映画『太陽の墓場』の舞台を歩く

大島渚太陽の墓場大阪大阪史
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『太陽の墓場』の現代を歩く

映画では、当然の如く昭和30年代当時の釜ヶ崎が映像として出てきます。一部セットを作っているものの、ほとんどはリアルの釜ヶ崎を利用しています。
その姿は、今にも壊れそうなバラックが立ち並ぶ、圧倒的なスラム力。映像から悪臭がただよって来るような、不潔・不良・不道徳の三拍子。
当時の釜ヶ崎がドブ川なら、今は四万十川の清流。同じ場所とは到底思えない。

今の釜ヶ崎なら全然住めますが、昭和30年代の釜ヶ崎に住めと言われたら、全力で首を横に振ります。おそらく、今でも残る釜ヶ崎のスーパーダークなイメージは、昔々のものを引きずっているだけなのでしょうね。

通天閣

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現在の二代目通天閣は、1956年(昭和31)に建てられました。つまり映画の通天閣は築4年以下、まだできたてホヤホヤの時の姿です。
通天閣自体は当時から全く変わっていませんが、周囲の風景は当然の如くすっかり変わっています。

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このシーンも、どこか皆目検討もつきません。が、昭和30年代の大阪の下町がどんな雰囲気だったのか、映画の映像が伝えてくれています。

鉄道交差点のロケセット

『太陽の墓場』のすごいところは、当時の釜ヶ崎を掛け値なしで、ほぼそのまま使っていること。当時はかなり冒険だったと思いますが、そこを大胆に使ったのもまた大島マジックか。

しかし、セットは若干作っているようです。

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田中邦衛さん演じる泥棒稼業のルンペンが、盗品を抱えて走ってくるシーン。主人公の花子の家もここあたりにあるという設定ですが、これはロケセット。上の画像の木の柵と背後にある盛り土は関西線、今のJR大和路線です。

実は、『太陽の墓場』は本編の他に、予告編の映像が幸いYoutubeに残っています。本編で使われなかっただろう映像も使われているのですが、そこにセットが映っていました。

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国鉄関西線と南海電車が交わるところを走る汽車のシーンから、

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カメラが左方向へと流れこのセットへ移ります。ロケを見ている野次馬、カメラマンなどのスタッフも見えます。これで場所は確定。

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ロケセットがあった場所は、ここで間違いありません。

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セットが作られた場所は2018年現在、こうなっています。写真正面、今は道になっている部分にセットが造られていました。関西線との線路の境界線にあった木の柵は、今は金網になっています。

地下鉄動物園前駅

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映画では、地下鉄の駅も出てきます。ある試みのために、釜ヶ崎中に顔が利く花子が駅周辺のルンペンをかき集めているシーンです。
釜ヶ崎にある地下鉄の駅と言えば、動物園前駅。しかし、駅を上がっても動物園はなく、むせるほどの大阪臭がたちこめる「釜ヶ崎前」です。地理的に言って「釜ヶ崎」とつけられるべきなのですけどねー。

改名の話は、あったことはあったそうです。

「動物園前って名前ダサい。名前変えない?」

という話が大阪市交通局かどこかで挙がった時、反対派が一言。

ほな『釜ヶ崎』にしまっか?

この一声で改名の話はなくなったという話を、風のウワサで聞いたことがあります。

それほど「釜ヶ崎」はNGワード。「あいりん地区」という、ネーミングセンス意味不明の名前に変えさせられたのも、「臭いものには蓋をしろ」の行政版です。

それはさておき、映画に映った地下鉄の出口はどこか。

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2018年現在、映画の入口は「動物園前駅③出口」として健在です。

ここに違いない、電話ボックスの位置も台数も同じやからここに違いないと最初は思ったのですが、読者さんよりある指摘が入ることとなりました。

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階段の上に、地下鉄の始発・終電が書かれています。御堂筋線の「梅田行」と「あびこ行」と書かれているのですが、この時刻が動物園前ではなく天王寺駅というのです。ソースも提示していただいたので間違いではないはず。

個人的には、動物園前駅のはずやけどな…と引っかかりを感じますが、天王寺駅の可能性が高いということをここに付け足しておきます。

話は変わって、この「梅田行」「あびこ行」からわかることは、

・北は梅田までしか開通していない(新大阪までの開通はこの4年後)
・南はあびこまでしか開通していない(なかもずまでの延伸はもっと後)
・堺筋線がない(未開通)

この映像でもう一つ、わかったことがあります。

『太陽の墓場』の全国上映は、昭和35年(1960)の8月9日です。対して御堂筋線があびこまで開通したのは、年7月1日。ここから映画の上映が、1ヶ月ちょっとの間しか空いていません。

