淳仁天皇陵-淡路島に残る唯一の天皇陵

淡路島
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淳仁天皇ゆかりの地を訪ねる-淡路市編

下川井の史跡

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次の舞台は、南あわじ市から一気に北上し淡路市へ。中間にある洲本市は、豪快にパッシングします。高速道路なら30分ほどで料金は310円(軽自動車の場合)。

津名一宮ICを下りて車で10分ほど北上すると、

 

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伊弉諾(いざなぎ)神宮が鎮座しております。

名前のまま国産みの神、イザナギとイザナミを祀った神社です。忘れていませんか、『古事記』でイザナギイザナミが最初に作った大地は、本州でも四国でも九州でもなく、淡路島だということを。

この神社と国産み伝説は、本編に関係ないので省略しますが、さすが知名度が高い神社か大雨でも大型バスで観光の参拝客が多く、見る限り何故か9割が女性でした。縁結びの神様と言えば出雲大社ですが、ここも縁結びの神社として女性に人気があるんだとか。また、「記録に残る日本でいちばん古い夫婦」を祀る神社か、結婚式も行われていました。

ちなみに、伊弉諾神宮本殿から真東に線を引くと伊勢神宮の本殿に当たる・・・という説がネットで流れています。実際に引いてみると、まあ確かに本殿は言い過ぎだけど、神宮の敷地とはほぼ同緯度だろうなというくらい、際どい位置。伊弉諾神宮と伊勢神宮の敷地は同じ緯度にある、ということは確かです。

伊弉諾神宮と淳仁天皇との関連はありません。しかし、神宮がある「多賀」という地区にも淳仁天皇の伝説が言い伝えられています。

 

淳仁天皇の位牌その2

伊弉諾神宮から数百メートルくらいの距離に、「妙京寺」というお寺があります。

 

 

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ここも実は、淳仁天皇が流罪になって幽閉された所と伝えられており、南あわじ市の宝積寺に同じく位牌もあるんだとか。
妙京寺自体はどこにでもあるお寺で、中は別段見るべきものはありません。

で、妙京寺の門前には上の写真の他に、

 

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 「淳仁天皇御遺跡」と書かれた碑が立っています。立てられている場所が場所なので、てっきり妙京寺のことを指しているのではないかと思いがちです。ほとんどのサイトがそう紹介しています。「遺跡」と書いてあるから、もしかして、妙京寺には「すごいもの」が眠っているのかも…。

しかし、そういう人はこれを逃しています。

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「御遺跡はあっち(北500m)」と伊弉諾神宮の方向を指しています。
しかし、間違えるのは無理もない。確かに妙京寺の入口という紛らわしい位置に立っている上に、この文字が風化しかけてパッと見気づかないことが多そうです。かく言う私も、一度写真だけ撮ってスルーしたものの、ふとピンと直感がよぎり道を戻って見るとこれでした。

さて、北500mにあるという「御遺跡」とは、一体何なのか、何があるのでしょうか。

 

天皇衣冠塚

伊弉諾神宮の隣の地に、淡路市立香りの公園という所があります。

 

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この中に淳仁天皇ゆかりの遺跡があるというのですが…

 

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見渡すかぎりこんな感じ。

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公式地図にも何も書いておらず。なら人に聞いてみようと思ったのですが、冬な上に外は大雨のせいか、360度誰もおらず。園内ほぼ私の貸し切り状態でした。
敷地は広そうですが、ここまで来て手ぶらで帰るわけにもいきません。雨の中園内を歩き回り、しらみ潰しに探し回りました。

 

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園内を歩き回ること約30分、ようやく見つけました。見つけた瞬間ガッツポーズ。ドラクエやファイナルファンタジーで、ダンジョンを迷っていたら隠しアイテムを見つけたようなワクワクさがありました。

 

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この看板がなければ見つけることはまず無理でしょ、というくらいの難易度でした。

 

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かなり風化していますが、「淳仁天皇御衣冠塚地主妙京寺・・・」とまでは、なんとか読めました。後で調べると、ここは元々妙京寺境内で、衣冠塚はお寺の境内にあったということでした。

そもそも衣冠塚とは何か。聞きなれない言葉だと思います。
日本では習慣として定着していませんが、昔の中国では衣服を遺体の代わりに収め、墳墓とすることがよくあります。なので、古代中国の著名な人物は「墓」が2つも3つもあることがあり、中国史好きな日本人を戸惑わせています。

三国志で有名な人物に、諸葛亮(孔明)がいます。三国志ではヒーロー的な彼は、主君の劉備の意志を継ぎ魏の国を攻めたのですが、五丈原というところで寿命が尽きます。三国志が好きな人は、五丈原と聞いただけで何か哀愁のようなものを感じるかもしれません。

1999年冬、私はその五丈原に行ったことがあります。

 

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たぶん、現在はそこそこ観光地化されて交通の便も良くなっているはずですが、私が行った頃はただの村。本人も西安市の地図をぼーっと眺めていて、

筆者
筆者

うわ!五丈原や!

