日本有数の温泉地として、もう説明すら不要な神戸の有馬温泉。
国内各地はもちろん、最近は海外、特に台湾人からなぜか人気があります。
実際、有馬を歩いているとところどころから中国語が聞こえるのですが、それは台湾の中国語。そんなのわかるのかって?わかります。

そんな有馬温泉への主要アクセスとしては、神戸電鉄の有馬線があります。
が、戦前には官鉄(国鉄)の路線も有馬温泉まで鉄道を敷いていたのです。なお以後、便宜上官鉄を国鉄と書くことにします。
1915年(大正4)、三田~有馬間に開通した私鉄有馬鉄道は、同時に国鉄が借り上げる形となり事実上の「国鉄有馬線」となり、5年後の1919年に正式に国鉄となりました。

駅舎を真正面に捉えた絵葉書の写真ですが、西日本の温泉の横綱、有馬の玄関口にふさわしい、堂々とした駅舎です。

違う角度から見た有馬駅の絵葉書を見ると、
「有馬兵衛の向陽閣へ!」
のCMでおなじみ(関西限定)の旅館の支店が、駅前にあったことがわかります。
有馬駅の斜陽
しかし、そんな有馬線に光が当たる時期も、さほど長くありませんでした。
有馬線には、致命的とも言える欠点を抱えていました。
それは駅の地理的位置。


実際に歩いてみるとわかるのですが、駅から中心地までは、ゆるやかとは言え上り坂。地理的にはとても「玄関口」とは言えません。
正直、なんでこんな中途半端な場所で鉄路を止めたのだろうか。
そしてとどめは、1928年(昭和3)に神戸有馬電機鉄道、現在の神戸電鉄が有馬温泉まで鉄道を開通させたこと。
こちらは、地図でもわかるように温泉街の入口近くに駅が開設され、しかも電車だから早いし本数も多い。客足は当然ながらこちらに流れるのは必然。
観光の足としての国鉄有馬線の存在感は、これで消えたも同然でしょう。
ところが、1940年(昭和15)の時刻表を見てみると、大阪から一本のみながら有馬までの直通列車が走っています。
他列車の併結なので編成数は少なかったと思われますが、5年前の1935年(昭和10)にはなかったことを考えると、好景気によるレジャーブームの名残が時刻表にあらわれていたのだろうか。
しかし、時代はレジャーだ何だと言ってられる場合ではなくなり、1943年(昭和18)には不要不急の鉄道路線として営業休止。
「休止」は情勢が落ち着いたら…という望みを持たせたものですが、おそらくレールも撤去された有馬線に復活の機会はないまま、現在に至ります。
航空写真に見る有馬線のその後
休止となった有馬線は、その後どうなったのか。それを示す資料が少ないので、百聞は一見に如かずと航空写真で見てみることにします。

戦後間もない1949年(昭和24)の有馬駅の航空写真は、写真の質が良くない上に天気も悪かったようで、このように輪郭がはっきりしないものしかありませんでした。
しかしながら、有馬駅の構内と駅舎が現存していることは、写真からでもいちおうは確認が取れます。
また、休止(事実上の敗戦)から10年も経っていないせいか、路線跡もくっきり残っています。

上は、その12年後の1961年(昭和36)の同じ場所の航空写真。前述のと違い、こちらは家屋が一軒々明確に確認できるなど、情報量と解像度が高いものになっています。
Wikipediaによると、昭和36年(1961)の「水害」により駅舎は崩壊→解体となったそうです。
が、駅構内はすでに整理され更地になってしまったようですね。
兵庫県の水害記録のHPを見ると、6月に死者26名を出した集中豪雨があり、さらに9月には有名な第二室戸台風も神戸を襲っています。
駅舎は、このどちらかで被害を受けてしまったのでしょう。
絵葉書を見ても、是非残ってほしかった駅舎だけに、残念です。

現在の有馬駅跡はどうなっているのでありましょうか。
気になる?見てみたい?なら次ページへ❗❗
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