上にも書いたとおり、この映画は2ヶ月というド短期の製作でした。このカットは、あびこ開通直後の7月頭か中旬くらいに撮影されたのでしょう。かなり切羽詰った日程で作られたことを示す、さりげない発見です。これは間違いないでしょう。

阪堺線ガード下

幼馴染と一緒に愚連隊に入った武。
幼馴染の方は数々の犯罪に手を染め、愚連隊と釜ヶ崎の空気に馴染んでいくのですが、根がやさしい武は馴染めず、悩みに悩みます。愚連隊を何度も抜けては捕まり、仲間によるリンチ一歩手前でボスの信が庇ってお咎め無し、ということを繰り返しました。

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この武、今でいう草食系男子です。無鉄砲な分ヤクザより質が悪い愚連隊のメンバーにしては、純粋で優しすぎるのです。やさしいことは良いことです。ただし、釜ヶ崎ではそれが命取りにもなりかねない。

男など「釜」のドブネズミかミナミのヤクザしか知らない花子は、そんな武を見下します。が、純粋さを保つ武の心に母性を感じたのか、何かと世話を焼き始めます。

花子に声をかけられた武は後ろを振り向き、その時阪堺線のチンチン電車が前を通り過ぎます。

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この場所は、釜ヶ崎に詳しい人なら説明不要なほど有名な「ガード下」。
現在は金網だらけで当時の風情を感じさせませんが、金網を除くとここは変わっていません。

「阪堺線ガード下」は、地下鉄堺筋線動物園前駅の9番出口のすぐ前です。丈が異様に低いガードは、まるで異世界へ続く大きな洞穴のように見えることもあります。

ガードを抜けると、そこは空気の流れすら変わる別世界。人によっては先へ入ることを本能が拒否し初め、人によってはこれが俺の求めていた釜ヶ崎だと狂喜する、「真の釜ヶ崎」

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釜ヶ崎には、「広義の釜ヶ崎」「狭義の釜ヶ崎」があります。

赤枠で囲んだ「広義の釜ヶ崎」は、かつて売春や麻薬の密売が盛んで、警察が危険地帯とマークしていたところ。部外者が「釜ヶ崎」と聞いて漠然と認識するエリアは、こことなります。

阪堺線を境界線として西にある、黄色で囲んだ「狭義の釜ヶ崎」は、日雇い労働者の本拠地。ここを南北に貫く紀州街道沿いに木賃宿(ドヤ)ができ、貧民が集まった元祖です。過去に数回暴動が起きたところも、『じゃりン子チエ』の原作の街も、「狭義の釜ヶ崎」です。

今回は詳しく語りませんが、外国人旅行者のベースとして脱皮しつつあるのは、「広義の釜ヶ崎」の方。「狭義の釜ヶ崎」は隣の外国人ラッシュには背を向け、外国人と女性の宿泊を頑なに拒絶しています。宿泊料も、「広義」と「狭義」のエリアでは、場所によっては1.5倍ほどの差があります。

三角公園

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「狭義の釜ヶ崎」には、「三角公園」と呼ばれる有名なルンペンのたまり場があります。

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「三角公園」の正式名称は「萩之茶屋南公園」というのですが、誰もそんな名前では呼んでいません。みんな「三角公園」です。私もGoogle mapを見てビックリ。ここって『三角公園』ちゃうのん?と。

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2018年現在の「三角公園」。映画とほぼ同じ角度で撮ったつもりです。

この写真ではわかりにくいですが、ここでは今でも住居にあぶれたルンペンが、バラックを建て生活しています。彼らに対するボランティアの炊き出しも、ここで行われます。
ここでは、好奇心だけで絶対にカメラを向けないように!!上の写真も、彼らの見えない(だろう)安全圏から最大望遠で撮ったにすぎません。
何度も言いますが、釜ヶ崎は昔に比べて確かにクリーンになりました。が、そこからもあぶれた人たちの最後の牙城が「三角公園」。
無用のトラブルを避けたければ、スマホですら収めておいた方が良い。いや、ここの「魔気」に呑まれ自然に収めることになると思います。

ここでちょっとコーヒーブレイク、歴史の寄り道を。

歴史の小ネタ。「三角公園」にあった駅

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(今昔マップ京阪神版より。1974年地図)

かつて、天王寺~天下茶屋間を南海電車が走っていました。南海天王寺支線です。
平成5年(1993)に全線廃止となったのですが、昭和50年代以前生まれの大阪人なら、天王寺駅の端に居心地悪そうに止まる、1両か2両の電車に見覚えがあると思います。

この天王寺支線、たった2.4kmの短い支線だったのですが、途中駅の変遷が激しい路線でもありました。上の地図での停車駅は「今池町」のみとなっていますが、戦前は別の駅が存在していました。

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(1939年大阪市街地図より)

