旧大社線大社駅舎-出雲に残る和風建築の贅

大社駅サムネ 野良歴史家の歴史探偵
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出雲大社への鉄道

出雲大社

出雲へ向かう人々の流れのベクトルは、まず出雲大社へ向かいます。

出雲市から出雲大社へはバスもありますが、一畑電鉄の電車ものんびり走っています。現在は道路状態も良くなってバスや自家用車での参拝も多いなか、観光用に車両を改造したり健闘しており、ついつい応援したくなります。地方のローカル鉄道ですが、コロナ騒ぎ前の元旦には駅から人が溢れていたほどの賑わいでした。

 

近代建築出雲大社前駅舎

一畑電鉄の出雲大社前駅は、昭和5年(1930)2月に「大社神門前」として開業しました。

この駅舎は開業当時に建てられた、鉄筋コンクリートの平屋建ての洋風建築。大社の門前町という「和」の中に突如としてあらわれた不純物なしの「洋」、現在でも周囲に対し強烈な個性を放っています。建てられた当時の衝撃と目立ちぷりたるや、容易に想像がつきます。

出雲大社前駅構内

出雲大社前駅構内

出雲大社前駅構内

駅舎自体は延命措置が取られた上でリフォームされましたが、駅構内も、ステンドグラスや旧切符売り場など、実に当時の面影をよく残しています。

この駅舎の設計は木子七郎という人物だと言われています。一畑電鉄に残る資料によると、昭和4年10月10日の重役会議で木子に設計を依頼したという記録が存在するのですが、肝腎の契約書やブループリント(図面)など、「とどめの資料」が残っていないという状態にあります1。今後の調査に期待しましょう。

そんなむさ苦しいほどの「洋」の出雲大社前駅に対し、「和」の神髄の如き対称的な駅が、かつて大社町には存在していました。「あった」といっても、現在も「ある」のですが。

大社線と大社駅

大社線路線図出雲市から大社まで、かつて大社線という路線が存在していました。全長7.5km、決して長くもない路線で、平成2年(1990)限りで廃止になりました。

最後は要らない子扱いされて消えたこの路線ですが、その昔は出雲大社への参拝客で溢れかえり、全国から参拝臨時列車が発着していた「主要路線」だったのです。その賑わいの面影が、駅舎にあらわれています。

 

大社駅

出雲大社への玄関口にふさわしい、堂々とした「和」の神髄です。

この本屋は、近代建築ではおなじみの車止めを擁した中央棟に、大鳥が翼を広げたような左右対称の構造となっています。

 

大社駅

遠目で見てもかなり金と技術をかけた建物であることがわかるのですが、間近で見るとその偉容にため息が出ることでしょう。現役を終えて今年でちょうど30年ですが、大社におけるその存在感は変わっていないと思います。

この駅舎、そもそも大社線の廃止とともに解体される運命にありました。が、ここまでの建物を解体して木の残骸と化するのはあまりにも惜しい。当然のことながら保存運動が巻き起こり、保存が決定。平成16年(2004)に重要文化財に指定され現在に至っています。

 

旧駅舎内-和のレトロ感溢れる空間

大社駅構内

駅舎正面の入口から入ると、旧切符売り場と真正面で対面となります。天井は能の舞台のようになっており、まるで能か狂言でも披露できそうな形になっています。まさか切符売り場の上で舞うなんてことはないと思いますが(笑

 

 

 

大社駅

切符売り場の中には、現役当時使われていた黒電話や駅員の制服などが展示されていますが、細かいところを見ていくと、「東別府」「大分」の文字が…。それも「二等」「三等」っておそらく戦前のものかと。

出雲なのに九州の文字に出会うとは、それだけ全国各地から参拝客が多かったという間接的な証拠と言えます。

 

旧大社駅新切符売り場

本屋入って左側には、戦後に作られおそらく廃線時まで使われていただろう切符売り場もそのまま残されています。

こちらの上にある行き先の料金表も、東京、大阪、四国、九州まで網羅しています。ここに書かれているということは、そこまで行く人の需要があったということ。ここまで全国に散らばっているということは、関東から九州まで客が訪れていたということですね。

 

大社駅構内

当然、膨大な数の乗客をさばくためには、駅舎内広場(コンコース)も広くないとたちまち混乱に陥ってしまいます。大社駅のもかなり余裕のある広さに作られています。

 

 

大社駅

大社駅の往年の賑わいを思い起こさせるものに、旅館の案内があります。戦後のピーク時は列車が着く度に旅館の幟や旗を掲げた旅館のスタッフが駅に溢れ、時には客の取り合いをして小競り合いになったという話も聞いています。
なお、この旅館の中には、ある有名人の実家もあります。それはまた後で…。

 

大社駅旧二等待合室

駅舎向かって右側にあるのは、旧二等客待合室です。

以前の日本の列車は、一等・二等・三等の三段階の車両に分かれていました。これを「等級制」といいます。「等級制」が当たり前だった頃は、待合室も「1等・2等」は別に設置されていました。飛行機でもビジネスやファーストクラスの乗客はVIPルームが使えるのと同じことが、鉄道にあったと思えば結構です。

出雲大社への参拝客も多い駅なので、偉いさんや大社の宮司(千家など)も二等を使用するので、この設備は必須でした。ここは昭和初期まで使われ、現在は昔の国鉄時代の品の陳列室になっています。

ここと逆の正面左側は、皇室などが使用する貴賓室ですが、非公開となっています。

NEXT:賑わいの跡を残すホームなど

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  1. 『一畑電気鉄道百年史』(2016年刊)より
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