1945年9月 終戦直後の東京駅の航空写真

終戦直後の東京駅の航空写真 歴史探偵千夜一夜
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終戦間もない東京駅の空撮

8月の終戦からさほど時間が経っていない昭和20年(1945)9月、米軍が撮影した東京駅の写真があります。

終戦直後の東京駅、米軍撮影
https://ww2db.com/image.php?image_id=20711
出典:https://ww2db.com/image.php?image_id=2071
終戦直後の東京駅、米軍撮影
出典: https://ww2db.com/image.php?image_id=20713

当時の東京駅の空撮です。非常に情報量の多い写真ですが、私の興味を引いたのは次のことでした。

丸の内口駅舎のドーム屋根

空襲で焼けた東京駅丸の内口。3階部分が失われている。
出典:https://ww2db.com/image.php?image_id=20713

写真には、空襲で焼けた東京駅の丸の内口が写っています。

東京駅

現在でも、「東京駅」といえば、辰野金吾設計のレンガ造りのこの駅舎。大正3年(1914)12月20日に東京駅が開業したと同時に竣工した駅舎で、現在でも東京、いや日本の玄関口としての威厳を保ち続けています。

その東京駅丸の内口ですが、実は大東亜戦争末期の昭和20年(1945)5月の空襲で焼夷弾が駅を直撃、外観は残ったもののドーム屋根は焼け落ち、内部もほぼ全焼しました。
日本の顔の駅なので最優先に修復されたものの、3階部分は取り除かれ2階に変更されたりと、開業当時とは姿を異にしてしまいました。
現在は大修復が行われ、開業当時の姿が復活したのは言うまでもありません。

上の米軍の写真は、3階部分と屋根が焼け落ちている珍しい写真です。

ホームに屋根がない

東京駅は、新幹線ホームも含めるとプラットホームの数はおそらく日本一だと思いますが1、鉄道に乗り慣れていない丸の内口側にいちばん近いホームは、中央線及び山手線・京浜東北線として使用されています。

空襲で屋根が焼けたと思われる東京駅のホーム
出典:https://ww2db.com/image.php?image_id=2071

で、上の写真を見て何か違和感を感じませんか?そう、丸の内口側のホーム地表が丸見えなのです。

その理由を考えて最初に思い浮かんだのは、戦争中の「金属供出」で撤去されたのかと。

その疑問をツイッターにぶつけると、フォロワーさんより有益な情報が舞い込んできました。

フォロワーさん
フォロワーさん

空襲で焼けたと思われ

上述のとおり、東京駅は1945年5月の空襲の被害を受けています。それを深掘りしてみると、焼けたのは丸の内駅舎だけではなく、ホームもかなりの被害を受けたようです。
特に、第一・第二ホームは大半が焼け落ちたようで、写真の「屋根なし」はそれを物語っています。

焼夷弾の熱によって曲がってしまった阪急神戸線の鉄柱を紹介しました。焼夷弾は「日本を焼き尽くす」ためだけに開発された爆弾、「鉄が曲がる」くらいなのでその温度は1,000℃を超えていたのは確実です。たとえ火の手から逃れても、その熱で人間も建物も焼けてしまうのです。
色々調べてみると、当時の東京駅の屋根柱は木造の部分もあったようなので(別ホームで最近まで残っていた模様。2015年からの改修で消滅)、第一・第二ホームもそうだったのかもしれません。鉄でさえ曲がってしまう「日本焼き尽くす爆弾」の手にかかったら、木造の柱なんで赤子の手をひねるよりなんとかです。

隣の東海道本線ホームには屋根があるものの、よく見ると所々に白い部分が見えます。これは爆弾が屋根を突き付けて穴が開き、それを補修した跡と思われます。阪急の三宮駅と同じです。
おそらく優先的に補修されたのだと推測していますが、理由は長距離列車も発着し政府首脳や進駐軍も使用するため。VIPを雨漏りで濡らすのはさすがにね。

3.八重洲口の行列

写真左側には、当時の八重洲口の建物があります。私のような東京の歴史に疎い人間から見ると、近代的な駅ビルのイメージもあいまって、八重洲口って戦後に新設されたと思われがちです。が、その歴史は昭和4年(1929)と案外古いものでした。

現在は新幹線ホームがある場所に巨大な貨物ヤードがあり、乗客はヤードを跨ぐ長い跨線橋を渡り、ホームへ。
このような形は、現在でも東北本線郡山駅(福島県の方ねw)で見られます。一本道のようなまっすぐな跨線橋を実際に渡ってみると、先が見えない不気味さを感じますが、東京駅はどうだったのでしょう。

1945年9月の東京駅八重洲口の写真
出典:https://ww2db.com/image.php?image_id=20713

その八重洲口をよく見てみると、すごい行列が見えます。

また、個人的には八重洲口側に運河(?)があったことにも驚きです。これ、江戸城の外堀跡でしょうかね。

終戦直後の写真自体、かなり貴重な写真ですが、そこから見える戦後ニッポンの考察もまた面白い。

  1. ホームに振られている番号がいちばん多いのは、34番線まである京都駅。
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