今池町駅がないかわりに、「大門前」「曳舟」という駅がありました。この2つは、昭和20年の大阪大空襲で破壊され、駅として全く機能しなくなっため戦後すぐに廃駅となりました。特に曳舟駅には、1トン爆弾が直撃したのかクレーターのような穴が開き、池となっていたそうです。

この2つの駅、地図でわかるとおり存在していたことは確かです。しかし、どんな駅だったのか、写真が残っていないのです。

しかし、こんなものを見つけました。

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昭和17年(1942)、大阪市所蔵の航空写真です。昭和17年だと駅が消失してしまう前のこと、駅は存在しています。

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写真を極限まで拡大すると、ホームらしきものの他に、駅舎っぽい建物もある気配がします。ホーム(推定)は一つしか確認できないので、曳舟駅はおそらく島式一面でしょう。そんなことすらデータが残っていない、幻の駅なのです。

しかしながら、今回これらの幻の駅が、航空写真とは言え写真で確認が取れました。

その曳舟駅と同じく、爆弾の直撃を受けて更地となった跡にできたのが、あの「三角公園」です。航空写真を見ると、「三角公園」の形で住宅が密集していたことがわかります。幻の曳舟駅は、ここに存在していました。

あれ?昭和3x年?

写真の時系列がズレるのですが、オープニングで日雇い労働者が売血、つまり自分の血を売ってお金にするシーンがあります。売血という行為自体がショッキングに感じると思いますが、当時は違法ながら当たり前に行われていました。

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で、そこに映っていたカレンダーに妖気を感じ・・・ではなく、不可解さを感じました。

カレンダーには「7月3日 木曜日」と書いています。

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昭和35年7月3日は日曜日。よって、映画が上映された昭和35年のカレンダーではないことは確定。

なら、これはいつのカレンダーなのか。7月3日木曜日となる年を探してみました。

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すると、2年前の昭和33年(1958)が該当。ははん、小道具に数年前のカレンダー使いよったな(笑 まあいいや、これで解決!

…と思ったのですが。

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カレンダーの左側には、「六月六日」と書かれています。その上の文字が「暦」なので、おそらく旧暦でしょう。

なんや、昭和33年7月3日が旧暦6月6日やろ?なんやどうということはない。

ところが!!

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旧暦計算サイト(byカシオ)より)

あれ?全然違うやん。

ここまで来れば、毒を食らわばなんとかまで。「7月3日木曜日。旧暦6月6日」を徹底的に探してみました。探していくうちに、気づいたら18世紀に突入していました(笑)
しかし、170年分くらい探しても見つからず。これは一体なんなのか・・・。

はははは、それはトラップだ!

こんなところに気づいたのは褒めてやる。しかしただの小道具だ、残念だったな!!

草葉の陰から大島監督の笑い声が聞こえそうです。

大阪城の横

『太陽の墓場』のロケは、釜ヶ崎だけではありません。

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奥に大阪城が見えていることから、ここは釜ヶ崎ではありません。また、切り取った画像では見えないのですが、奥に城東線(大阪環状線)が走っており、本編では実際に電車が走っています。

さて、ここはどこなのか。

大阪城の東側は戦前、「大阪陸軍造兵廠」という陸軍経営の工場がひしめき合う工場地帯でした。

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(Wikipediaより)

地図でわかるように、今の大阪城ホールからOBP、JRや地下鉄の車庫やUR森ノ宮団地までの広範囲。面積は「アジア最大」と言われていました。

軍営なので基本的に兵器を作る工場ではあるのですが、それ以外にも金属製鳥居や水道管、服なども製造しており、科学実験も行っていた国営巨大重工業メーカーのようなものでした。

戦争中、ここは不思議なほど米軍の空襲を受けずでした。やっと(?)空襲されたのは、終戦1日前の1945年8月14日。しかし今まで空襲されなかった分、ここだけを集中砲火する形で爆弾が落とされ、アジア一と謳われた工場群は半日で灰燼に帰しました。

戦後の工廠跡地は鉄くずの山として残り、それを売って小遣いを稼ぐ人間たちの稼ぎ場となりました。終戦後は鶴橋に住んでいた我が父親もその一人で、手軽なアルバイト感覚で鉄くず拾いに行っていたそうな。記憶によると、子どもの小遣い稼ぎには十分な金になったそうです。

彼らは次第の組織化し、次第に在日朝鮮人を中心にした「アパッチ族」という集団になりました。アパッチ族と警察との格闘は、実際にアパッチ族の一人だった梁石日や開高健が小説にしています。

