大和郡山の洞泉寺遊郭、山中楼を見学しました

洞泉寺遊郭山中楼関西地方の遊郭・赤線跡
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いざ山中楼へ!

洞泉寺遊郭毎日新聞
上記の毎日新聞の図のように、壊される旧貸座敷は4棟。「山中楼」は④の建物となります。
2020洞泉寺遊郭山中楼
赤矢印の木造3階建ての建物が、本日のメインディッシュ山中楼。
2020洞泉寺遊郭山中楼2
とにかく道が狭くすぐ目の前が民家なので、手持ちのiPhoneでは全景撮影は不可能。下から見るとこんな迫力です。木造3階建ての「木の摩天楼」の圧倒感たるや、五感を使って体感してみると良いでしょう。
案内役の「おっちゃん」(ガイドではない)によると、山中楼は明治43年(1910)3月に建てられた…と言われているものの、それはあくまで役所への登記がそうなだけ。新築なのか、江戸時代からあったものを改築したのか、はたまた別の場所から移築したものなのか…すべての可能性が考えられます。が、現時点では資料がないので不明。ただし、築110年であることは確かとのことです。
前日に政府が不要不急の外出を控えて下さいとお願いが放送されました。実際、当日の近鉄電車はガラガラでした。この調子だと山中楼見物にもそんなに人は来ないだろう…そう高をくくっていました。
するとどうでしょう!余裕の5分前に来てみると、来ないどころか建物前の狭い道に人多すぎ。しかし誘導役・ガイドは「おっちゃん」ひとり。これは混乱不可避だろうなと、イヤな予感が胸をよぎりました。

中へ入ると、そこは貸座敷だった

しかし、そんなことは見物客には関係ない。とばかりに中に入ると。
洞泉寺遊郭山中楼玄関
これだ!
ここは玄関。ここからしてただの家ではない感がムンムン漂い、来る者を酔わせる何かを持っています。ベンチがあるので、鼻息が荒い客がここで待っていたのでしょう。
山中楼入口鏡
玄関を見て気になるのが、この鏡。
山中楼の文字に、山中家の家紋である扇の紋が刻印されています。戦前からのものに間違いないでしょう。家紋としての扇は、「末広がり」という意味で古くから使われています。が、閉じた状態のものは何の意味をなすのか、私にはわかりません。
もう一つ気になるのが電話番号。今でこそ一億総ケータイの時代ですが、戦前の電話は回線の架設工事費だけでも中級サラリーマンの月収半年分、年間基本料金が45円(昭和12年当時)を費やした財産でした。45円を現在の価値に直すのは人によって違うので様々ですが、私の計算方式では約12万円という感覚です。
遊郭の貸座敷は、商売上電話は必須ではありました。電話があると、客が
「今日○○ちゃん空いてる?」
と現場に行かなくても確認が取れるから。が、電話なんて当時はそうそう持てるものではありません。貸座敷に電話がある…それだけである種のステータスでした。
そしてもう一つ、根本的な疑問。
「なんでこんなところに鏡があるの?」
実際に見物した方で、この疑問を思った方は何人いるでしょうか。
人多すぎで写真が撮れなかったのですが、玄関から鏡の方向を見ると、鏡は正面ではなく、ほんのわずかですが壁の方向を向いています。
これは、遊女が直接店の前に出る「顔見世」が禁止になった後、玄関に写真を貼り付ける「写真見世」に変わりました。鏡が壁の方を向いていると、客が店の玄関に入る必要もなく女の子(の写真)を鏡経由で見定めることができるから…と言われています。
実はお隣の旧川本楼にも同じ仕掛けがあるのですが、こちらも「そうだと聞いています」で確証は持てないとのこと。しかし、あんな非実用的な鏡をあんな位置に置いているのは、少なくても何らかの意味が存在しています。その意味を考えるのも歴史の面白さであります。

帳場

洞泉寺遊郭旧山中楼帳場
そんな謎多き玄関を回れ右すると、帳場があります。
帳場とは言ってしまえばレジのこと。楼主か番頭がここに待機し、客の出入りを監視したりお金を客から頂戴し大福帳に記載する部屋です。日本の商売人の家の玄関横には必ずあるもので、妓楼も「遊女屋」という客商売である以上、玄関近くに必ずあります。山中楼の一階はかなりリフォームされ、帳場も当時の面影ナッシングでした。が、帳場があったということはまさしく貸座敷の証明にもなります。

中庭と祠

洞泉寺遊郭山中楼帳場より中庭を望む
帳場の向かって左にある居間を抜けると、奥に何かが見えます。中庭です。
洞泉寺遊郭山中楼中庭
おや?中庭には何かがあります…
洞泉寺遊郭山中楼の中

ほこらがありました。ごく最近まで人が住んでらっしゃったせいか、雨漏り防止のためだと思いますがビニールシートが被せられています。それが非常に興ざめですが仕方ない。見物客にとっては興ざめでも、実際の生活者にとっては雨水が部屋にかかって鬱陶しいってことかもしれません。

