遊郭・赤線跡をゆく

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遊郭・赤線跡をゆく

記録映画『赤線』から見る吉原のカフェー|遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

赤線時代の吉原を映した貴重な映像(前編)(後編)昭和33年(1958)、売春防止法が完全施行となり赤線の灯が消えましたが、その寸前の東京吉原を映した映像が残っています。当時警視庁の風俗営業取締部門に勤務していた小野常徳氏が自らカメラを持ち、...
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旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館)の秘密 第六章ートイレ

妓楼はトイレも豪華だった!1階の奥に鎮座するは、トイレです。そのまま便所なのですが、同じものが3つある。これって意味あるの?と。意味があるから分けているという前提での私の勝手な想像ですが、やはり他の遊客と顔を合わせないよう、個室形式にしたか...
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相馬中村遊郭(福島県相馬市)|遊郭・赤線跡をゆく|

常磐線原ノ町駅にある「馬追像」相馬と聞いて、たいていの人がまず連想するのが馬追祭りでしょうか。私もまずそれを思いつきます。相馬氏は武勇や戦略眼に秀でた当主を多く輩出し、あのイケイケだった伊達政宗でさえも退けています。関ヶ原の戦いでも、堂々と...
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八日市延命新地(滋賀県東近江市)|遊郭・赤線跡をゆく|

近江の「駅前遊郭」の歴史滋賀県のローカル鉄道、近江鉄道の路線が合流する街、八日市。江戸時代から商業の町だった八日市には人・モノ・金が集まる。そこには当然、色街もできあがりました。遊郭はその八日市駅の南側に位置し、俗に「延命新地」と呼ばれてい...
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旧川本楼(町家物語館)の秘密 第五章ー格子と玄関の仕掛け!?

奈良県大和郡山市にあった洞泉寺遊郭。またの名を「又春廓」その中に残るのが「旧川本楼」。大和郡山市が税金で買い取り残した遊郭の元妓楼で、現在は「町家物語館」として無料公開されています。ここの基本的な説明は、大和郡山市のHPを引用します。「町家...
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函館の「準遊郭」① 鉄砲小路 映画の舞台にもなった私娼窟|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭と私娼函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました...
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函館遊郭列伝 第三章 大森遊郭|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭その3 大森遊郭筆者江戸時代〜明治中期の函館遊郭については、こちらをどうぞ!火事で焼けた函館の遊郭、またもや移転を命じられます。函館市立図書館デジタルアーカイブより。「新」とついているので、遊郭ができた頃のものと思われ。函館市立図...
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中書島の遊郭跡 『赤線跡を歩く』にも掲載されたカフェー建築

京都市南部にあった中書島の遊郭には、『赤線跡を歩く』にも掲載された、あざやかな色使いのカフェー建築があったことを知る人も少なくなった。
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元妓楼から出てきた飛田新地の地図を考察する。

妓楼から出て来た古い飛田新地の地図とある遊郭の元妓楼(貸座敷)から、あるものが出てきました。箪笥の内側に地図が貼られていたそうなのですが、よく見ると「飛田新地」の文字が!そう、これは在りし日の飛田新地の地図なのですが、これはもはや古文書が見...
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性地巡礼 東京の元赤線、鳩の街のカフェー建築|遊郭・赤線跡をゆく|

戦後間もない東京に彗星のように現れた大型新人特飲街、鳩の街。寿命10年ちょっとで売春防止法によってその灯を消したものの、その名前は伝説として現在も残っています。歴史編は下記からどうぞ。本編は、現在の鳩の街はどうなっているのか、伝説のカフェー...
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性地巡礼 天王新地の今の姿は!?|遊郭・赤線跡をゆく|

現在の天王新地過去の探求はここで止め、現在の天王新地へと足を進めてみます。見ていて痛々しいほどに朽ちた新地の入り口。長年の劣化の中新しいものに替えられることなく、自然に朽ちるに任されています。かつてはこれに明かりが灯り、夜のオスどもを誘って...
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性地巡礼 消えた門司錦町のカフェー建築|遊郭・赤線跡をゆく|

門司の赤線ー錦町かつて海運などの交通で栄えた北九州の門司には、当然のごとく遊郭が存在していました。遊郭が空襲で壊滅した後は、新町(現在の錦町)へ赤線が移転し、特殊飲食店(カフェー)が並ぶ歓楽街となり、繁栄は売春防止法まで続きました。2011...
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