大阪は新世界には、レトロゲームに特化したレトロゲーセンがいくつか存在しています。次回紹介する(予告編です)ザリガニが知名度では一歩抜きん出ているようのですが、他にもブログのネタにすべきゲーセンがいくつか存在しています。
今日は、その一つを紹介します。
ゲームセンターかすが
平日でも観光客の足が絶えないジャンジャン横丁の雑踏の中に、そのゲームセンターはあります。ただでさえ狭い上に人通りが激しいジャンジャン横丁、意識しないと見逃しそうなほど、そのゲーセンはさりげなくたたずんでいます。
「テレビゲーム かすが」…このネーミングだけでも、十分レトロです。そう言えば、ファミコンがテレビゲームの代名詞になる前の昔、テレビゲームって言ってたよなと。
ここは正式名称を「かすが娯楽場」と言うのですが、ググったらそう出て来る程度で、「ゲーセンのかすが」で十分通じるものと思われます。
中は昔ながらの、アラフォー~50代には少年時代にタイムスリップした懐古感が充満しています。隣どうしの会話が聞こえないほどの煩さ、暗さと明るさが交錯したような店内、ゲームに夢中の客の真剣な横顔、その中に昔々の自分がいそうな雰囲気です。
さっと見渡してみると、ゲームに夢中の大きな子どもたちは、ほとんどが男性です。
しかし、カップルでゲームを楽しむ20代の男女もおり、名前通りの「娯楽場」としてみんな楽しんでいる感じがします。私も元ゲーマーとして、ここを楽しまないと。100円玉を大量に握りしめ、いざ子供時代へ心だけタイムスリップ。
「かすが」概要
昭和の昔、街の繁華街に一つはあったちょっと大きめのゲーセンの雰囲気をよく残しています。ゲーセンが少年たちの「娯楽場」だった時の雰囲気ですね。
奥にはゲームだけでなく、ミニパチンコやUFOキャッチャーなども置いています。
筐体ベースのテーブルゲームは1プレイ50円、他は100円で遊べます。
なんだか昔懐かしい、レトロな50円両替機もあります。
「かすが」は、脱衣麻雀系のゲームがあることが個性になっています。「ザリガニ」が完全に童心に戻ることをコンセプトにしたゲーセンならば、「かすが」は思春期に脱衣麻雀をやったあのドキドキを味わえる、ちょっぴり大人の味がするゲーセンです(笑)
私服に着替えてコソコソ脱衣麻雀をゲーセンでやって顔がにやけていたところを、友達に、特に女の子に見られた時は、穴があったら入りたいを越えて、その場で自決したい気分でした。中学生とはかくも甘酸っぱい、純粋な時だった…あの時の青春は何処へ飛んでいってしまったのだろうか(遠い目
体感ゲームは、電車でGOや銃で撃つ系のゲームがいくつか。
さて、中にあるゲームを実際にやってみました。読者の皆様、しばし童心にお戻り下さい。
あ、べ、べつに遊んでいるわけじゃないんだからね!しょ、昭和史の研究の一つなんだからね!ゲームも昭和の産業遺産なんだから立派な昭和社会史なんだからね!
