噴泉浴場-新世界スパワールドの「前世」をさぐる

野良歴史家の歴史探偵

先日、大阪まで図書館はしごに向かったのですが、久しぶりに東大阪市にある府立中央図書館まで足を伸ばしました。

大阪府立中央図書館は、地下にある書庫がデカすぎて書庫内を自転車で移動するという伝説を持つ図書館。探すだけでもちょっとした運動。

書庫の本出してくれと利用者は気軽に言うけれど、出す方は魔法のようにポンと出せたものではありません。ものによっては30分以上かかることも。

その待ち時間潰しに、たまたまそこらへんにあった本を取り、適当に読んでいました。

こんな10分程度のすき間時間、今までなら外に出てタバコを二本ほど吸うのがパターンでした。

しかし、ただいま絶賛禁煙中。

絶好のすき間タイム殺しを自ら封じ込めている上に、我が脳の司令塔がパターンを覚えてるのか、時間空きました、はいはいタバコタイムですよ~とご丁寧にお知らせしてくれる。余計なことアラームかけてお知らせしてくれんでええねんて!

ニコチン中毒うんぬんより、これが数ヶ月~数年、もしかして死ぬまで続くと思うと泣きたくなるほど辛い。

 

仕方ないので本を読んで時間稼ぎをしていると、ふと目の前に面白い記述と写真が。

 

 

ジャンジャン横丁にあった噴泉浴場の写真

 

「ラヂウム温泉」と書いてあるので、明治か大正時代の温泉か銭湯のようなものでしょう。

「噴泉浴場」と本の説明文に書かれています。

ふむふむ、今でいうスーパー銭湯のような、当時はハイカラな銭湯ってことね。

で、それがあった場所というのが、大阪のこってりゾーン、あの新世界。それもさらに濃度が濃いジャンジャン横丁

 

ほう・・・。

 

ここで、私の頭脳がフル回転を始めました。

戦前にここに「浴場」があったということは、あのスパワールドの元祖やん。言葉を変えれば、100年前にスパワールドがあったということか。

試しにググって誰か調べてないかなーと事前調査しても、ほんの数人しか調べておらず。

棚ぼた的な発見とは言え、これは「昭和考古学」的に面白いネタになるかも。

そうと決まったら話は早い、急遽予定変更。用事を済ませて新世界へ向かいました。

 

 

御堂筋線の動物園前で地下鉄を降り、いざ新世界へ。


通天閣

 

新世界の町並み

 

最近の大阪の外国人観光客の大阪には、大阪出身である私も驚きを禁じ得ません。昔は外国人なんて新世界ですら全然見なかったけど、今はひと目でわかる欧米系だけでなく、東南アジアや中国語・広東語を話す中華系も目立ちます。まるで日本語が聞こえない、ここは明らかに日本国内なのに。

明らかに外国人観光客が多くなっていることは、視覚でも聴覚でもヒシヒシと伝わります。

 

新世界をもう少しブラブラしたかったのですが、如何せん人多すぎ。すっかり人ゴミで疲れてしまう田舎者と化したので、ここはいったん新世界の喧騒を離れジャンジャン横丁へ。

 

 

大阪のスパワールド入口

 

本記事のサブタイトルでもある、スパワールド・世界の大温泉です。

出来た当初は、こんな大阪のど真ん中に温泉作ってどないすんねん!10年くらいで潰れるんちゃうか!?と思ったものでしたが、なかなか好評みたいで現在でも繁盛しています。

しかし、地元なのに、いや地元だからか、いつでも行けるわと一度も行ったことがありません _| ̄|○

今度・・・今度大阪に帰ったら行ってみることにします。

スパワールドの話はまた機会があればにしておいて、温泉とは縁がなさそうなこの下町の片隅に、今回の主役「噴泉浴場」があったのです。

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噴泉温泉の歴史

f:id:casemaestro89:20170603101942j:plain『廃懐ブログ』Chaos in the pocket』様より提供)

 

噴泉浴場は、新世界の見世物の一つとして大正2年(1913)にオープンしました。

新世界の建物の中でも、もっとも大規模かつ異色のもので、敷地は700坪。建設費は予定の10万円をはるかに超えた16万5千円で、今のお金にざっくり換算すると、だいたい40億円くらいといったところでしょうか。

浴場建設時の解説文には、

「欧米各地における浴場の長所を集め、さらに本邦人の趣味を配したるわが国未曾有の大浴場なり。
さればその構造の宏壮美麗をつくせると施設の完備、充実せるとは確かに在来大浴場の比にあらざるや勿論なり」

