
奈良県大和郡山市にあった洞泉寺遊郭。またの名を「又春廓」。
その中に残るのが「旧川本楼」。
大和郡山市が税金で買い取り残した遊郭の元妓楼で、現在は「町家物語館」として無料公開されています。
ここには建物だけではなく、遊郭・赤線時代の「遊女の茶碗棚」も保存されています。
こんなものが保存されている元妓楼は非常に珍しい。
本記事では、町家物語館に保存・展示されている、遊女が実際に使ったという茶碗棚を解説します。
遊女のロッカー!?茶碗棚
町家物語館の中、元帳場があった場所には、茶碗棚が置かれています。

これ、ここで働く女の子たちのお茶碗・湯飲みの収納棚でした。
ちょっとしたロッカーみたいなものでしょう。
この棚、元々帳簿にあったものではないようでしたが、果たしてどこに置いてあったのか。
予想外のこんな人が、こんなところでこんなことを書いてくれています。
船に乗り組んでいる人はみな若い人で、もうこれが日本の訣別であるから、浦賀に上陸して酒を飲もうではないかと(中略)陸に上がって茶屋みたいなところへ行って、さんざん酒を飲んでさあ船に帰るという時に、(中略)その茶屋の廊下の棚の上に嗽茶碗が一つあった。これは船の中で役に立ちそうだと思って、ちょいと私がそれを盗んできた。
(中略)大そう便利を得て、アメリカまで行って、帰りの航海中も毎日用いて、とうとう日本まで持って帰って、久しく私の家にゴロチャラしていた。聞けばその浦賀で上陸して飲み食いしたところは遊女屋だという。(中略)そうしてみるとあの大きな茶碗は女郎の嗽茶碗であっただろう。
『福翁自伝』福沢諭吉
旧1万円札の若い頃のエピソードです。「日本への訣別」とは咸臨丸に乗ってアメリカへ向かう前のこと。その前に大いに遊ぼうぜと若い衆で壮行会をした時の様子のようです。
高額紙幣になって久しく、某有名義塾大学では神か聖人扱いの福沢大先生が、「遊女屋に行って」「茶碗を盗んだ」という、盗んだバイクで走り出す尾崎豊のような衝撃の告白。
なお、福沢大先生は適塾時代、料亭の皿も盗んでいます。
「へーあれ遊女屋やったんやな( ³з³)ノ」
(リアル福沢諭吉は晩年まで大阪弁だった)
と諭吉先生はすっとぼけていますが、私には見えるぞ…その語尾に隠れる「www」を(笑
それはさておき、諭吉さんは「廊下の棚」とサラリと書いてくれています。これはけっこう重要なヒント、旧川本楼がどうかはわかりませんが、この遊女のお茶碗入れの棚も、廊下に置かれていたのかもしれません。
棚に書かれた遊女の名前…
棚には、女性の名前も残されています。

棚自体は遊郭時代からのものかもしれませんが、名札と女の子の名前は戦後の赤線時代のものかと思います。遊郭時代の源氏名は芸妓に準じていたので、こんな俗っぽい名前はつけません。
…と不思議に思ってガイドさんに聞いてみたところ、おそらく本名だったのではないかとのこと。
果たして本名なのか源氏名なのか、それは泉下の当事者しか知らない。
まとめ
本記事を例の如く箇条書きにしてまとめます。
・町家物語館には、「遊女の茶碗棚」という変わったものも展示されている
・茶碗棚は、言わば昔の従業員用ロッカーのようなもの
・棚には昔の遊女の名前が残されている。遊郭時代か赤線時代か、源氏名か本名かは不明
・茶碗棚は廊下に置かれていたと、福沢諭吉の『福翁自伝』に書かれている
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遊女の茶碗収納棚
旧川本楼(町家物語館)には、遊女が使っていたお茶碗棚まで残されています。
そこに書かれた名前が妙に生々しい。
帳場に隠された遊び心!?
1階には帳場がありますが、そこにもちょっとした仕掛けが隠されていました。
浴場の天井に描かれた川本家の家紋!?
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3階にあるガス灯
3階にはガス灯の跡があり、現物も保存されています。
しかし、川本楼建設時にはすでに電灯があったのに…電灯完備の建物になぜ敢えてガス灯?
建物に残る「ハートマーク」、その正体は!
町家物語館のシンボルと言えばこの「ハートマーク」。
いかにも妓楼らしい!と感心する人も多いですが、これは別の役割があるのです!









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