浜口首相、東京駅で襲撃される
1930年(昭和5年)11月14日朝、濱口は東京駅を訪れました。
岡山県で行われる予定であった陸軍の演習視察のため、午前9時発の神戸行き特急『燕』に乗車の予定でした。『燕』は前月の10月に登場したばかりの鉄道省の看板列車。蛇足ですが、野球のヤクルトスワローズの「スワロー」はここから取られています。

当時の時刻表にも9:00東京発『燕』が掲載されています。『燕』は神戸行きなので、おそらく大阪か神戸で一泊し翌日に岡山行の列車に乗る予定だったのでしょう。
彼が『燕』が停車している4番ホームに上がり、最後尾の1等展望車に向かっていた矢先、銃声が響きわたりました。
列車の側に居た一団の群衆の中の一人の袖の下から異様なものが動いて「ピシン」と云ふ音がしたと思うた一刹那、余の下腹部に異状の激動を感じた。
引用:『濱口雄幸 随感録』(講談社学術文庫)
其の激動は普通の疼痛と云ふべきものではなく、恰も「ステツキ」位の物体を大きな力で下腹部に押し込まれた様な感じがした。それと同時に「うむ、殺つたな」と云ふ頭の閃きと「殺られるには少し早いナ」と云ふことが忽焉として頭に浮んだ。

首相の動向ということで、周囲には新聞記者も大勢詰めかけていた中の襲撃。その瞬間はカメラに撮られ、安全な場所に運ばれる浜口の姿が残っています。
一瞬の出来事で首相を取り囲むSP以外は何が起こったのか把握していないのか、ホーム上の駅員には笑顔すら見えます。何騒いでんだ?って感じだったのでしょうか。

この時、浜口内閣の外相幣原喜重郎もたまたま東京駅の同じプラットホームにいました。幣原はこの時の様子を、自伝にこう書いています。
その朝私は、ロシアに大使として赴任する広田(弘毅)君を見送りに東京駅へ行った。駅へ着くと(中略)広田君がもうそこに来ていたので、立ちながら挨拶を交わしたり、雑談したりしていた。と、いきなりパチパチとピストルのような音がする。私は多分、写真を撮るのでマグネシウムを焚いたのだと思っていた。
引用:『外交五十年』
突然、近くにいた警官が、「それ、やられた」と大きな声で怒鳴って、駆けていった。おやと思って向こうの方を見ると、大変な人だかりで、誰やら担がれていく。それは浜口首相であった。
幣原は浜口が収容された貴賓室に駆け込みましたが、その時に彼に言ったのが、浜口の有名な伝記のタイトルになった「男子の本懐」です。

犯人は、佐郷屋留雄という右翼青年でした。
佐郷屋は襲撃後すぐに取り押さえられましたが、警察に動機を聞かれるとこう答えました。

不景気を起こし失業者をいっぱい出し、ロンドン軍縮条約で軍に屈辱を与え、陛下の統帥権を干犯したからだ!!!
警察は続いて問いただします。

じゃあ、統帥権干犯とは何か、軍縮条約のどの点が屈辱か、失業者はどのような状態なのか具体例をあげて説明してみい
佐郷屋はこう答えたといいます1。

よくわかんない…
今でもネットに掃いて捨てるほどいますよね、社会や世間、政府に怒っているけれど、「じゃあ説明してみい」と言われるとできない人が。
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