神戸のJR三ノ宮駅のガード下に、先の戦争で米軍が来襲した際の機銃掃射の痕が残っているのは、すっかりお馴染みになりました。
大阪市内にも、同じような弾痕が残っています。

大阪環状線玉造駅の鉄骨には生々しい弾痕のあとが残っているのは有名になりました。
福島区に残る機銃掃射の弾痕
同じような弾痕が福島区にも残されています。
場所は鷺州5丁目、東海道本線(JR神戸線)のガード下。

このように、80年前の機銃掃射の弾痕が残っています。
ガードの上部にある穴のような黒いもの、これすべて銃弾の痕です。

画像以上にくっきりと目視できる大きさです。
1945年6月7日午前、400機以上のB29が福島区などを空襲しましたが、その護衛としてP51ムスタングが100機以上来襲し、逃げまどう市民に機銃掃射を与え多数の死者な出たと、記録にあります。
これは、その時の痕なのでしょう。
鷺州のもう一つの弾痕
上述した5丁目の弾痕跡は、Googleマップにも載っているので、まだ有名な方であります。
しかし、この近くに、同じような機銃掃射の痕が残されているのです!

場所は、同じ鷺州の2丁目。同じくJRのガード下です。
弾痕が見えませんか?見えない?この弾痕は心のきれいな人にしか見えないのです(笑
という冗談はさておき、

角度を変えてみるとよくわかるでしょう。
5丁目のではありません、これ2丁目のものです。
5丁目のと比較すると、これも明らかに機銃掃射のあとだということがわかりますね。

色が変わった部分の壁もこのとおり。

こちらは、上の写真と逆方向にあったのでいまいち確証が持てないですが、機銃掃射で欠けたコンクリートらしきものが残っている…ような!?

少し離れた場所、どっちかというとここは4丁目と言っていいんじゃないかという場所にも弾痕が。
これは他と比べて小さく浅いので、地面などに直撃弾がぶつかり、破裂した破片が刺さったものだと思います。
それでもこれだけの傷をつけるのだから、人間なら当たり所が悪ければ即死でしょうね。
住民には当時の公共サービスとして各コミュニティ別の公共の防空壕があったはずですが、おそらく、

空襲で逃げ遅れたら、ガード下へ向かえ!
ということが住民の間で合い言葉のようになっていたのでしょう。
そこに逃げたら米軍のムスタングに狙い撃ちされたと。
実は、ここは偶然見つけたもの。5丁目のを見た時、

ここにあるんやから、他の場所にも残っとるかもよ?
と長年の勘がささやいたため、東海道本線の高架を目を皿にして探した結果。
しかし、有名な5丁目のところから徒歩ですぐの場所にあるのに、ここがなぜ知られていないのか不思議です。
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