東京都八王子市の田町周辺には、かつて全国的にも中規模の遊郭が存在していました。
現在は住宅地や倉庫、商店と姿を変えているのですが、現在でも遊郭・赤線だった時をしのぶ建物が残っています。
また、かつての区画や道筋、大門跡とされる場所などに、その痕跡を見ることができます。
本記事では、八王子田町遊郭の現在の様子を細かく解説していきます。
八王子田町遊郭の場所
遊郭があった田町は、八王子市の市街地の北部にあります。
遊郭があった場所は、地図を見てのとおり駅前・市街地からかなり遠いです。
徒歩だとけっこうキツく、バスなどの公共交通機関も(たぶん)ないので、ウォーキングと割り切って歩くか、駅前でレンタル自転車を借りるか、最初から車などで来るといいでしょう。
筆者は、初訪問時は往復徒歩でしたが、夏だったせいか死にそうになりました。
田町遊郭跡をゆくー残っていた妓楼

現在の田町は、会社のビルや倉庫・住宅が立ち並ぶ静かな町となっています。
ここが遊郭だった時代には、この道の両側に貸座敷が並び、中央線には桜が植えられていました。
新吉原遊廓の話でも述べたように、遊郭の大通りの真ん中に桜の木(など)を植えるのは、吉原の真似から全国へ広まった慣習のようなものになっていました。

ちょいと珍しい戦前の航空写真(昭和19年)の航空写真を見てみると、広い通りの両側に建物(妓楼)が並んでいるのがわかると思います。
現在は倉庫や商店になっているところにも、四角の形の妓楼が並び、戦争で焼けなかったこの遊郭の、明治からの姿がよくわかります。
なお、通りの中央線にあったとされる桜並木は、写真を見るとなくなっているようです。

今から12年前、2010年に訪問した時の大門通りはこうなっております。基本的な風景は、10年が経ってもほとんど変わっていません。

遊郭時代には、写真のとおり大門が入口に鎮座していました。
吉原大門の話でも述べましたが、大門は「ここから別世界ですよ」というシンボルで、一部の例外を除き基本的に扉はありません。
『全国女性街ガイド』によると、この大門は明治32年10月建立と刻まれており、遊郭がここに移転された時に建てられたことがわかります。

『赤線跡を歩く』によると、上の建物は「蓬莱」という屋号の妓楼の建物とのこと。しかし、私が持っている大正時代の地図によると、ここは「弥生楼」。「蓬莱」という屋号の建物は地図のどこにも見当たりませぬ。
どっちが合ってるかはさておき、たぶん建物自体は変わってないと思うし、屋号が後になって変わった可能性は十分ある。真偽はもう、あの世の世界で聞くしかありません(笑
今回は、『赤線跡を歩く』に敬意を表して、この建物は「蓬莱」で統一します。

2階部分の丸い電灯が、いかにも妓楼という感じですね。もう少し大きく、そこに屋号が書いてあったらもう「そのまま」やんと。建物自体は築何年か不明でかなり老朽化しているのは否めませんが、やはり何かしら「オーラ」を出しています。

航空写真で確認してみると、現在の姿ほぼそのままの形で存在していることがわかります。少なくても戦前からの生き残りですな。
ちなみにこの建物、まだ「現役」でアパートになっています。洗濯物も干してあったので、まだ住人がいるようです。

その横にある、現在は酒&業務スーパーになっているこちらの区画にも、かつては貸座敷が建てられていました。
赤線廃止後の地図には「旅館 福萬(万)」と書かれているので、旅館に転業したのでしょう。
もちろん、元々旅人が来ないようなド郊外の新地に旅館を作っても、泊まりに来る客はたかが知れています。なので、立ちゆかなくなって下宿屋(アパート)に再転業したり、土地や建物を売ってこの地を離れたのでしょう。
昭和40年代の地図でも、空き地・空き家だったろう空きスペースが歯抜けのように存在しているので。

そして田町に残るもう一つのビッグな妓楼がこれ。
堂々とした玄関もさることながら、こちらも奥行きが深く、かなり大きめの建物です。

こちらも、戦後すぐの航空写真にその姿を確認できるので、遊郭時代の建物の生き残りで間違いありません。しかし、一軒一軒がデカい。
2010年訪問時は、右側の駐車場に車も止めてあって、明らかに誰かが住んでいる形跡があったのですが、11年ぶりに訪ねてみるとまるで抜け殻。家が手入れされていない感が視覚ではっきりとわかり、荒れるに任せたその姿に時代の経過を感じざるを得ません。
田町遊郭跡にはもう一つ、気になる建物があります。

この建物は割烹だったようで、前回訪問した2010年にも存在していました。が、写真左側の玄関横にあった屋号の看板がなくなっているので、おそらく閉店してしまったものと思われます。

「八百福」という屋号が書かれた街灯(?)が、わずかに残されていました。
昭和40年代前半の住宅地図によると、「八百福」の位置には旅館があったようです。しかも、屋号はそのまま「八百福」…12年前の探訪では、建物の存在は確認しつつもスルーしていたこの建物も、元妓楼の可能性が高い。
いまいちど、昔の航空写真を確認してみましょう。

「八百福」の建物の場所に同じような建物を確認できます。現存の建物がイコールこれかは断言しかねますが、少なくても赤線廃止後は旅館だったことは確かなので、おそらく間違いないと思います。ただし、建物は建て直されている、あるいはリフォームされている可能性は高いと。
現存しない元貸座敷の建物
残念ながら現存はしませんが、以前訪問時には残っていた元妓楼の写真を。

2010年当時、八王子にはこんな建物も残っていました。
過去形ということは現在は残ってません。

玄関には「旅館 松屋」と書かれていましたが、私が訪れた当時もすでに蔦に囲まれ、人が住んでいる気配もなく廃墟と化していました。
しかし、役目を終え抜け殻になっても、建物から醸し出すオーラはハンパではなく、理屈抜きでこれは貸座敷の生き残りだなと感じました。

玄関横は、ちょっぴり洋風だったのが印象に残っています。
以前貝塚の「深川」で高級料理を食べた時に中を見物させてもろた時も、純和風の建物の玄関横に洋風の「待合室」があったのですが、これも恐らくは待合室だったのかなと、想像を旺盛にさせます。
まとめー八王子田町遊郭跡をゆく
・八王子市の北部、田町に遊郭跡が広がる
・当時の建物は少ないが、区画や道筋に痕跡がわずかに残る
・現在は住宅地や倉庫、商店などが並ぶふつうの町に
世界屈指のメガロポリス東京の西の片隅に、遊郭時代の建物が残っている奇跡。東京は空襲でことごとく焼け野原にされ、遊郭時代の建物はほぼ残っていないだけに、八王子のレアさが目立ちます。
👉八王子田町遊郭の江戸時代からの歴史は、以下の記事で解説しています



コメント