と書かれており、並々ならぬ自信のほどが伺えます。

写真の通り二階建ての洋館の中に、複数の浴場をおさめる温泉リゾート施設。普通浴槽でも西洋の浴場を模した二重の円形になっており、大人が泳げるほどの広さと深さがあったといいます。

また、中央には大理石で作られた美人像があり、その頂上(口?)から湯を滝のように流し、足元に雨のように降り注いでいました。これが「噴泉浴場」の由来となっています。

 

これだけの記述でイメージするものは何でしょうか。ローマ帝国時代の大浴場のように想像できます。

私が真っ先に思い浮かんだのは、ハンガリーのブダペストにある温泉の数々。

ハンガリーはヨーロッパ屈指の温泉天国で、温泉に入るのに医者の処方箋が必要な所が多い欧州の中で、誰でもフリーで入れるとして世界中から観光客がやって来ます。無論、私もブダペスト滞在中、いくつか温泉を巡ってきました。

 

ブダペストの温泉。新世界の噴泉浴場

ブダペストの温泉で、噴泉浴場の記述に近いイメージの画像を探してみましたが、私の頭の中の想像図ではこれがいちばん近いかなと。

他にもサウナや薬湯風呂などを設けたのですが、薬湯にはドイツから輸入した「ラデューム(ラジウム)を使用し大いに繁盛したと伝えられています。

上の画像にも「ラデュム温泉」と書いていますが、 噴泉浴場は「ラデューム温泉」という名でも知られていたそうなので、この薬湯はかなり斬新かつ人気があったのでしょう。

二階には大休憩室と演舞場、理髪室などがあり、「米国式軽便食堂」もありました。

「米国式軽便…」ってなんじゃそりゃ!?と思われるかもしれませんが、今風に言えばセルフサービスのバイキング方式ということらしいです。

 

噴泉浴場の食堂メニュー表面

 

噴泉浴場の食堂メニュー裏面

『廃懐ブログ』Chaos in the pocket』様よりお借りしてきた、大正11年(1922)の食堂の献立(メニュー)です。上が表面、下が裏面です。

こんなさりげない資料にも、当時の生活史が立体的にあらわれてきて、細かく読むと面白いのです。この時には、今ではお馴染みの洋食のエビフライやカレー、オムレツなどのメニューが見えます。エビフライが、何故かこれだけ「時価」になってるし。

キリンビールの左の左にある「三ツ矢平野水」とは、今の三ツ矢サイダーのことです。

戦前の三ツ矢サイダーは、兵庫県の川西市平野にあった冷泉(温泉ではない)の炭酸泉を汲み、飲みやすいように砂糖を入れただけのものでした。なので「平野水」と呼ばれていました。もちろん、今は違います。

川西や宝塚近辺は、そもそも掘れば炭酸泉が出てきたそうで、炭酸水でコンビニでも売っているウィルキンソンは、元々宝塚で狩りををしていた英国人のウィルキンソンさんが偶然見つけた、良質の炭酸泉を汲んで販売したものでした。

 

噴泉浴場が設置しようとしたある施設がありました。

それが「貸し切り風呂」

総ガラス張りの蒸し風呂もセットになった、家族用の個室風呂を10室分作る計画がありました。

昨今、露天風呂を貸し切りしたり、部屋に露天風呂を作ったりしてこういうタイプのお風呂が増えていますが、噴泉浴場はその約100年も先取りしていたというわけか!?

これが出来ていれば「日本初の貸し切り風呂」の栄誉はあなたのもの!だったのですが、家族と偽った男女がウフフなことをする温床になったり、売春に利用されるおそれありと許可が下りなかったそうです。

 

ここまで書くと、スパワールドやスーパー銭湯と何の変わりもないことがわかると思います。

スパワールドのご先祖様、いや「元祖スパワールド」と言っても過言ではないスーパー銭湯が、100年前の新世界にあったのです。当時の新世界は、コテコテの世界ではなく日本最先端の娯楽場だったということが、噴泉浴場一つを取り上げてもわかると思います。

 

我々にとっては「最近出来たもの」と思っていても、実は大昔に元祖があった。そんなものは多数存在します。ラブホも元をたどれば江戸時代から戦前にあった連れ込み宿だし、今風のプリクラも、大正時代には存在していました。