祠は屋根から突き出た千木が「外反り」になっていますが、神明式か春日式か。そこらへんは詳しくないのでわかりません。

遊郭の神社とくれば、稲荷神社とは1セットのような存在になっています。洞泉寺遊郭も、近くに「日本三大稲荷」とされる源九郎稲荷神社がありますが、遊女の間にお稲荷さん信仰があったのでしょう。でも、中庭のこれとは関係なさそう。

洞泉寺遊郭山中楼の中中庭裏側

中庭の裏はこうなっています。板にところどころ穴が空いていましたが、模様かなと思いアップで見ると…ただの腐食か虫食いでした。

台所に見える富士山

山中楼のある意味最大の見所だったのは、ここから見える富士山。

え?富士山なんか見えるの?

これをご覧下さい。

洞泉寺遊郭山中楼内部台所の富士山

ほら、富士山がありました。

奥は台所になっているのですが、水回りはとうの昔に近代リフォームされ、特筆すべきものは特にありません。そのせいか台所を訪れる見物客は少なく、来てもキッチンが視界に入ると

「なぁ~んだ」

と退散。しかし、人がいない分。

山中楼台所の富士山

台所から見える富士山を悠々と堪能できました。絶景かな絶景かな。

台所で見つけたレアもんは。

パンナム航空のシール

航空ファンなら「懐かしい!」と声に出そうなパンナム航空(パン・アメリカン航空)のシールくらいか。何故こんなとこに貼られていたのかはわかりませんが、海外旅行にでも行ったのかしらん。

山中楼の格子

遊郭時代を色濃く残す旧貸座敷には、かなり贅を尽くした装飾が施されていることが多く、山中楼もその例外ではありません。

山中楼の格子を外から

この上の格子の装飾、外から見ると無視しそうなくらいさりげないですが、非常に高度な技術で彫られているものです。見物客の中には

「これだけ欲しい!」

と声に出す方もいましたが、気持ちはわかります。彫刻が好きな方や格子マニア(?)なら、金出してでも欲しいでしょう。

これを中から見てみましょう。

洞泉寺遊郭山中楼格子中から

私は格子自体より、中のガラスの模様に一抹の懐かしさを覚えました。

ああ、この模様のガラス…生まれた家にあったわと。間違いない。おそらく昭和40年代後半か50年代に流行った模様なのか。これ知ってる!という方がいればコメントをどうぞ。

そして2階へ。

貸座敷特有の急な角度の階段を2階へあがります。

貸座敷の基本的な構造は、1階が帳場・待合室兼楼主の自宅、2階より上がいわゆる仕事場兼遊女のプライベートスペース。1になっています。山中楼の場合は、玄関をあがった客は奥の階段から2階へあがり、お帰りは玄関前の階段を下りてさようなら。これだと客の流れが一方通行になり、他の人とばったり会うことはない仕掛けです。

2階以上は、

「撮影禁止と言われている」(byおっちゃん)

でした。「言われている」ということは、当主(山中さん?)かお寺さんから言われているということ。なので写真はありません。まあ、現場は人多すぎでかなり混乱しており、撮影禁止という「おっちゃん」の声はほとんど届いていなかったと思われます。

どうしても写真を見たいという方は、適当にググれば出てくるはずです。聞いた話によると、月曜の公開時は写真OKだったようなので…なんじゃそりゃ。

ところで、山中楼の「仕事場」の広さ、驚くなかれ2畳

貝塚遊郭赤線内部

私もいくつかの元妓楼(赤線のカフェーも含む)を見てきましたが、だいたい1部屋あたり3畳。端の部屋は上客やお局さん用なのか、4~6畳と少し広め。これがだいたいの妓楼の部屋配置テンプレです。写真は、大阪の貝塚遊郭跡(近木新地)の一軒のカフェー建築の中。こちらは3.25畳といったところでしょうか。

□関連記事(マイブログ)

しかしながら、2畳はちょっと狭すぎんちゃうのん?と私も首をかしげてしまったほど。上の写真は3階のものですが、2階も、1部屋8~10畳にリフォームされていたものの、構造的に「元2畳」だった痕跡が多々見受けられました。

実は、年齢的にギリギリ経験していないものの、洞泉寺遊郭に赤い灯が点っていた頃を知っている紳士に話を聞きました。当時はみんな背も低く、(平均身長が高くなった)現代っ子は到底2畳なんて無理やろと言っておりましたが、いや当時でも2畳はキツいしょと。3畳なら、まあ昔のアパートってそれくらいの広さだったような!?

しかし、この2畳がレアなのか、はたまたふつうだったのか。それを断言するには、もっと元貸座敷を直で見る経験値を積む必要がありそうです。

さて、これで山中楼の見物は終わり。しかし、まだ終わらなかったのです…

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  1. これはいわゆる「居稼制」の場合で、置屋から遊女を派遣するスタイルはまた違います。
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