笠岡伏越遊廓跡に残る超レア近代遺産
岡山県笠岡市の遊郭を探索した時のこと。
歩けばあっという間に散策が終わってしまう伏越遊郭跡ですが、実は遊郭の敷地ギリギリ外にある貴重なモノが残っています。
それは何か。
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ただの石…これは境界柱(または境界杭)といい、土地と土地との境を示すために地面に埋め込まれるもので、それ自体は至る所にあり珍しくもなんともありません。
では、これのどこが超レアモンなのか。
柱に刻まれている紋のようなものに注目。なんだか山が二つ重なったかのようなこの紋…山陽鉄道の社章なのです。
あの関西の私鉄ではありません(あれは山陽”電鉄”)、山陽鉄道のことです。
山陽鉄道は明治初期に作られた山陽道を鉄道で結んだ私鉄で、日本初の「特急列車」を走らせたり、それに寝台車や食堂車を連結させたり(いずれも日本初)、私鉄らしい柔軟なアイデアで実現させていた会社でした。
しかし、明治39年(1906)12月に国有化され、現在はJR山陽本線となっています。
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山陽鉄道の紋を見ると、確かに境界柱に刻まれた紋と同じです。
山陽鉄道の紋がはっきり残る境界柱は、現時点で確認されている限り、ここ笠岡と神戸市須磨駅近くの2ヶ所のみ。日本でも2ヶ所しかない超レアな明治時代の生き残りなのです。
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しかも、須磨のはこのように風化が激しく、写真に写して加工してみないとわからないくらいの状態。目視はほとんど不可能と言っても過言ではありません。
筆者もめぼしい柱を手当たり次第の写真に撮影し、帰宅後に照合してやっとわかったに過ぎません。
それだけに、山陽鉄道の紋がくっきり残る笠岡の境界柱は、全国でも唯一残る超レア鉄道遺産なのです。
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こちらも遊郭跡…というより遊郭入口にある境界柱ですが、こちらは山陽電鉄ではなく「工」と刻まれています。これはカタカナのエではなく、漢字の「工」。
こちらは旧国鉄やJRの敷地ですよという印で、特に珍しいわけではありません。旧山陽鉄道が国有化されたのは明治後期なのでそれ以降のものと思われます。柱の風化具合を見ると、おそらく国有化直後〜100年前のものと思われます。
しかし、なぜ鉄道なのに「工」なのか、不思議に思いません?
これは一説によると、工部省の「工」と言われています。
工部省は明治18年(1885)まで存在した官公庁で、鉄道や製鉄など、近代化へのインフラ整備を一手に担っていました。今の国土交通省に相当します。
その工部省が改組後、鉄道事業は内務省や逓信省などにたらい回しにされた後、内閣直轄の機関として鉄道院(1908年設立)へ。「省」に昇格したのは大正9年(1920)と案外遅いのです。
境界柱マニア(そんなマニアも当然いる)によると、「工」マークは鉄道省以降も慣習としてずっと使用され、JRになっても初期はこのマークだったそうです。さすがに現在は「JR」らしいですが。
ちなみに、この境界柱は勝手に壊したり移動させてはいけません。破損させるとこうなります。
刑法 第二百六十二条の二
境界標を損壊し、移動し、若しくは除去し、又はその他の方法により、土地の境界を認識することができないようにした者は、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
刑法に抵触するれっきとした犯罪なのです!
俗に「境界損壊罪」と言うのですが、刑罰は案外重いのでくれぐれも壊さないように!
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