吉田寮の構造
我々がイメージする吉田寮は、北寮・中寮・南寮とフォークの形に建てられており、それを束ねるように管理棟があります。
それぞれの寮で、すべて寮生たちの意思決定による、旧帝国大学や旧制高校の自治寮さながらの運営が行われています。
北寮・中寮には、写真のようなちょっとしたベランダ(軒先)があるのですが、南寮にはありません。
寮は2階建てで、元々は男子学生のみの入寮が許されていたのですが、現在は女性も入寮可。実際に女性が寮内を歩いていました。また、日本人だけではなく外国人留学生の入寮も可能です。
入寮に関しては、寮生に様々な希望を聞くそうです。
吉田寮は相部屋が基本なので(一人部屋も不可能ではないが、希望が通るとは限らない)、入寮に関しては「喫煙」「ペット」「子供」が必ず考慮されるそうです。嫌煙者なのに相方がヘビースモーカーだったり、猫アレルギーなのに相方が愛猫家だったら、寮生活は365日が地獄です。
私も中国での寮生活の時も、のちに「火車頭(機関車)」と中国人にあだ名されたほどのヘビースモーカーな私に対し、相方が嫌煙者ではないもののタバコは吸わず。タバコに対しえらい気を使った記憶があるので、これは当たり前の配慮ですね。
最後の「子ども」はなにか。吉田寮の入寮条件は、「単身者に限る」とは書いていません。家族とまでは言わないけれども、子供連れの寮生もいるにはいるそうで、相部屋に子どもがいてもいいかという意思確認ですね。
玄関
寮の玄関向かって左側には、かつて下駄箱がありそこで履物を脱いで中に入っていたのですが、現在は土足となっています。
そこで我々がまず衝撃を受けたのは、玄関にいきなり人が寝ていたこと。
玄関には何枚もの毛布が積まれ、それに人間が寝て・・・いや埋もれていることに気づくのに数秒かかりました。しかも、ボサボサの頭に目だけが毛布から出ているだけの、非常に不気味な姿。人間らしき物体が存在しているのは目視できたものの、それが本当の人間だと認識するには、少し時間がかかりました。
こんにちはと挨拶しても、全く反応なし。人間であることと、生きていることは確かなのですが、それ以上の自信はありません。
毛布何枚もかぶるほど寒いなら中で寝ればいいのに…と思っても、俺はここで寝る権利があると言わんばかりの、無言の自己主張のようでした。
いきなり金槌で殴られたような京大の洗礼と共にスタートした吉田寮ですが、これはほんのご挨拶に過ぎませんでした。
寮内、そこは…
中に入ると、カオスという表現しか思いつかないほどの異空間が広がっていました。
廊下に無造作に置かれた生活用品、窓ガラスが割れたままになり枠しかない窓、そして一体何年前のやねん!?というような古びたポスター。
中には、ほんのかすかに「関東大震災40周年」と認識できたポスターのかけらもありました。阪神淡路大震災でも東日本大震災でもありません、関東大震災です。
歴史の固有名詞と化した関東大震災が起こったのは1923年。その40年周年となると…1963年かと、思わず指折り数えてしまいました。1963年はすなわち昭和38年。今から55年前のものでした。
どこの骨董品店にも置いていないような「昭和」が、吉田寮には陳列されていたのです。寮内は写真撮影厳禁でしたが、これだけは特例として撮らせて欲しかった。
吉田寮は木造なので、廊下も当然木造。ミシミシというかギシギシというか、板がきしむ音が一歩あるくごとに響きました。
場所によっては、板が腐りかけているのか、脚が沈んで板が破れるというギャグマンガのような展開になりそうなところもありました。
しかし、鉄筋コンクリートの建物にはない、建物のあたたかみというか、「息」を感じました。ギシギシと鳴る廊下も、吉田寮という生き物の鳴き声のようにも聞こえました。
寮の中を覗いて、一つ気づいたことがあります。
寮内は確かにガラクタが無造作に置かれ、いつから使われたのかわからないような生活用具が廊下の到るところに転がっています。こたつに入ったままピクリともしない寮生、重要文化財扱いされそうな共用の黒電話などなど…。
色が剥げかなり風化していましたが、学生運動華やかな頃の、文化大革命かよとうなりたくなるようなポスターもありました。そういう意味ではカオスです。
しかし、そんなカオスでも不潔だという感が全くない。そりゃ確かに建物は相当年季が入っているし、窓ガラスも割れっぱなしのまま放置だけれども、不潔な不快感が全くなく、むしろアンバランスなほどの清潔感がありました。
清潔感に通じることといえば、寮内には臭いとか何か臭うとか、そういう不快感もありませんでした。トイレに行けばまた別かもしれませんが、生ゴミもちゃんと処理されているのか、そういう鼻をつく臭いもゼロでした。