遊廓は遊女本人が店の前に立つ「顔見世」が人権意識の高まりで廃止され、代わりに写真を並べる「写真見世」が出てきました。その時あまりに「プリクラ風写真整形」が多く、実際の顔とのギャップに客とのトラブルが多発したという話が、全国各地の遊廓の話として伝わっています。

 

噴泉浴場の場所

噴泉浴場のことはわかった。しかし、それがどこにあったのか。

次はそれを探っていきましょう。

 

大正2年(1913)の新世界の地図

大正2年(1913)、噴泉浴場が出来た年の新世界の地図です。ちょうど真ん中あたりに「通天閣」という文字が見えると思います。

通天閣から「ルナパーク」を隔てたところ、赤い矢印の場所に、この画像では見にくいですが「噴泉浴場」と書かれた建物らしきものが描かれています。その横の縦に伸びる道が、今のジャンジャン横丁です。

 

大正7年の新世界の地図

大正7年(1918)の大阪市の地図には、もう太字で「噴泉浴場」と書かれています。かなり鳴り物入りだったのでしょう。

 

さらに、

 

大阪市パノラマ地図

「大阪市パノラマ地図」という大阪市の俯瞰図です。製作時期は大正13年(1924)のこと。
俯瞰図ながら相当精巧な地図で、完成度が非常に高い地図の芸術ですが、この時が確か、大阪市が東京市を抜いて人口日本一になった時のこと。当時の大阪の勢いと誇りを感じさせる地図です。

その中で新世界あたりを見てみると。

 

大阪市パノラマ地図。新世界

噴泉温泉のあたりに建物が見えます。大坂相撲の国技館も新世界にあったのですね。

 

大阪市パノラマ地図。新世界のアップ

もっとズームしてみると、噴泉浴場の名前こそないものの、洋風の建物があったことがわかります。

 

これらの地図を参照に、現在のGoogle mapで反映させてみるとこうなります。

 

噴泉浴場の跡はここ

 

この場所で間違いありません。

 

謎の「○○旅館」

噴泉浴場は、設立の時こそ

「脱衣所で財布や服を盗まれる」

「お湯は消毒せず垂れ流し。非常に不潔」

「女性風呂に入った客が従業員に強姦される」

などというデマを『大阪日日新聞』に流されたのですが、それをはねのけ繁盛し、新世界随一の名所として栄えました。

 

浴場を経営していた「噴泉浴場株式会社」は浴場オープンの5年後に、隣に保有していた600坪の敷地を整備し、建坪300坪の二階建て和風旅館を作りました。時期は大正7年(1918)。

客室は25室、1Fは花の名前、2Fは鳥の名前で部屋が統一され、宿泊者専用の温泉も用意されていた本格的な旅館でした。

それだけなら、繁盛してるからお客用の宿泊施設でも作ったのかで終わりなのですが、その名前がすごく謎なのです。

その名は「電気旅館」

名前からして全く意味不明です。「電気」だから洋風のホテルかと思えば和風旅館。それも何をもって「電気」なのかわけわかめ。大阪らしいと言ってしまえばおしまいですが。

どうも館内の設備が「電化の限りを尽くした」ものだったと伝えられているのですが、それが一体何なのか。詳細は残っておらず全く謎となっています。

国会図書館の資料の山からやっと電気旅館のことが書かれている資料が見つかったのですが、写真や説明文を見る限りただの割烹旅館。

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「電気旅館」の庭なのですが、電気の「で」もありません。ただの日本庭園です。

 

ホンマにそんな名前なんか!?と訝しんでいる方は、これをご覧あれ。

 

電気旅館(電気噴泉)と噴泉浴場の位置

昭和10年(1935)の地図をアップしたものですが、噴泉浴場の上に「電気噴泉」と書かれた建物があったことが確認できます。

NEXT:噴泉浴場は戦争で生き残ったか!?その後…

コメント

  1. とえ より:

    生まれたときから大阪にいながら、知りませんでした。

    電気というのは、この時代の最先端を思わせる売り込みワードで、とにかく意味なくても、何でもつけたらしいですね。洋酒の電気ブランが代表ですが、こんなとこにあったとは。

    貴重な情報ありがとうございました。

    • 米澤光司 より:

      >とえさん

      コメントありがとうございます。
      私も噴泉温泉は本文のとおり、偶然手にした本を見てないと今も知らなかったかもしれません。偶然知ったことでここまで書けるとは歴史は面白いです。
      「電気」は、調べてみると和歌山の白浜にも「電気旅館」があって、たぶん当時の流行語のようだったようですね。
      それにしてもややこしい名前つけやがって(笑

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