しかし、ここは不発弾も多く残り、国も大阪市も手を出せない危険地帯でもありました。オヤジも、たまに爆弾を踏んだか何人か吹き飛んだと言っていました…。

不発弾処理は平成に入るまで続きました。

「大阪城近くで不発弾発見!処理のため電車止めます」

と大阪環状線が度々止まったことは、昭和60年代までは珍しくなかったのです。

あいにくロケが行われた昭和35年前後の航空写真はないようですが、昭和39年の地図が残っていたので、それを参考にします。

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現在は大阪城公園駅がある場所の東側に、骨組みだけになっている工廠の跡が残っています。現在は地下鉄の検車場になっていますが、映像の大阪城の角度からして、映画の中の骨組みの廃墟はここでしょう。

昭和23年(1948)の航空写真も見てみたのですが、比較すると工廠跡は高度経済成長期が始まっても、全く手付かずなことがわかります。戦後20年近く経っても放置・・・それだけ不発弾が多く手が開発が遅れたのでしょう。

『太陽の墓場』には他にも、

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南海ホークスの拠点だった今は亡き大阪球場(現なんばパークス)や、

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道頓堀のグリコの看板など、高度経済成長時代前の貴重な大阪の映像が数多く見られます。映画の内容もさることながら、昭和30年代の大阪の一部を、カラーで見られること自体が貴重。大島渚もえらい歴史的資料を残してくれたものです。

が、そこをいちいち挙げていくとキリがなくなってきたので、今回はこれまで。

お次は、映画内に出てくる貴重な大阪の中でも、鉄道に関する超貴重なものをピックアップします。

なお、『太陽の墓場』前編はYoutubeで有料閲覧が可能です。

コメント

  1. すい より:

    いつも楽しく読ませていただいています。
    地下鉄入口ですが、天王寺駅ではないでしょうか。時刻表が天王寺駅と一致しました。
    通天閣は合成なのかなと思いましたが、天王寺駅からなら角度の辻褄があいます。
    八尾市行きと平林町行きのバスのルートがわかるといいのですが…

    https://books.google.co.jp/books?id=b5TW3qf7JBQC&pg=PA360

    • 米澤光司 より:

      コメントありがとうございます。
      確かに時刻は一致するのですが、これ1968年(昭和43年)のですよね?ちょっと時期が離れすぎではと思うので参考記録かなと。
      もう少し上映時期が近い時刻表でご確認いただければ、可能性が増すのですが。私が持っている時刻表には地下鉄が載っておらず確認ができません。

      • すい より:

        1967年以前の全国のには載ってないですよね、地下鉄。載ってるのあるのかな? そのうち探してみます。

      • すい より:

        2年たってしまいましたが… 大阪市交通局「伸びゆく地下鉄」(1958)に天王寺駅の初発・終発が記載されており、1968年と時刻に変わりありませんでした。大阪市立中央図書館で確認しました。よろしければご参考になさってください。

  2. けせらんぱたやん より:

    はじめまして。

    私の亡くなった親父がこのロケを見物していたと聞いています。
    私なりに検証している点をいくつか列挙します。ご参考までに。

    現在JR大阪環状線と大和路線の複々線になっている線路は、当時は大和路線(関西線)のみで、現在の大阪環状線の線路の敷設されている場所には当時は線路はなく、土を盛っていた斜面になっていて、バラックは実際に存在していたそうです。
    また、線路の下のトンネルは現存していますが、西成側の食堂もおそらく当時には存在していたと考えられます。
    つまり、あれらはロケセットではなく、実際にあったモノをそのまま使っているはずです。
    また、1ページ目の、何処か解らない見通しの良い一本道の先に通天閣が見えている場所は、現在星野リゾートを建設している北側の道と思われます。つまり、ラストカットの南海電車の高架下のスリットから通天閣を見通している例のアングルの線上のカットです。(実はこれとほぼ同じアングルを「半沢直樹」の第1シーズンでも使っています)

    通天閣を背景にしているカットの中には、通天閣の東側=四天王寺側の一心寺の敷地内で撮られたカットもあります。
    映画の途中で運河や堀が出て来るシーンがありますが、あれらのシーンの一部は、現在は阪神高速道路の環状線のある場所ではないかと考えています。
    阪神高速道路を敷設する為の用地確保では運河の真上を利用したり、運河そのものを埋め立てていたようです。

    何かしらの参考になりましたら、幸いです。

  3. 北中道 より:

    この映画見ました。地下鉄の入り口のシーンは天王寺駅ですね。映画見てるとこの先が交差点になっていますね(交差点の信号が画面右側に見えてくる)。このシーンを初めて見た瞬間にJR天王寺駅北口を出てすぐの交差点(玉造筋と谷町筋の交わるところ)がすぐに思い浮かびました。グーグルマップで見ると通天閣が見える角度もドンピシャなのと、上の画像には映っていませんが、映画の中で一瞬映る画面右上の建物?は最近まで残っていたような。。。それとこのシーンで地下鉄に降りていく女学生二人の制服は天王寺駅でよく見かける大谷高校かと思われます。

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