マリオブラザーズ
みんなおなじみ、懐かしきマリオブラザーズ。リアルファミコン世代ではない良い子たち、スーパーマリオブラザーズではありませんよ~。
「マリオ」は今は世界のマリオになってしまいましたが、原点はドンキーコングとこのゲーム。スーパーマリオも、カメのノコノコもこのゲームがなければ生まれなかったと言っても過言ではありません。
マリオがアーケードに出たのは1983年と、調べてみると案外新しい。ファミコンゲームのスーパーマリオが1985年なので、2年しかブランクがなかったのは意外でした。てっきり10年くらいの間隔があったのかと。
実は私、アーケードでマリオをやるのは初めてです。当然ファミコンではテレビに穴が開くほどやり尽くしましたが、マリオブラザーズ=ファミコンというイメージが強すぎて、ゲーセンにマリオがあることに違和感を感じます。しかし、本来は逆なんですよね。
2人同時プレイの、いわゆる「殺し合い」も友達どうしでやっていました。それが原因で取っ組み合いのケンカをしたのも今や昔。読者の皆さんも、マリオでケンカした人、正直いるでしょ!?(笑)
ところで、このマリオブラザーズはパソコン版もあった記憶があります。
私の小学校の校区内には、誰でも知ってる某超一流商社の家族寮がありました。といっても別にトイレの便座が純金でできているわけではなく、ただの団地だったのですが。
しかしそこの寮だけを見ると、当時高嶺の花なんてものではなかったパソコンを、まるでテレビのように持っていた同級生・同期生が多かった気がします。
MSX+ファミコンというバブリーな二刀流もいて、同級生からは神のごとく扱われていました。今思えば、やっぱ超一流商社社員の家族だけあって、ブルジョアだったんだなーと。
おまけにバブル景気の真っ最中だったので、ボーナス年4回とかもらってたんやろな。…ただの貧乏人の倅の僻みです。
そんな同級生の一人の家にもパソコンがありました。機種などは全く覚えていません。X68000ではなかったことだけは確かです。
ただ、そのパソコンでマリオブラザーズをやった記憶だけが、こびりついているのです。ただ、パソコンにマリオブラザーズが発売されていた記録は、Wikipediaにも、マリオの歴史を動画で紹介したようつべのサイトにもなし。記憶違いの可能性もなきにしもあらずですが、いやいや、確かにやった。
どなたか、私のこのもやもやを解決して下さい。
マリオから卒業して25年以上は経ちますが、実際プレイをすると、基本操作はもちろん、敵の出現パターンまで驚くほど覚えています。
しかし!
こんな敵キャラ、ファミコン版におったっけ?カメとカニは知ってるけれど、ハエなんて私のデータには入っておりませぬ。忘れてるだけかもしれへんけど。(後日調べたら、ファミコン版にもいました。私が忘れていただけでした)
ハエの出現ですっかり頭が混乱してしまった私。
最初は楽勝だったこのゲームも、ステージが進むと敵はウヨウヨ多くなるは、ファイヤーボールの出現がめちゃ多くなるは、画面いっぱいに敵だらけ。
マリオって、こ、こんなに難しかったっけ?30年前にやりこなしたゲームや、楽勝楽勝♪と思ってスタートしただけに、完全にテンパってしまいました。こんなはずちゃうかったのに(笑)
ペンゴ
幼いころ、家族でよくボーリングに行った覚えがあるのですが、当時7~8歳だった私は当然ボーリングなどできず、家族がボールを投げているのを親の横で見てるだけでした。
遊びたい盛りなのに遊べない、見てるだけでは飽きてしまうのは自然です。
昭和50年代のボーリング場の一角には、必ずゲームセンターが設けられていました。
ゲーセンのゲームなど10年早いわと言われるお年頃でしたが、卓上ゲームがズラリと並び、数々のゲームキャラが画面の中で動いている姿を見ているだけでも楽しかったです。
今でもボーリング場に行くと胸がワクワクするのですが、幼いころのワクワク感がどこかに残っているのでしょう。しかし、目の前にあるのにできないもどかしさもありました。
大人になったら死ぬまでゲームやってやる!いや、ゲーセンに住んでやる!悔しさに似た感情を胸に秘め、そのまま大人になりました。
その中で今でもはっきり覚えているのが、このペンゴというゲーム。
これってSEGAのゲームだったのか。SEGAとくれば、スペースハリアーやアフターバーナーなどの「体感ゲーム」のインパクトが強く、こんな地味な(?)ゲームメーカーというイメージが湧きません。
Wikipedia先生で調べてみると、このゲームが登場したのは昭和57年(1982)10月のこと。8歳なので記憶に間違いはないようです。
40代後半~50代の人は、リアルタイムでプレイしたことがあるのではないでしょうか。
画面を見ただけで、昭和50年代の記憶が走馬灯のように蘇る。ペンゴの画面がなんだか歪んで見える。
平成生まれにはわからないだろう、この昭和ノスタルジー。
気づいたら、50円を握りしめて椅子に座っていました。
50円を入れた、スタート!
