戦争遺構をゆく

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【神戸の戦争遺構】神戸郵船ビルに残る機銃掃射の弾痕

神戸郵船ビルは、大正7年(1918)に日本郵船神戸支社として建てられた、今年で築101年の重厚な建物です。1994年に大改築された際に耐震補強も施されたのですが、完成した途端に阪神・淡路大震災。もしこれがなければ、前述の海岸ビル同様全壊して...
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【大阪の戦争遺跡】遭難供養之碑ー阪和線美章園駅の空襲慰霊碑

JR阪和線の美章園駅の東側には、ある慰霊碑があります。手前の献灯は最近寄付されたもので目新しいですが、奥の碑はかなり古い模様。「遭難供養之碑」と書かれた慰霊碑です。慰霊碑は当時の駅員が山中渓駅あたりの和泉石を切り出し、運んで作成したもの。国...
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【名古屋の戦争遺構】港区錦町、名古屋の遊郭跡に残る機銃掃射跡

名古屋市のベイエリア、港区の錦町。この町の真ん中が「申」の形になっていますが、ここにはかつて稲永遊郭という遊里がありました。名古屋市の遊里の絶対的存在だった中村遊郭には絶対勝てない、永遠の二番手を宿命付けられた遊郭でしたが、最盛期には何百も...
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【大阪の戦争遺跡】福島区野田の機銃掃射の痕

大阪市福島区野田。のどかな住宅地が並ぶ隠れた大阪の下町の一つです。ここはまた、先の戦争の空襲の被害を受けなかった、大阪市の中でも珍しい地区の一つでもあります。その理由の一つに、「野田に高射砲があったから」伝説があります。現在の阪神野田駅の前...
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【大阪の戦争遺跡】福島区 JRガード下の機銃掃射の弾痕

神戸のJR三ノ宮駅のガード下に、先の戦争で米軍が来襲した際の機銃掃射の痕が残っているのは、すっかりお馴染みになりました。大阪市内にも、同じような弾痕が残っています。大阪環状線玉造駅の鉄骨には生々しい弾痕のあとが残っているのは有名になりました...
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【大阪の戦争遺跡】豊中市 庄内神社に残る機銃掃射の弾痕

空襲で焼けた豊中市の桜塚国民学校(現小学校)大阪府豊中市は、先の戦争で6〜7回空襲を受けました。死者575名、負傷者898人、罹災家屋3,540戸とかなりの被害を受けています。玉井町2丁目 第2公園の掲示より特に6月7日の空襲では、1トン爆...
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【神戸の戦争遺構】機銃掃射の弾痕が残る商船三井ビルディング

商船三井ビルディング洋風建築が多く残っている神戸の海岸通りの中でも、ひときわ存在感の大きいのがこの商船三井ビルディング。曲線を多く使っていることもあってが、その威風堂々とした姿と裏腹に、女性的な母性を感じます。そんな荘厳な建物にも戦争の傷跡...
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【神戸の戦争遺構】エルメス神戸大丸店ー機銃掃射の弾痕(旧居留地38番館)

神戸市の市街地ど真ん中に残る、先の戦争による機銃掃射の弾痕。前回は、神戸市立博物館に残る弾痕を紹介しました。機銃掃射の弾痕は至る所に残っていますが、今回はこんな場所も。エルメス神戸大丸店に残る弾痕エルメスと言えば、ブランドものに興味がなくて...
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【神戸の戦争遺構】阪急神戸三宮駅−焼夷弾の穴と炎が曲げた鉄柱

阪急三宮駅JR三ノ宮駅の隣にあるのが、「お阪急」こと阪急電鉄の三宮駅です。正式には「神戸三宮」なのですが、便宜上本記事では三宮駅とします。1936年(昭和11)に開業したこの駅は、「世界一格好いい駅」と呼ばれた超近代的な駅でした。地元では「...
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名古屋駅に残る戦争遺産-畜光タイル

JR東海の拠点である名古屋駅。この駅に、不思議なものがあるのをご存じでしょうか。7~8番線へ向かう階段。一見するとどこにでもある階段です。これは本当に名古屋駅の写真なのかと、痛くもない腹をまさぐられそうです。この階段の左右の端に、「あるもの...
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【神戸の戦争遺構】神戸市立博物館に残る機銃掃射の弾痕

神戸市立博物館に残る戦争の跡神戸の中心地、三宮の旧居留地の中心にある市立博物館の建物は、もともと横浜正金銀行神戸支店として昭和10年(1935)に竣工しました。戦後も銀行として使われた後、神戸市が使用することになり、現在に至っています。銀行...
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【神戸の戦争遺構】三ノ宮駅ー機銃掃射で穴が開いた鉄橋

神戸大空襲や終戦からすでに70年を過ぎ、戦争は過去の本棚で眠りにつくことが多い出来事です。さらに1995年の阪神淡路大震災で、神戸が多大な被害を受け建て替えなどが進んでいます。阪神淡路大震災でも24年経ち疵きずを探すのは困難になってきたのに...
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