐になっているという計算になります。

敢えて関西弁で書きましょう。

 

ありえへん!!

 

絶対ありえへん!!

 

どれくらい「絶対ありえない」のか。

皇族軍人は昇進が新幹線ペースだったのですが、その中の一人高松宮宣仁親王2は11年かかってます。いや、恐れ多くも大元帥陛下こと昭和天皇でも11年かかっているのですが…。大元帥より進級が早い人って宇宙人か?

 

皇族でもないのに異例のスピード出世をした海軍軍人が、過去に一人だけいます。

 

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財部彪たからべたけし(1867-1949)という大将がいました。海軍通でも知る人ぞ知るという程度の知名度です。別に殊勲をあげたわけでもなく、特別優秀だったわけでもない。

そんな人が何故、皇族待遇のスピード出世をしたのか。

それは、日露戦争時の海軍大臣にして海軍のボス、山本権兵衛の娘と結婚したから。サラリーマン社会で言えば、創業者の娘と結婚して二代目社長候補になったような感じです。日露戦争の決死隊で有名になった広瀬武夫中佐(財部と同期)が、あいつのためにならないと結婚に猛反対したと伝えられています。

が、超特急切符を手に入れたがゆえに実力が伴わず、「奥さんの七光」「財部親王」などと、海軍を引退するまで陰口を叩かれ続けました。そして、今でも評価は芳しくありません。敢えて財部を庇うと、別に叩かれるほどのミスもしていないんですけどね。

しかし、帝国海軍史前代未聞超例外の財部をもってしても11年です。

アニメだフィクションだとは言え、兄妹の父が艦長という設定は史実と照らし合わせると、かなり無理があることがおわかりでしょう。

 

しかし、同じ『摩耶』乗組でも「副長」だったら全然あり得ます。

「副長」とは艦長に次ぐナンバー2の地位で、艦長の補佐役としてふつうは中佐が就きます。学校で言えば、艦長が校長なら副長は教頭か教務主任というところか。

海軍ではある不文律のしきたりがあります。

「艦長は艦と運命を共にせよ」

軍艦が沈む時、艦長は責任を取って艦と共に沈む。イギリス海軍から受け継がれた海軍鉄の掟です。聞いたことがある人も多いと思います。
日本海軍も艦長は軍艦と共に沈むのが決まり。何を間違って生きて帰ってきたものなら、すさまじいペナルティが待っています。

実はこれとは逆に、「必ず生きて帰ってこい」と決められている人達がいます。

軍人は戦争に行ったら必ず死んでこいみたいなイメージがありますが、とんでもない。生還するのが「仕事」であり「命令」である人もいます。

それが副長と主計長。艦長や艦隊司令長官から戦闘(作戦)中止・総員退避の命令が出ると彼らは超最優先で脱出できます。

主計長とは軍艦内の総務・経理部長ですが、彼が何故帰ってこないといけないかというと、『戦闘詳報』という戦闘記録の作成責任者だから。

主計長が作成責任者なら、副長は報告責任者。

軍艦単位でも『戦闘詳報』を作成しますがが、連合艦隊など艦隊単位にも主計長やナンバー2の参謀長がおり、彼らも独自に『戦闘詳報』を作っているため、副長と主計長に責任義務が生じます。

戦艦『大和』の沖縄特攻を例に取ると。

■第二艦隊司令長官:戦死(大和と共に沈む)
■艦長:戦死(同上)
■『大和』副長:生存
■『大和』主計長:生存
■第二艦隊参謀長(『大和』前艦長、森下信衛少将):生存(ただし重傷)
■第二艦隊付主計長:生存

あの『大和』特攻(坊ノ岬沖海戦)をもってしても、「生きて帰ってこないといけない組」は全員助かっています。

もし兄妹の父が「副長」であれば、艦が沈んでも生存する率が高くなることは事実。現実の『摩耶』も轟沈後に副長(と主計長)はすぐに駆逐艦に救助され、戦艦『武蔵』に収容されています

しかし、生きているならば『火垂るの墓』の物語自体が成立しなくなるので、それもあり得ないということか。

 

続きは後半へ…

さて、ここで前半は終了。

 

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兄ちゃん、記事ここで終わるのん?

ちゃうで、まだ後半があるんやで節子。

  1. 阿川弘之『軍艦長門の生涯 上巻』
  2. 昭和天皇の弟。最終階級は大佐。

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