【阪和線歴史紀行】東佐野駅と第ゼロ代「泉ヶ丘」

阪和線東佐野駅と泉ヶ丘の歴史 鉄道史
阪和電鉄天王寺駅

こちらはWikipediaでも公開されている、現在のJR阪和線の私鉄時代、阪和電鉄の天王寺駅の写真です。
たまにXにもこの写真を投稿するのですが、見てくれる人はまさかの場所(?)に目がいきます。

画面の右端…

阪和天寺駅と泉ヶ丘東佐野駅

赤で囲んだ「泉ヶ丘」の部分。

ツイ民
ツイ民

これって”あの”泉ヶ丘?

「あの」とは、大阪人ならおわかりのとおり、泉北ニュータウンの中心地、泉ヶ丘のこと。
しかし、あそこは戦後の昭和40年代に開拓されたところであり、しかも阪和電鉄はすでに国有化されています。
フォロワーさんも、それをわかっているからこそ、なんで泉ヶ丘?もしかしてオーパーツ?(笑
なんて混乱してしまうのです。

今回のお話は、そんな「忘れ去られた」というか、「第ゼロ代」というか、そっちじゃない方の泉ヶ丘の話を。

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泉ヶ丘と東佐野駅

結論から言ってしまうと、

大阪府泉佐野市泉ヶ丘

「泉ヶ丘」は現役です!

泉北の方ではない泉佐野市泉ヶ丘

しかも、私も本件で調べてハッとしたことが意外なことがありました。

筆者
筆者

泉北NTの方の「泉ヶ丘」、地名として存在せーへんやん…

生きてて50年、なんでこんなことに今頃気づいたのだろうか(笑

というわけで、「泉ヶ丘」という地名があるのは、ここだけなのです。

昭和14年大阪朝日新聞阪和電鉄の記事。泉ヶ丘、現在の阪和線東佐野駅周辺の住宅地の販売広告。
昭和14年3月の新聞広告

阪和電鉄は開業当初から沿線の住宅地開発・経営を行った土地開発業者・不動産屋の側面もありました。
阪和直営の分譲住宅地は、上野芝の「向ヶ丘」「霞ヶ丘」、現在の北信太駅前の「聖が丘」がありますが(脚注:富木駅前もあったが、未完の模様。また、和泉市の山荘や和泉砂川駅周辺など、現地地主経営の住宅地開発の提携も行っていた。)、「泉ヶ丘」もその一つ。
上の天王寺駅の写真から、阪和電鉄は昭和13年秋頃から泉ヶ丘住宅地の販売を開始したようです。

ここ泉ヶ丘を歩いてみると、他の阪和電鉄の住宅地とちょっと違和感がありました。
その違和感とは何か。

筆者
筆者

分譲当時の古い建物がない…

現在では建て替えが進んで数はかなり少なくなったものの、上野芝はまだ分譲当時、つまり戦前の建物がまだ残っています。

が、泉ヶ丘は一通り回って見ても、それらしきものが見つからない。一軒くらいあってもいいんやけどな…。

しかし、昔の建物をベースにリフォームされたのだなという建物は、数軒だけなものの存在していました。

泉佐野市阪和線東佐野駅の泉ヶ丘の大きな邸宅

戦前に流行った丸窓と半円の縦型の窓のコラボ…建物こそリフォーム済なものの、昔の建物をベースにしているに違いない。

筆者
筆者

しかし、この家デカいよな〜

なんて思いながらこの家の前に到着すると。

泉佐野市阪和線東佐野駅の泉ヶ丘の大きな邸宅
筆者
筆者

で、デカっ❗❗

と思わず声に出てしまったくらいのデカさでした。ここまで来ると、家というより「お屋敷」であります。

東佐野駅を舐め回してみる

1959年昭和34年阪和線東佐野駅前
1959年当時

昭和34年(1959)当時の東佐野駅です。
画像の向かって左側には泉ヶ丘の高級住宅街が当時からあったはずですが、とても信じられないような田舎感が漂います。

阪和線東佐野駅前
2025年撮影

昭和34年当時の同じアングルで撮影してみました。駅舎以外はがらりと様相が変わってしまっています。
駅舎はは当時のままなものの、昔の写真と比べてみるとやはり改装されていますね。

さて、駅構内に入ってみましょう。

JR阪和線東佐野駅構内の階段

改札口を抜けると、待っているは階段。

さすがは高級住宅街の玄関駅か、階段も心なしか劇場の舞台のように見えなくもない…。

駅のホームは対面式の2面2線になっており、入口は和歌山側ホームの1ヶ所のみ。
天王寺方面側のホームは、現在は跨線橋を渡ることとなります。

1950年阪和線東佐野駅
1950年東佐野駅

しかし、写真のように跨線橋は後年に架けられたもので、昔は平面の線路ない通路を渡る構造になっていました。

阪和線東佐野駅ホーム。昔の線路をまたぐ跡

ホームの端を見ると、このように線路を跨いで天王寺方面ホームへ渡っていた跡が残っています。昔は駅員が手動で遮断棒を操っていたか、駅構内踏切でもあったのでしょう。

しかし、何かおかしい。何か違和感がある…。1950年の写真と比べたら場所が違うではないかと。

阪和線東佐野駅ホーム

事実、天王寺方面ホーム側には「1966-10」の文字が。

では、上の写真はどこなのだろうか。

その答えは…「地層」にあり!

ホームにはその駅の歴史が刻まれた地層ならぬ、仮名として「プラットホーム層」なるものが存在します。
阪和線のホームにもそれが残っていることが多いのですが、東佐野駅も例外ではなかったようでした。

阪和線東佐野駅ホーム

ピンクで線を引いた直下に、斜めに線を引いたような「プラットホーム層」があることがわかります。
これがかつてのホームの端で、左側が開業した当時からのもっとも古い層、右が1960年代に増築された延長部分なのでしょう。

駅舎は開業当時から変わっていないはずなので…

1950年阪和線東佐野駅
1950年東佐野駅

この画像の右側へ行けば駅舎へ直行だったのですな!

ということはですよ?

JR阪和線東佐野駅構内の階段

この高級そうな雰囲気を出している階段は何?

おそるおそる横から覗いてみると…

なんや、後から追加されたもんやんかと(笑
それがわかると「劇場の舞台階段」のように見えてものが、急にチャチく見えてしまう。人間というものはまことに勝手なものである。

東佐野駅の謎明かし、これにてお開き。

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