と偶然見つけただけに過ぎません。
その五丈原村で偶然、ツアー中の日本人観光客と現地旅行社の中国人ガイドに出会いました。
どうやってこんなところまで…と驚かれたので、地図だけを頼りに路線バスとバイクタクシー乗り継いで自力で来たと言うと、

よくこんな田舎まで一人で来ましたね。中国人みたい

とガイドさんに変な褒められ方をしました。

 

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実際に行ってみてわかったのですが、孔明が力尽きた五丈原は、魏の国の長安と目と鼻の先。今なら車で2~3時間で行ける距離なので、当時でも1日あれば行けるでしょう。
孔明が陣を張ったと言われる山の上にお廟(孔明廟)があるのですが、そこから西安市街地の方向を見るとホント「すぐそこ」なのです。
三国志好きなら誰でも知ってる、「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉の舞台もここ五丈原ですが、すぐ目の前で志果たせずとは、仏教風に言うと心残りがありすぎて成仏できないだろうなと。

この地に立つと、

うわー、すぐそこやんか〜!

と孔明の無念が感染うつってしまう悔しい気分になります。

 

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これが五丈原にある諸葛孔明の衣冠塚です。
「蜀」の都だった成都には日本風に言えば「孔明天満宮」のような武侯祠があり、御霊はそこに祀られています。実際に埋葬された地はまた別にあり、孔明のお墓は事実上3つあるということですね。

こういう風に中国では、三国志の武将はもちろん、色んな歴史人物の衣冠塚があるのですが、日本ではこの習慣が定着しなかったか、ほとんど聞いたことがありません。試しにググってみても、出て来るのは中国のみ。

意識していなかったですが、国内にある衣冠塚はかなりレアなものかもしれません。

 

高島陵

衣冠塚をはじめ、淳仁天皇伝説が残る伊弉諾神宮周辺ですが、「伝天皇陵」も存在しています。

 

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Google Mapで見てみても、そこには何もないように見えます。

しかし、航空写真に切り替えてみると、

 

淡路市淳仁天皇高島陵の位置

水色で囲った部分に小山が見えます。ここがどうやら高島陵らしい。

しかし、実際にここに行けと言われると、なかなか厄介です。なぜかというと、文明の利器カーナビが利かないから。良くも悪くもただの小山なので、住所の番地など存在しないのです。

私もなまじナビ頼りだったので、正直めちゃくちゃ迷いました。行きたいなー興味あるなーと思う方は、まあ十中八九車で行くこととなると思いますが、ナビなら伊弉諾神宮より、高島陵のすぐ近くにある「多賀保育所」でセットするのがベストです。バスなどで来る方は…うーん、まあ頑張ってくださいとしか言いようがありません。

 

淳仁天皇高島陵1

上にある森が「高島陵」ですが、

 

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観光名所として整備されているわけじゃない上に、距離は短いとは言えけっこうな急勾配、足場はけっこう悪いです。私はウォーキングシューズでしたが、女性がヒールやパンプスなんかで来ると、下半身死亡フラグが立ちます。

 

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陵墓と言われる丘からの眺めはなかなかのもの。伊弉諾神宮も眼下に見ることができます。

 

 

淳仁天皇高島陵2

森の中に入ると、そこは木々のトンネルのような形になっていました。道は意外なほど整備されています。それならここまで来る道も整備せい、せめて看板くらい設置せいと言いたくなりますが、それはさておき、『伝』天皇のお墓は左折したところにあり、正面は個人のお墓なのでご注意を。

 

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『淳仁天皇御陵』という、最近作られた碑が立っています。

 

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この塚がいわゆる「高島陵」。地元ではここも…ではなく此処こそ淳仁天皇が葬られたところだと信じられています。陵墓どころか陵墓参考地指定もされていないので、宮内庁からはガン無視されているということですが。

 

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「陵墓」には菊の御紋が刻まれており、淳仁天皇伝説の根強さを物語っています。

人が全くいないので塚をゆっくり見させていただいたところ、塚の石が案外新しく、果たしてこれが本当に天皇陵かどうかという感想を抱きましたが、同じ淡路島でも全然違う2ヶ所に天皇伝説が残るということは、天皇ゆかりの地をめぐる伝説は根強いのだなと。

さて、淳仁天皇は淡路島に流されてうんぬん・・・と思いきや、天皇伝説はこれで終わりではありませんでした。

筆者
筆者

まだあるんかい!

と書き手が呆れてしまうほどに。

 

NEXT⇒舞台は一気に近江へ!
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コメント

  1. 神子素 孝輝 より:

    淡路島の事 面白く分かりやすく書いてますね
    私は淡路島に先祖があり今も淡路島に住んでいます、仕事はサンテレビの駐在カメラマンです
    それで淡路島から、特集でまるまる飛行場 淳仁天皇 淡路鉄道など放送しました
    特に淳仁天皇の事はずっと調べています
    書かれている内容はそのとうりです もっと深く知りたいと思いませんか?
    何故、色んなところに墓が有るのか? どこで暗殺されたのか? どんなふうに殺されたのか? など 現地の聞き込みや資料で色んな事が分かりました
    もし、知りたいのであれば情報提供するので連絡ください

  2. ひで より:

    淳仁天皇に最近興味を持ちました。淳仁天皇は淡路島に流された後、どこで暮らしていたのでしょう?洲本城のある辺りでしょうか?詳しい資料などございましたら、教えてください。よろしくお願いいたします。

    • 米澤光司 より:

      >ひで様

      拙記事をお読みいただきありがとうございます。

      淡路配流後に住んでいたところは、ブログ記事にも書いていますが、
      ①南あわじ市の大炊神社
      ②同野邊の宮
      など候補が何ヶ所かあって定かではありません。
      鎌倉時代にはすでに「~と言われている」と書かれていた次元なので。

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