鉄砲小路はどこにあった?
戦前の鉄砲小路は、記述により曖昧です。
まずは、当時の状況のいちばん近い地図を用意しました。

函館大火の後の街の復興計画書ですが、大火に巻き込まれていない弁天地区は無傷でした。
この図から場所を推測してみます。
まずは地元新聞より。
鉄砲小路の位置
函館日日新聞 昭和10年2月23日(函館大正史郷土新聞資料集 1 1968)
弁天座(電車終点)の前から、台場町に向かって1丁ほど進むと、左側に古風な「たばこ」の看板がある。それを目印に右に折れた小路である。
まずはこれを①としましょう。
内務省の私娼窟の資料によると、「鰪澗町」と書かれており6、弁天停留所の地図左側に町名が確認できます。ここから推定した場所を②とします。
もう一つは、「鈴おばあちゃん」の記憶。
函館で教師をしていたという瀧沢鈴さん(大正15年)が、94歳を迎えた2020年に書いたエッセイ集『はなばあさんの想い出雑記帳』に、両親の仕事の都合で昭和一ケタに弁天町に住んでいた時の記憶が書かれています。

そこに鉄砲小路の場所が書かれています。これを③とします。
これらの記述を地図上にまとめると、こんな風になります。

④は、出典を忘れてしまったので敢えてリストアップしませんでしたが、ここらへんという記述の資料もありました。
真実はいつも一つ!(by名探偵コナン)
さて、どれが正解か。
その答えが、意外な書物から見つかりました。
国会図書館のデジタル書庫の山から見つけた、戦争中の函館〜函館空襲の証言録があります。
そこに書かれている菅さんという方の証言があるのですが、地元の鉄砲小路の話もしています。
そこに、位置を示すとどめの一言が書かれていました。
大正のおわり頃です。鉄砲小路と言われている所がありました。
『教えてください、函館空襲を : 空襲犠牲者の血みどろの証言から』
現在私の家の前の道路をはさんで向かいの小路です。
じゃあ「私の家」、つまりインタビュー当時の菅さんの家が判明すれば鉄砲小路の場所が判明します。
幸い、本にそれ(「菅鉄工所」という工場兼自宅)が番地単位で書かれており、それをベースに昔の地図と照合してみると…

「菅製作所(鉄工所)」の文字を発見!!
これで鉄砲小路の場所が確定!!③が正解でした!!
新聞記事より、お役所の一次資料より、一人のご婦人の記憶が正解だったという意外な終わり方。
菅さんの証言をまとめると、「射的屋と料理屋(=売春宿)」が道を挟んで向かい合っていた」とのことなので、このようになります。

菅さんの証言によると、射的屋と料理屋が向かい合ってセットになっていました。
「きれいなおねえさん」は射的屋の方におり、

ねえ、遊んでいかない?
と男に声をかける。
そして交渉が成立すると、「料理の出ない料理屋」へドロン。こんな仕組みだったそうな。
昭和10年代の北洋漁業が盛んだった時期の鉄砲小路はそれこそ24時間営業のコンビニ状態だったそうで、

お兄さん、ちょっと遊んで行って休んでいきなさい
と嬌声が絶えなかったと。
実は、上で述べた映画『二連銃の鉄』の鉄砲小路も細い道に片方が射的屋、向かいが曖昧飲み屋。つまり菅さんの回想どおり。
映画の鉄砲小路はロケセットで、建物自体はどちらかというと鳩の街や玉の井のような東京のカフェー建築風なものの、構造は鉄砲小路をちゃんと再現しているなと。
さらに、本件を深掘りするとちょっと面白いことがわかりました。

③の記憶によると、鉄砲小路の近くに豆腐屋がありました。
実は上述の菅さんの実家は弁天地区の豆腐屋で、幼い頃は親のお手伝いでお店(おそらく食堂などでしょう)に豆腐を持って行ってたと回想しています。
この「トーフ屋」、もしかして菅さんの実家じゃないかと。

その時、親からは「神社の横を通っていきなさい」と青点線のルートを通るよう言いつけられていたのですが、彼女は時々鉄砲小路を通るショートカットをしていたそうです。
そうしているうちに「おねえさん」たちのしぐさ、たぶん「ねずみ鳴き」や「猫なで声」も含めてだろうな、を覚えたそうで、家で真似ると母親に

鉄砲小路を通っちゃだめ!あそこは女の子が通るところじゃないよ!
と言われたそうです。
さて、場所もわかったしめでたしめでたし!これにてお開き…といかないのが私の悪い癖。
鉄砲小路の店は、戦前の最盛期には6〜70軒、戦後でも40軒強あったと言われています。
そんな小路にそんな数の小料理屋を収容できるか?物理的に無理やろ。
私の中でこんな疑問が消えません。

よって、筆者の推測ではありますが、鉄砲小路の曖昧屋は小路という線だけでなく、鉄砲小路を中心として面として存在していたんじゃないかと。
もちろん、エビデンスもない勝手な推測ではありますが、そうとしか思えないのですよね…あくまで数字が間違ってなかったら。

そこは現在、昔の華やかさが嘘のように静かな住宅街になっています。
停留所近辺も含め、今の姿を見るとここ界隈がかつて女の嬌声に賑わった場所だなんて、到底信じられない気分です。
- 『函館大正史郷土新聞資料集 1』URL ↩︎
- 『函館・道南大事典』より。URL ↩︎
- 『函館大正史郷土新聞資料集 1』 URL ↩︎
- 『業態者集団地域二関スル調 昭和十三年』(厚生省予防局)『教えてください、函館空襲を : 空襲犠牲者の血みどろの証言から』 ↩︎
- 実際のロケ地に函館は含まれていません。 ↩︎
- 『業態者集団地域二関スル調 昭和十三年』(厚生省予防局) ↩︎
・『函館市史』
・『全国女性街ガイド』
・『業態者集團地域二關スル調 昭和十三年』
・『函館大正史郷土新聞資料集 1』
・『函館・道南大事典』
・『教えてください、函館空襲を : 空襲犠牲者の血みどろの証言から』
・『はなばあさんの想い出雑記帳』
・『紅灯二十年』
・函館市立図書館デジタル資料館
・他
コメント