いざ山中楼へ!
中へ入ると、そこは貸座敷だった
帳場
中庭と祠
祠がありました。ごく最近まで人が住んでらっしゃったせいか、雨漏り防止のためだと思いますがビニールシートが被せられています。それが非常に興ざめですが仕方ない。見物客にとっては興ざめでも、実際の生活者にとっては雨水が部屋にかかって鬱陶しいってことかもしれません。
祠は屋根から突き出た千木が「外反り」になっていますが、神明式か春日式か。そこらへんは詳しくないのでわかりません。
遊郭の神社とくれば、稲荷神社とは1セットのような存在になっています。洞泉寺遊郭も、近くに「日本三大稲荷」とされる源九郎稲荷神社がありますが、遊女の間にお稲荷さん信仰があったのでしょう。でも、中庭のこれとは関係なさそう。
中庭の裏はこうなっています。板にところどころ穴が空いていましたが、模様かなと思いアップで見ると…ただの腐食か虫食いでした。
台所に見える富士山
山中楼のある意味最大の見所だったのは、ここから見える富士山。
え?富士山なんか見えるの?
これをご覧下さい。
ほら、富士山がありました。
奥は台所になっているのですが、水回りはとうの昔に近代リフォームされ、特筆すべきものは特にありません。そのせいか台所を訪れる見物客は少なく、来てもキッチンが視界に入ると
「なぁ~んだ」
と退散。しかし、人がいない分。
台所から見える富士山を悠々と堪能できました。絶景かな絶景かな。
台所で見つけたレアもんは。
航空ファンなら「懐かしい!」と声に出そうなパンナム航空(パン・アメリカン航空)のシールくらいか。何故こんなとこに貼られていたのかはわかりませんが、海外旅行にでも行ったのかしらん。
山中楼の格子
遊郭時代を色濃く残す旧貸座敷には、かなり贅を尽くした装飾が施されていることが多く、山中楼もその例外ではありません。
この上の格子の装飾、外から見ると無視しそうなくらいさりげないですが、非常に高度な技術で彫られているものです。見物客の中には
「これだけ欲しい!」
と声に出す方もいましたが、気持ちはわかります。彫刻が好きな方や格子マニア(?)なら、金出してでも欲しいでしょう。
これを中から見てみましょう。
私は格子自体より、中のガラスの模様に一抹の懐かしさを覚えました。
ああ、この模様のガラス…生まれた家にあったわと。間違いない。おそらく昭和40年代後半か50年代に流行った模様なのか。これ知ってる!という方がいればコメントをどうぞ。
そして2階へ。
貸座敷特有の急な角度の階段を2階へあがります。
貸座敷の基本的な構造は、1階が帳場・待合室兼楼主の自宅、2階より上がいわゆる仕事場兼遊女のプライベートスペース。1になっています。山中楼の場合は、玄関をあがった客は奥の階段から2階へあがり、お帰りは玄関前の階段を下りてさようなら。これだと客の流れが一方通行になり、他の人とばったり会うことはない仕掛けです。
2階以上は、
「撮影禁止と言われている」(byおっちゃん)
でした。「言われている」ということは、当主(山中さん?)かお寺さんから言われているということ。なので写真はありません。まあ、現場は人多すぎでかなり混乱しており、撮影禁止という「おっちゃん」の声はほとんど届いていなかったと思われます。
どうしても写真を見たいという方は、適当にググれば出てくるはずです。聞いた話によると、月曜の公開時は写真OKだったようなので…なんじゃそりゃ。
ところで、山中楼の「仕事場」の広さ、驚くなかれ2畳。
私もいくつかの元妓楼(赤線のカフェーも含む)を見てきましたが、だいたい1部屋あたり3畳。端の部屋は上客やお局さん用なのか、4~6畳と少し広め。これがだいたいの妓楼の部屋配置テンプレです。写真は、大阪の貝塚遊郭跡(近木新地)の一軒のカフェー建築の中。こちらは3.25畳といったところでしょうか。
しかしながら、2畳はちょっと狭すぎんちゃうのん?と私も首をかしげてしまったほど。上の写真は3階のものですが、2階も、1部屋8~10畳にリフォームされていたものの、構造的に「元2畳」だった痕跡が多々見受けられました。
実は、年齢的にギリギリ経験していないものの、洞泉寺遊郭に赤い灯が点っていた頃を知っている紳士に話を聞きました。当時はみんな背も低く、(平均身長が高くなった)現代っ子は到底2畳なんて無理やろと言っておりましたが、いや当時でも2畳はキツいしょと。3畳なら、まあ昔のアパートってそれくらいの広さだったような!?
しかし、この2畳がレアなのか、はたまたふつうだったのか。それを断言するには、もっと元貸座敷を直で見る経験値を積む必要がありそうです。
さて、これで山中楼の見物は終わり。しかし、まだ終わらなかったのです…
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