龍神駅-堺の玄関駅栄枯盛衰

南海本線龍神駅 鉄道史
スポンサーリンク

歴史の脇道-堺と湊の間にあったもう一つの駅


ちょっと話を脇道にそらします。
現在、本線の堺駅の次の駅は湊という駅となっています。その間に龍神駅があったのは前述のとおりですが、実はもう一つ、駅が存在していたのをご存じでしょうか。

「堺と湊の間にかつて小さい駅があって、いつの間にかなくなっていた」
という話は歴史を調べているうちに気付いており、調べてほしいという依頼はTwitterでも実際にありました。が、放置したまま日にちが過ぎていき。
そして今回、龍神駅の乗客推移を『大阪府統計書』で調べていくと、「奴」は唐突にその姿をあらわしました。

南海本線大浜駅

奴の名前は大浜(大濱)駅

 

南海堺大浜停車場
この駅の存在は、統計書には明治40年(1907)から登場します。前述のとおり、開業当時龍神駅はまだ産声すらあげていません。
そのまま駅(停車場)として時は進み大正5年(1916)、『官報』にこんな通知がありました。

私鉄鉄道停車場旅客取扱廃止
南海鉄道株式会社より大浜停車場に於ける旅客取り扱いを本月14日限廃止の旨届出てたり(鉄道院)※原文は旧字体カタカナ
『官報』大正五年十二月二十二日1

『大阪府統計書』には翌年の大正6年まで客扱いされている数字が出ているのですが、この通知から大正5年の数字だったのでしょう。
そして大正7年(1918)からの統計書から旅客の数字が消え、貨物駅扱いとなります。
その貨物取扱量も徐々に減っていき、統計書にあらわれる最後の年が昭和2年(1927)。この年の貨物取扱量は1日あたり1トン。隣である堺駅が貨物ターミナル駅として充実したため、この年をもって要らない子扱いされたのでしょう、翌年から大浜の文字は消えています。廃駅届が国に提出されているはずですが、それを裏付ける証拠は『官報』には掲載されていません。

さて、資料少なすぎで堺市民や鉄道史好きからは半分フィクションと化している南海大浜駅、これで存在は確認した。さて、大浜駅はどこにあったのか。
龍神駅開業すぐのころの大正3年(1914)2月26日の『官報』に、大浜停車場の距離が数字で示されています。

私設鉄道停車場位置変更
南海鉄道株式会社大浜停車場位置変更の結果哩程異動左の如し
堺大浜間 哩分0.4
大浜湊間 哩分0.5
(哩:マイル)
『官報』大正三年二月二十六日2 ※原文は旧字体カタカナ

0.4マイルは約643m、0.5マイルは約804m。後述しますが堺~湊間は戦後に路線変更が行われており、現在の路線は参考になりませんが、幸い旧路線は龍神・栄橋遊郭の調査時に合点承知の助なので計測は楽勝。
そして何より、廃駅になったのが昭和2年か3年(推定)。私の資料兵器である大阪市航空写真には跡がくっきり残っていてもおかしくない。ほのかな期待を込めて。

すると、見つけました。

南海大浜駅航空写真

貨物駅だったのでけっこうな敷地取ってるだろうなと推定すると、ぴったり0.4マイルの位置にそれらしき跡がありました。大浜駅の場所を99%特定、これは私が知っている限り、ネットでは初であります。

南海大浜駅跡

現在の位置になおすと、ここあたりとなります。

しかし、大浜公園へのアクセスなら大浜駅だって決して悪くはない。むしろ近いかも!?その先輩駅を「捨てて」までなぜ龍神という新駅まで作ったのか。
やはり、阪堺とのアクセスの利便さを取ったのでしょうか。個人的には、遊郭へのアクセスも兼ねたと考察しています。双方の利便を考えたら龍神駅は絶妙のロケーションですから。

NEXT→龍神駅のその後
  1. 国会図書館デジタルアーカイブコマ番号8
  2. 国会図書館デジタルアーカイブコマ番号5

コメント

  1. kome より:

    今回も大変勉強になりました。
    小学校の時の担任の先生が龍神駅近くに住んでいて、「龍神駅は浜寺公園駅のようにお洒落な駅舎だった」と言っていました。その方は堺の空襲も経験されていました。
    20年以上前の鉄道ピクトリアルの南海特集で戦後のホームの写真を見て存在は知っていましたが、これほど話題があるんだと、いつもながらのぶさんのブログには感心するばかりです。
    堺は、東西軸を巡る近鉄との攻防等、エピソードはまだまだ掘ればでてきそうですね。

    • 米澤光司 より:

      >komeさん

      まいどありがとうございます。
      龍神駅で検索してくる人がちょくちょくいて、だれも書いてないし2000文字くらいでいいから適当に書くか…と書き出したら、すごい勢いで情報が出てきてこうなりました(笑)
      龍神駅の駅舎は、本文に載せた絵の左側に出てきますが、ここは「東口」というか裏口というか、大浜公園に面したメインの駅舎があったと推定しています。どんな駅舎だったんでしょうね。ほんと写真残ってないんですよ…

  2. ocean より:

    いつも興味深く拝読しております。

    「堺の鉄道110年―日本の私鉄発祥の地・堺市の鉄道史」の本に阪堺線の龍神駅一部が
    写った写真が掲載されています。

    • 米澤光司 より:

      >oceanさん

      はじめまして、拙ブログにコメントありがとうございます。
      「堺の鉄道110年―日本の私鉄発祥の地・堺市の鉄道史」は本文を書いた後にTwitterのフォロワーさんのツイートにあったのですが、これは「駅」というより「駅前」と判断したのと、堺市立図書館が「もっとデジタルアーカイブ活用して」と嘆いていたのでそちらを採用し、掲載はしませんでした。

  3. Drome より:

    とても勉強になりました。
    コメント機能があるのを今の今まで存じ上げておらず、初めてコメントさせていただきます(笑)
    古い地図を見てみると、大浜駅には芦原駅という名前もあったようです。
    (芦原というのは、町名と言ったものには残っておりませんが、大浜駅跡の周辺を本拠地とするふとん太鼓の団体名などに残っていたりしております。)
    拙い文章で申し訳ございません。

    • 米澤光司 より:

      >Drome様

      はじめまして、拙ブログにコメントありがとうございます。
      芦原駅と言えば高野線に芦原町って駅がありましたね。芦原とくるとそっちをイメージするのですが、大浜周辺を昔は芦原と呼んでいたか、旧町名などにあったのでしょうかね。堺市の古地図って持ってそうで持ってないので、東北にいる身ではすぐに調べることはできません。

タイトルとURLをコピーしました