現在、海外へ行くのは飛行機がメインですが、昔は、空の便もなきにしもあらずでしたが海(船)がメイン。そもそも海外へ行くこと自体が「洋行」といい、家族一族を巻き込むような大イベントでした。
神戸港は天然の良港。世界の貿易港と同時に客船の主要寄港地です。現在でも国際クルーズ船の寄港地となっていますが、昔はそれ以上に外国人が集まる国際色豊かな都市。今でいえば、シンガポールやUAEのドバイが日本国内にあったようなものです。
そんな国際港へは、船のスケジュールに合わせて臨時列車が運転されていました。
それは「ボートトレイン(Boat Train)」と言われていました。
横浜では大正時代前期から東京駅から横浜港への直行列車、ボートトレインの運行が始まっていましたが、関西では大正15年(1927)8月より、神戸から欧州航路向け便に合わせた、神戸港旅客ターミナルから直接乗車できるボートトレインの運転が始まりました。

当時の神戸港駅の位置はこちら。現在の第1突堤あたりで、横にポートライナーが走っています。

横浜に比べ、神戸港の実際のボートトレインの写真は少ないですが、これが数少ない写真のうちの一つです。
機関車には臨時列車をあらわすマークがついており、近寄ることすら恐れ多いような1等客車のフルコース。2等ですら庶民レベルは「清水の舞台から飛び降りるような贅沢」と呼ばれた時代の1等、洋行できるようなボートトレインの客層がうかがえます。
ただ、後述するようにボート・トレインの実際は2等・3等列車なので写真のものは船会社手配のチャーター列車なのでしょう。

京都・大阪〜神戸港間を走ったポート・トレインの実際の時刻表です。
京都発0:13→大阪着0:49/同発0:51→神戸港着1:32 (所要時間:1時間29分)

東海道線を西へ走ったボートトレインは、現在の摩耶駅から貨物線に入り、灘駅の横、通称「灘のタカバシ」を通り、赤線のルートを通って当時の第1突堤にあったフェリーターミナル(=神戸港駅)、現在の第4突堤へと進みました。
料金は以下のとおりです。
| 2等 | 3等 | |
| 京都〜神戸港 | 2円30銭 | 1円13銭 |
| 大阪〜神戸港 | 1円 | 50銭 |
同時期のビール1本45銭、かけうどん1杯15銭くらいですが、現在の物価換算ならだいたい2800〜3000を掛けると現在の物価感覚に近いとされています。2等なら¥6440円。京都から三ノ宮まで6千円出せますかと言われると、やっぱ高い。
ボートトレインの終点、神戸港駅の現在の姿

三宮からポートアイランドへ徒歩か自転車で向かうと、途中に神戸市の市章とQ2と書かれた建物が見えるはずです。

実は、ここがかつての国際旅客船ターミナル。そしてボートトレインが発着した神戸港駅。
世界中の客船を迎えた国際港、神戸の玄関の現在の姿なのです。
絵はがきはこの建物ができる前のものでしょう。
現在は「新港第四突堤Q2上屋」という名前で、こう見えても昭和8年(1933)竣工の立派な近代建築。
無駄をそぎ落としたモダニズム建築に当時流行の丸窓を配しており、現在も現役の倉庫として港湾会社に貸し出されています。


内部は非公開ですが、2023年に行われた「神戸モダン建築祭」の時に公開され、たくさんの人が訪れていました。
中の具体的な内容は、ググれば当時の参観者たちのブログやSNSがたんまり出てくるので、本編では省略。

ターミナルの1階玄関。さすがは世界への、世界からの玄関口。実に立派です。
そして、現在もその姿を留めているのが奇跡のようです。

庇の部分にはかつてホームと線路があり、玄関をぐぐると目の前にはボートトレインが停まっていたといいます。
神戸港のボートトレインの存在は前々から知っていましたが、まさか建物が残っているとは夢にも思わず、良いものを見させていただきました。
その他の港のボートトレイン
国際航路は神戸だけでなく、戦前は横浜や門司なども有名でした。

門司には存在しなかったものの、前述のとおり横浜には東京駅からの直行列車があり、帝都のお膝元の港だけに内外政府要人や軍人などの利用が多かったようです。
横浜のボートトレインについては、こちらが詳しいです。
もう一つ忘れてはいけないのが、敦賀。

敦賀にはロシア(のちソ連)からの国際船が発着し、日本からヨーロッパを結ぶ欧亜鉄道の一端を担っていました。
また、当時は「外地」として日本領扱いでしたが、朝鮮の清津港などへの便もありました。
それに合わせて東京から敦賀経由敦賀港駅まで、1、2等寝台が混在した車両(マイロネフ)が1両だけのボート・トレインが月3便程度運転されていました。
この敦賀のボートトレインに関しては、また書いていきたいと思います。




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