私娼窟

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遊郭・赤線跡をゆく

山形市にあった謎の私娼窟とは|遊郭・赤線あとをゆく

戦前の売春史には公娼としての遊郭の外にも、いわゆる私娼のたまり場…私娼窟が存在していました。私娼は公娼と違って公的な資料にはほとんど存在せず、存在すらあいまいな存在。本来「あってはいけない存在(要は違法)」なので、歴史の地層に埋もれ全く表に...
遊郭・赤線跡をゆく

和泉市の信太山新地とは|大阪泉州に残る風俗街の歴史と現在|

大阪の現役の風俗街として有名な信太山新地。だが、いつ成立したのか?いつから現在の場所で営業してるのか?その歴史は知られていません。本記事では、信太山新地の歴史に焦点を絞ってわかりやすく解説します。
遊郭・赤線跡をゆく

函館の「準遊郭」② 堀川新地|遊郭・赤線跡をゆく|

函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました。が、そんな大森...
歴史探偵千夜一夜

大阪にあった幻の歓楽街!「此花カフェー街」

USJや万博で大阪市内の中でも最も羽振りが良いと思う知らんけどな此花区。此花区役所がここにありますが、ずっと不思議に思っていたことがありました。筆者ここだけ区画がなんだかおかしくね??周りの区画と比べて、ここだけなんだか違う…怪しいと感じま...
遊郭・赤線跡をゆく

函館の「準遊郭」① 鉄砲小路 映画の舞台にもなった私娼窟|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭と私娼函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました...
遊郭・赤線跡をゆく

函館遊郭列伝 第三章 大森遊郭|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭その3 大森遊郭筆者江戸時代〜明治中期の函館遊郭については、こちらをどうぞ!火事で焼けた函館の遊郭、またもや移転を命じられます。函館市立図書館デジタルアーカイブより。「新」とついているので、遊郭ができた頃のものと思われ。函館市立図...
遊郭・赤線跡をゆく

大宮北銀座の赤線跡(埼玉県さいたま市)|遊郭・赤線跡をゆく|

大宮駅北部の大宮北銀座には、戦前から特殊料理店(私娼窟)があり戦後には赤線地帯があった。現在も特殊なお風呂屋さんが並ぶ北銀座の歴史
遊郭・赤線跡をゆく

宗教都市高野山に遊郭が!?鶯谷の私娼窟

高野山…千年の歴史を持つ悠久の宗教都市。今や外国人観光客が殺到する世界的観光地ですが、高野山の名前が現在のように有名になったのは、フランスで発売された写真集がきっかけと言われています。実際、コロナ前の入山外国人の最多はずっとフランス人がトッ...
遊郭・赤線跡をゆく

弘前・紙漉町は元性地だった?消えた裏旅館街の痕跡を歩く|遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

青森県弘前市には、かつて遊郭や色街が存在しました。その一つとしてネット上で語られるのが「紙漉町」です。現在は静かな住宅街ですが、かつて裏旅館街や隠れ売春の場所だった可能性が指摘されています。今回は、紙漉町の歴史と現地の様子を実際に歩いて調べ...
遊郭・赤線跡をゆく

弘前の「準遊郭」、新開地(青森県弘前市)|遊郭・赤線跡をゆく|

前回は弘前の伝統的な遊郭、寿町(北横町)を紹介しました。弘前の色街はこれだけ…先達のブログをサラッと読んでみても、横並びに同じことが書かれていました。が!私はここで終わりません。ここで終わっちゃ大枚はたいてわざわざ弘前まで来た甲斐がない。と...
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弘前北横町遊郭(青森県弘前市)|遊郭・赤線跡をゆく|

北津軽の城下町、弘前の遊郭史弘前の津軽藩では、遊女屋の設置は公には認められていませんでした。しかし、隠れ売春は常に行われえおり、ついには富田町という城から南東の位置にある町で黙認されていました。『弘前市史』によると、黙認といっても遊女屋らし...
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前橋の「準遊郭」乙種料理店(群馬県前橋市)|遊郭・赤線跡をゆく|

群馬県の県庁所在地である前橋市。グンマーの経済的な中心地が高崎のせいか、県庁所在地の割にはえらく地味なイメージがあります。以前住んでいた滋賀県大津市も、ホンマにここに県庁あるのん?というほど地味でしたが、前橋はその上をゆく地味さ。聞いた話に...
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