
大日本帝国海軍の提督の一人で、「最後の海軍大将」と呼ばれる井上成美大将。
戦場で敢闘した武勇の士とは決して言えないものの、緻密な論理力とその頭脳から導き出された先見性は、現在でもうなされるものがあります。
井上の生涯、そして現在でも民間で、防衛大学校で、海上自衛隊で語り継がれる「井上伝説」はこちらを見てね。
明治22年(1889年)、宮城県の仙台で生まれた井上は昭和50年(1975)に神奈川県で没し、そして墓地は東京都にあります。

場所は東京都西部にある多磨霊園。ここに井上成美の墓があるのです。

東京にこんなバカでかい墓場なんてあったんや…
と絶句するほどの広い敷地で、その広さは128ha、みんな大好き東京ドーム何個分だと27個分となります。

井上の墓の住所は「21区1種3側18番」。
21区は赤枠で囲ったエリアになりますが、この21区だけでもなかなか大きい…。真夏だと井上の墓探しだけでHPが1になります。
かく言う私も迷子になりながら探すこと数十分(上の地図がないと大人が迷子になるレベル)、ついに見つけました。

井上成美ではなく「井上家」の墓ですが、その中に最後の海軍大将は永い眠りについています。誰が置いたか、墓の前には帝国海軍の紋が入った木の板が供えられていました。

ここには、成美だけではなく井上家一族が葬られています。
横須賀市長井の邸宅を建てるきっかけであり、結核で亡くなった最初の妻喜久子、戦後に再婚した富士子、そして兄の秀二の名前もあります。
戦後に息子を連れて実家に帰り、長井の家で亡くなった娘の静子の名前がないのが少し寂しい。嫁ぎ先のお墓に入ったのだろうか…。
末席に名前がある秀郎は秀二の次男で、高校や大学で数学講師をしていたとのこと。秀二が土木系エンジニア、成美が海軍、そして秀郎が数学教師。井上一族は理系家系だったのでしょう。
他の海軍軍人の墓
多磨霊園には、海軍関係者だけでも他に、

みんなお馴染み山本五十六

海軍大将にて総理大臣にもなり、二・二六事件で惨殺された齋藤実

二・二六事件で危うく難を逃れ、終戦時には重石のような存在として鈴木貫太郎内閣を支えた岡田啓介

晩年の老害ぶりで個人的には評価に値しない(それなら岡田啓介をもっと評価しろ)東郷平八郎
マニアックなところでは…


朝香宮の皇族で後に臣籍降下し「音羽」姓を名乗り、30歳で戦死した正彦王(音羽正彦)の墓もあります。
さすがは皇族か、お墓も立派ですが、上の有名人と比べ墓標が少々くたびれてる感があります。
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