南海天王寺支線
かつて、天王寺~天下茶屋間を南海電車が走っていました。南海天王寺支線です。
平成5年(1993)に全線廃止となったのですが、昭和50年代以前生まれの大阪人なら、上の写真のように天王寺駅の端に居心地悪そうに止まる、1両ないし2両の電車に見覚えがあると思います。
廃止されて今年でちょうど30年、平成生まれの人だと
え!?天王寺に南海電車が走ってたの!?
と驚く人の方が多いかも知れません。
いや…
ほんの10年くらい前ま線路の跡が残っていたので、知っている人も多いかな!?
全長たった2.4kmの短い路線だったのですが、実は途中駅の変遷が激しい路線でもありました。
戦後の停車駅は、「いまいけ」こと阪堺線の今池停留所の下にあった「今池町」のみとなっていますが、戦前は今池町駅が存在せず、別の駅が、しかも二つも存在していました。
タイトルにもあるように、戦前には「大門前」「曳舟」という途中駅がありました。
曳船・大門通駅の短い歴史
南海天王寺支線は明治33年(1900)、天王寺〜天下茶屋間に開業しました。
開業当初は途中駅が存在していなかったのですが、7年後の明治40年(1907)に曳船駅が開業しました。同年に天王寺支線が電化され、電車が走るようになっています。
なお、本来は「曳舟」なんだそうですが、駅名の由来になった曳船町がずっと「曳船」だったこと、現存する東京の曳舟駅とややこしいCEO対さ…ゲフンゲフンにつき、以後は「曳船」に統一します。
もう一つの大門通駅の開業は昭和6年(1930)のこと。同年に支線の複線化が完成しています。
「大門」とは、駅のすぐ南にある飛田遊郭の大門のこと。名前のとおり、天王寺からの遊郭への客を見込んでの開業だったと思われます。
ちなみに。
遊郭の「大門」は基本、「おおもん」と読みます。
東京のあの吉原に倣い、遊郭の「大門」はすべて「おおもん」と読みます。「だいもん」と読みたい気持ちはわかりますが、「おおもん」です。
しかし、上の地図だと「だいもん」と書かれている…おそらく「おおもんまえ」が正しい。
両駅はこのまま存続するのかと思ったのですが、戦争が彼女らの運命を翻弄しました。
数少ない資料によると、両駅は昭和20年(1945)6月26日の大阪大空襲で破壊され、駅として全く機能しなくなっため戦後すぐの昭和24年(1949)に廃駅となりました。
これが、世間で言われている両駅の歴史。
そして、昭和20年(1945)6月26日が両駅の「命日」である…定説ではそうなっています。Wikipediaのソースとして記載されている『大阪春秋』の資料にも、同じく6月26日焼失と書かれています。
この2つの駅、地図でわかるとおり存在していたことは確かです。しかし、どんな駅だったのか、写真が残っていないのです。
しかし、こんなものを見つけました。
昭和17年(1942)、大阪市所蔵の航空写真です。昭和17年だと駅が消失してしまう前のこと、駅は存在しています。
写真を極限まで拡大すると、ホームらしきものの他に、駅舎っぽい建物もある気配がします。ホーム(推定)は一つしか確認できないので、曳舟駅はおそらく島式一面でしょう。そんなことすらデータが残っていない、幻の駅なのです。
しかしながら、今回これらの幻の駅が、航空写真とは言え写真で確認が取れました。
しかしながら、私はあることに引っかかっていました。彼女らの「命日」とされる6月26日のことです。
6月26日の空襲って確か…市北部じゃなかったっけ?
私の勘が、まずは外堀を埋めろと耳元でささやいているようでした。
まずはここを洗い出した方がいいな…私の冒険はここから始まりました。
6月26日の空襲を考察する
曳船、大門通両駅が焼失したという6月26日の空襲を、ここでおさらいしたいと思います。
さらっとまとめると、
・26日の空襲は焼夷弾ではなく、通常爆弾によるもの
・主な目標は、此花区の工場及び城東区の陸軍工廠
・西成区には2発落下
・1発は現在の新今宮駅周辺に落下
・もう一発は…後述します。
この日の使用爆弾は、工場狙い撃ちの破壊工作のため焼夷弾ではなく通常爆弾。
ここでもうおわかりでしょう、「定説」の「焼失」はここであえなく誤りということが判明。
では、もう一発はどこに落ちたのか?
こんな疑問を胸に、図書館や公文書館で26日の空襲の資料をあさっていたら、こんな資料が出てきました。
西成区は同年の3月の第一次大阪大空襲で大部分が焼き払われ、6月初旬の空襲でも一部が焼けています。
その二つの空襲で焼けた家屋の台帳には、「焼失」と書かれています。
が、全部持ってきたら軽トラ1台分ありそうな台帳を丹念に調べると、「焼失」ではなく「破壊」と書かれた家屋も一部に記載されていることに気づきました。「破壊」なので通常爆弾が直撃したのでしょう。しかも、日付は6.26…ついに見つけた。
しかも、「破壊」と書かれた場所は、旧今池町1に集中している。よし、2つ目の爆弾投下地見つけたり!
「6.26破壊」の台帳の住所を元に、Googleマップに上書きしてみました。大門通駅からは比較的近いため、距離的にこの爆弾で吹き飛んだ可能性があります。落ちた爆弾が1トン級なら、大門通駅はこの世に髪の毛一本遺さず吹き飛びます。
しかし、曳船駅からはそこそこ離れており、投下地からの爆弾一発でこの駅を跡形もなく吹き飛ばすのは物理的に不可能。
よって、定説の「6月26日命日説」は成立しません!
定説は覆った。あとは「真の命日」を探すのみ。
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