しかし、ここでフリーズしてしまいました。懐かしさのあまり条件反射でスタートしてしまい、どんなゲームなのか、内容をすっかり知らなかった(笑)
幼き時の思い出は、所詮画面を見ていただけの思い出。やったことがなかったことをすっかり忘れておりました。
適当にやってみたものの、やはりどうクリアしていいのかわからないまま、あっという間にゲームオーバーとなってしまいました(笑
源平討魔伝
ナムコ(今のバンダイナムコ)の超名作にして、1980年代のゲーム史を代表する伝説のゲームです。ゲーマーならもう説明不要でしょう。
ゲームの内容自体も面白く、当時珍しかった音声合成も革命的でしたが、源平討魔伝で注目すべきは画面のクオリティ。現物を目の前にして改めて思うことは、1986年でここまでのクオリティのゲームを、よくぞ作れたなと。
以前、X68000という1980年代のパソコンへの思いをエッセイにしました。
このパソコンでも源平討魔伝がコピペの如く移植されていて、ゲーマー総よだれダラダラだった記憶があります。
源平討魔伝は過去に何度かやったことがあるのですが、どうせ50円なので久しぶりに遊んでみました。
行け、そして頼朝をうて。
イエッッサー!!
地獄から這い上がり。
壇ノ浦を越え越え。
竹やぶと突切り義経をやっつけて、
あっという間に力尽きました(笑
お前の力はそんなものか。なさけなや。
叱られてしまいました(笑)
シューティングゲームの元祖中の元祖
「かすが」の入り口にはかつて、どのゲームよりも懐かしく、どのゲームのご先祖様的ゲームがウェルカムしてくれていました。残念ながら現存しないのですが…
インベーダーですよ、インベーダー!!
我々は「インベーダー」と言っていますが、「スペースインベーダー」というのが正式名称です。昭和53年(1978)に登場したこのゲーム、「日本中から100円玉がなくなった」といわしめたほど大ブームを巻き起こしました。
インベーダーブーム当時、私は4歳でしたが、年上のお兄さん方が100円玉を筐体の上に積み上げてプレイしていた光景はよく覚えています。
インベーダー、実は最初は白黒だったのですが、
味気ないとカラーテープで色を付けたものが出現。これ、おぼろげながらゲーセンで見た覚えがあります。
カラーが出たのは、白黒の1年後くらいだった気がします。
ブーム当時は4歳だったのでさすがにリアルタイムにやったことはないですが、ゲームセンターのあの雰囲気が大好きで、近所のゲーセンに入り浸っていた不良幼児でした。
残念ながら、2020年7月に「かすが」へ偵察した際はなくなっていたので、復活を静かに希望する私がいます。
この世界的ゲームを作ったのは、「タイトー」というメーカーでした。インベーダーにしろパックマンにしろ、世界中で流行ったゲームなのでてっきり外国発かと思いきや、100%純粋な日本発のゲームなのです。
そんな世界的なゲームを作り上げたタイトーも、今はある企業の傘下に入り細々と命脈を保っているに過ぎません。タイトーの歴史を見ると、栄光も春の夜の夢の如しと平家物語の冒頭部分を朗読しているような気分になります。
で、インベーダーをやるには一度やってみたかったことがあるのです。
それは「名古屋撃ち」。
インベーダーは、自らプレイヤーに攻撃を仕掛けてきます。なんや当たり前やんと思うでしょうが、敵がプレーヤーにランダムに攻撃してくるゲームは、実はこのインベーダーが世界初でした。それ故、世界初のシューティングゲームという肩書も持っています。
しかしこのゲーム、自機のすぐ手前まで来ると攻撃を仕掛けてこないという特性があります。
その特性を利用し、インベーダーを自機のすぐ手前まで引き寄せ、ゆっくり料理するというテクニックです。
何故「名古屋撃ち」かというと、名古屋のゲーマーが編み出したテクだからだそうです。
そして、男は黙って名古屋撃ち!
…し損ねてゲームオーバーになってしまいました(笑)
残機があるのになんでやねん!?レトロゲームやから老朽化で中のプログラムおかしくなったんか!?頭が冷静になった後にググってみると、敵が自陣まで来ると残機に関係なくゲームオーバーなんですね。そんな設定知らんわい。
この「かすが」にはまだまだレトロゲームファンや、私のようなストレスフルで子供時代に帰りたい大きなお友達をうならせるゲームがたくさんあります。すべてはさすがに紹介しきれません。
どんなものか興味がある方は、実際に行って見てみましょう。見~て~る~だ~け~では終わらないと思いますけどね、ふふふ。
コメント
これでしょうか?
http://www.8-bits.info/gamelist/PC88/info/info_4BJJNDTphSYS9IpP.php