風邪か花粉症で鼻の効きが悪かった…というオチはありません。
吉田寮を実際に訪ねた他の人のブログなどを見ると、「カオス」と言い切っている人がほとんどです。
しかし、私は別の感覚を覚えました。
「カオスの中にも秩序あり」
言葉に表現すれば、こんな感じです。カオスといっても、スラム街のように汚いとか、秩序がなくすべてが無造作いうわけではないのです。我々部外者にはわからない、いや寮生にすらわからないかもしれない、100年以上培われた普遍的な不文律がある気がします。
カオスの中に秩序ありながらプライバシーが全くなさそうな吉田寮でも、プライバシーは保たれているようでした。これも「カオスの中の秩序」のひとつ。
朽ち果て穴が開き、機能しているかどうか不明とはいえいちおう各部屋にはドアがあり、現在は事実上相部屋(二人部屋)か個人部屋となっているそう。
寮生が案内してくれたのは、4~5人で共有しているスペース。空室をリビングのような共有スペースにしていました。寝室は、
「汚すぎてお見せできません」
と案内の寮生は照れていました。
四畳半くらいの広さの部屋には、マンガやゲーム機などが所狭しと置かれていましたが、六法全書や難しい専門書なども本棚に陳列してあり、いかにも学生の部屋らしいなという趣でした。吉田寮という先入観さえなければ、至ってふつうの学生寮です。
部屋には共有らしいノートPCがこたつの上に置かれていたのですが、ふと不思議に思って聞いてみました。
吉田寮ってインターネットはつながるのですか?
答えは、意外なことに全然YES。
寮の名義でブロードバンドが引かれており、直接は聞かなかったものの、後で調べると料金は400円/月。初期費用はLANケーブル自己調達代のみだそう。
そのLANケーブルも、寮から歩いて数分の生協で、吉田寮用に(?)「かなり長いやつ」が売っているという便利さ。
しかし、最近は無線ルーターを使ってWifiを共有したり、モバイル端末を持ち込む人が多いそうです。当然、モバイル端末の持ち込みも全然OKで、私のプライベート用モバイルWimaxの電波を見てみると、バリバリ4本線でした。
インターネット環境においては今日もビンビン4本線の吉田寮に対し、ヒョロヒョロの2本線がいっぱいいっぱいの我が家。築10年弱のアパートが「大正時代」に負けてるって、どないなっとんねん。
中庭に見たカオス
吉田寮の廊下を歩いていると、緑が広がる寮と寮の間である物音がしました。どこかで聞いたことがあるような、どこか懐かしい音、いや、声が。
私はその声がする中庭の方を見てみると。
そこにはニワトリが!!
それもオール放し飼い。数も1匹2匹ではない、10匹はいました。
ニワトリはさばいて鶏肉にして食うのか、それともタマゴ目当てなのかはわかりませんが、放し飼いで我が庭のように中庭を走り回れる環境は、ニワトリにとってはパラダイスでしょう。
スーパーフリーに我が世の春を謳歌しているニワトリは、自由が憲法、自由が生命の京大生を象徴しているように感じました。
2010吉田寮現棟(本棟)、漫画部屋(事務室)にて。猫同士にも仲良しあり、犬猿の仲ありで、いろいろです。ここは空調のある共有スペースのため、ひとも猫も集まります。
— 吉田寮祭 (@yoshidaryosai) August 8, 2015
元寮生提供。禁無断転載等。 #WorldCatDay #吉田寮 #猫 pic.twitter.com/a4sVH71XS4
寮内にはネコもOK。実際に見たのですが、みんなで飼っていると寮生いわく。
じゃあネコでOKなら、
ヤギもOK。
カオスや、実にカオスや。
かつては、「オークションで手に入れたらしい」(byガイドさん)エミューも飼っていました。
エミューの糞はニワトリがついばみ餌になるなど、寮内で素晴らしいリサイクルが成立していたのですが、その姿は見つからず小屋だけが残されていました。
今はいないのかと聞いてみると、
「食べたそうです」
唖然としてそれ以上ツッコミを入れることができなかったのですが、さすがは吉田寮。
それにしても、味はどうだったのだろうか。
吉田寮には「吉田寮畜産協同組合」という組織が本当にあり、ニワトリだけでも軍鶏からコーチンまで、31羽のニワトリを飼っている模様です。
飼っているだけではありません。ヤギのミルクを使った自家製プリンやモッツァレラチーズを作ったり、ニワトリのタマゴ販売をやっていたり、かなり本格的かつ本気の組織です。
私が見た中庭という名のものは、寮の牧場兼畜産組合の牧場だったようです。
上で私は書きました。吉田寮はカオスの中に秩序ありと。
しかし、ミニサバンナのような中庭を見るにつれ、この前言は撤回しないといけないかもしれません(笑