「阪神飛行学校」をめぐって
前回は大阪の大和川河口、現在の南港口周辺に「第ゼロ代大阪空港」を作るはずだった話でした。
「戦前、南港に空港を作る予定だったらしい」
この話は地元に伝わる伝説として小耳程度にはさんでいたものの、おばちゃんのゴシップだろうと本気にしていませんでした。
これが事実とわかり早速調べ上げたのですが、資料を追っていくいくうちに「阪神飛行学校」という謎のワードに引っかかりました。
きっかけは、前回紹介した当時の新聞記事から。
この中に、
大正村(阪神飛行学校)も候補、それも将来の拡張も可能な有望株として名前が挙がっています。「阪神」と名がつくので、西宮くらいかなと勝手に推定してググってみると、これがなんと、意外な場所と名称が出てくることに。
「阪神飛行学校」とググってみると、セスナ機の拠点である八尾空港(大阪府八尾市)に当たります。
ああそうですかと八尾空港のWikipedia先生のページを開けてみると、空港の開設の経緯がなにやら不明瞭な様子。「阪神飛行学校」と関係があることは確かなようですが…何やら奥歯に物が挟まったような記述。
ここにニッチのにおいを嗅ぎ取った私、前回の記事ネタを調べるついでに不明瞭を明瞭にすべく、調査を開始しました。
八尾空港の謎
適当にググってみると、レファレンス協同データベース(以下長いのでRKDB)の問い合わせに引っかかりました。
RKDBとは、国立国会図書館が全国の図書館・博物館のおねーさんを酷使…ではなく駆使し、国民の質問にやさしく答えてくれる国のサービスです。
人文科学から自然科学までのありとあわゆる質問がデータベースとして蓄積されており、国民は無料でアクセスできます。
その中に「阪神飛行学校」「八尾空港」についての質疑応答があるのですが、答えは「諸説あり」とあいまい。それほど闇が深そうな、いや調べがいがある事項です。
早速私のお気に入り内データベースを駆使して調べてみると、こんなものが出てきました。
昭和12年(1937)12月3日付『大阪時事新報』の新聞記事です。
ここに、興味深いことが書かれていました。
阪神民間防空機関たる阪神航空協会では、府下中河内郡大正村および志紀村を中心とする十二万坪の新飛行場を建設買収するに決定し、(中略)その名称を「阪神飛行学校大正村飛行場」と決定した」
『大阪時事新報』昭和12年(1937)12月3日付
さらにその数日前の新聞記事には、
(昭和12年11月18日 『大阪時事新報』)
とわざわざ新飛行場の地図まで。位置は現在の八尾空港と一致するので、大正村飛行場が現在の八尾空港なのはこれで確定。ここにある「阪神航空学校」は、「飛行学校」の誤植か記者の勘違いです。
そして重要なのは、
「新飛行場並に学校は本年末より着工し、明春三月に竣工、生徒募集は明年一月に開始(以下略)」
『大阪時事新報』昭和12年11月18日付
翌年の昭和13年3月に「大正村飛行場」が完成の予定と書かれています。
ここでRKDBの回答をまとめると、
①『日本の空港』P.119「八尾空港」に「昭和9年に農地を埋め立てて(中略)阪神飛行学校が設置」
②『全国空港ウォッチングガイド2006-2007』P.151に「1936年阪神飛行学校設立」とのみ記載。
③『大阪春秋 H17夏号 No.119』P.70に「八尾飛行場は阪神飛行学校の飛行場として1938年に着工」
さて、どれが真実なのか。上記の資料からわかることは、
1.①②は年代的に絶対ありえない
2.③と新聞記事の内容が一致
つまり③が歴史的事実、八尾空港の開港も昭和13年(1938)が正解。誰か今すぐWikipedia編集してきて(笑)
ここで、新たな謎が浮かびます。なぜRKDBがテンパるほど「諸説あり」なのか。
新しい新聞記事があります。
(昭和12年6月16日『大阪朝日新聞』)
ここに重要なキーワードが書かれています。
「民間飛行士養成と航空学術研究のため大阪府中河内郡盾津陸軍飛行場に阪神飛行学校を設立(以下略)」
『大阪朝日新聞』昭和12年6月16日付
盾津というところに陸軍の飛行場があり、そこに阪神飛行学校が設立されたということ。あれ?阪神飛行学校は「大正村飛行場」ちゃうのん?と、ここで少しややこしくなります。
新聞記事の流れを見ると、阪神飛行学校は最初盾津にできたのが、大正村に新訓練施設(飛行場)を作ることとなり、昭和13年に完成。阪神飛行学校の機能も大正村、のちの八尾空港に移った。こう考えるほうが自然かなと。
ここで出てきた「盾津陸軍飛行場」と、「盾津」とは何なのか。そこを次から追っていきます。
コメント
遠い親戚が「松下飛行機」に勤めていたらしいです。
その所在が不明だったのですが、貴コラムで明らかになりました。長い間のモヤモヤが解消しました。
有り難うございます。