旧川本楼-大和郡山に現存する元妓楼
奈良県大和郡山市にあった洞泉寺・東岡町の両遊廓の建物は、長年の風雪に耐えながらも今日まで生き抜いてきました。が、洞泉寺遊郭は4棟の取り壊しが決まり、東岡町もほぼ放置プレイのまま朽ちるに任されており風前の灯火となっています。
しかしながら、遊郭という負の歴史を抱えつつも、当時の贅と金を尽くしたその造りは、和の神髄と言えるものがあります。
近年、その価値が認められたか、遊郭と言っても元当事者以外は抵抗感もなく、一部ですが元貸座敷の建物を保存しようという動きもあります。
洞泉寺遊郭跡にある、「町屋物語館」という木造3階建ての建物もその一つです。
こちらはかつて「川本楼」と呼ばれた貸座敷でした。大正13年(1924)に建てられたこの旧川本楼は、戦前戦後を通して妓楼としてその栄華を誇っていました。私が所有する昭和30年当時の業者リストにも、「川本」として掲載されています。オーナーは、そのまま川本さんでした。
そして昭和33年、赤線廃止と共に、いわゆる女郎屋からはさっぱり足を洗い、昭和44年か47年まで貸間として、主に郡山高校の学生たちが使っていたんだとか。
それ以後は特に使われることもなく放置されていたそうですが、主なき妓楼が取り壊しとなりかけたその時、文化財としての価値に目を付けた大和郡山市が、ここを8700万円で買い取りました。その後、買い取り値段と同額に近い約8000万円をかけて耐震構造などを施した上で修復し、2018年から常時公開されています。
当然、その費用は市民の税金でした。が、これは大和郡山市の英断、よくぞ税金で残してくれたと感謝しかありません。逆に言えば、遊郭の贅を尽くした妓楼建築は、個人では到底残せないほど金がかかるということのあらわれでもあります。
確かに公開は2018年からなのですが、私は過去に1度、ここに入ったことがあります。まだ使い道も決まらず不定期公開だった頃、そのいつ開くかわからない穴が偶然開き、これチャンスと潜入したのが9年前だったはず。
では、いざ旧川本楼の中に入ってみましょう!
とその前に、まずは外観から。
外観にはある仕掛けが…
パッと見ただけでは気づかない川本楼の秘密を一つ。
それぞれ1階、2階、3階の格子ですが、違いがわかりますか?
そう、1階は太い格子の間に細いのが3本、2階は2本、そして3階は均等の太さの格子になっています。これは実は、外から見えにくく、内からは見やすい格子の構造で、ここらへんも計算尽くされた妓楼、いや和風建築の神髄なのです。
さて、本当に入口に入ってみましょう。
入口-そこにもある仕掛けが!?
入口に入ると、左側にはこんな風景を見ることができます。下の池の跡には、郡山らしく金魚が泳いでいたそうです。
とさすがは遊郭の妓楼らしく豪華やな~、と感心するのはまだ早い。ここにはある仕掛けがあるのです。
左奥に鏡があります。なんでこんなとこに鏡が…。
その理由は、妓楼時代にあった「張見世」というものに関係します。
かつての遊郭では、遊女が直接格子の前に並んでディスプレイとなる「張見世」と呼ばれた制度がありました。
客はこのように、格子越しから遊女に直接声をかけ交渉をしたり、登楼する金もない貧乏人が憂さ晴らしに冷やかしたり。それを男慣れした遊女たちが適当にあしらう。それが遊郭のいつもの光景でした。
この張見世は大正前期には廃止され、妓楼の中遊女の写真を貼る「写真見世」に移行します。
旧川本楼も、池の上にある竹とひな人形が飾られている壁に姫たちの写真を飾っていました。その写真を直接、店に入らずに見る方法、それが鏡でした。入口の鏡は少しだけ壁、つまり写真側に傾いており、鏡を見ることで女の子の写真を見ることができるという仕掛け…だと伝えられています。
これはあくまで「そう伝えられている」だけで真偽が定かではありません。が、同じ仕掛けがお隣の山中楼にもあったのと、ここに鏡が置いてある理由がそれ以外に浮かばないということから、当たりだと思われます。
入口からこんな仕掛けがあるとは、やはり川本楼恐るべし。