さて、前編では井上成美とはどういう人物なのかを、ざっくりと説明しました。
それが思った以上のボリュームになってしまったので、前編・後編と分けることになったのですが、輪郭だけでも人物像を説明しないと、記念館の説明が空振りになってしまうので、敢えて分けました。
今回は、井上記念館までの道のりと、2022年10月時点の姿をお知らせしようかと思います。
井上成美記念館を訪ねる
記念館への道のり
井上記念館、彼が戦後に終生の地として選んだ長井という地区は、上の地図のとおり三浦半島の南端部にあります。アナログ地図ではかなり見つけにくいですが、現在では文明の利器Google mapで「井上成美」と検索すればすぐに見つかり、場所の特定は難しくありません。
しかし、言うは易く行うは難し。実際に行くとなるとこれがなかなか厄介なのです。実際に現場まで来てみると、現在でも交通不便な地なのに戦前にここまで来るのはかなり困難だったのではないかという疑問が沸いてきます。というか、よく「こんな場所」に別荘を建てたなと。
現在の地図を見ると、京急の三崎口駅が最寄り駅のように見えます。が、京急がここまで開通させたのは昭和50年(1975)。つまり井上がこの世を去った年なのです。
ここからどないして横須賀や東京へ行ってたんや???
一瞬途方に暮れてしまいましたが、冷静になって調べてみると、長井地区にはかつてバスが通っており、阿川本にも、住民がバスに乗る時に井上が先に乗車を譲ってくれたという話が掲載されています。
長井と縁がなかったのかというとそうでもなく、彼の長兄秀二が同じ長井地区に別荘を建てていたことも関係します。井上がここに別宅を建てたのはその縁があったのでしょう。
兄の秀二は京都帝国大学を卒業した、当時としてはおそらく異例の組織に属さないフリーランスのエンジニアとして、長年日本の建築業界に君臨した人物でした。のちに日本土木協会の会長にもなっており、建設業界では殿堂入り級の有名人とのこと。
建築・土木業界目線で見れば、井上大将は「秀二元会長の弟」ということになります。
なお、秀二と成美兄弟の仲はどちらかというと良かったようで、秀二の娘(成美から見たら姪)を我が子のようにかわいがっていました。ただ、洋行先でもマナー面で小言を言われ辟易したりと、細かいところにうるさい叔父だったようです。
2022年10月現在、井上記念館跡への最寄りは「西の口」というバス停。しかも、ここから延々と歩くこととなります。健脚に自信があるなら、京急三崎口駅の観光案内所でレンタサイクルがあり自転車で行くことも可能ではあります。が、あくまで「できる」ということだけで…
実は、井上成美記念館の近くには「ソレイユの丘」という公園があり、三崎口駅から1時間に1本の割合で直行バスも走っています。しかも、ソレイユの丘から記念館まではなんのこともない、徒歩10分程度。
それなら延々と歩かんとそのバス乗ったらええやん!!
とふつうなら思うのですが、ここで悲報。
来年(2023年)の4月まで休園なのです!
もちろん、バスも運行休止中。現時点では西の口より歩くほかの手段がありません…。
しかしながら、記念館までの道はジョギング・ウォーキングルートにも指定されているような、のどかな畑の風景が広がる高台。都会の喧騒や現実の忙しさを離れ、のんびり流れる時間に身を任せるのも一興。運動不足でなまくらになった身体に鞭を入れるにはもってこいのルートです。
また、道のりには三浦半島はしらすがよく獲れるのか、長井地区に入ると漁師によるしらす直売の看板をちょくちょく目にします。せっかくなので買おうかなと思ったのですが、不漁だったのか売られている気配はほぼありませんでした。
記念館のいま
コンビニどころか自動販売機すらあまりない長井の台地を歩くことジャスト30分、ようやく記念館に到着しました。Googleマップという文明の利器がなければ、ここにたどり着くことはかなり難しかったでしょう。それくらい、農地を二つに分ける農道の奥の奥にあります。
ホンマ、よくこんなところに別荘を作ったもんや。
昭和21年(1946)の航空写真で井上邸を空から確認してみます。
井上の邸宅は赤丸あたりにあるはずなのですが、いかんせん昭和21年(1946)の写真なので解像度に限界が…黄色で囲んだ長井の集落からも少し離れた、陸の孤島と言っていいような場所にあることがわかります。
もっと興味深かったのは、令和元年(2019)の写真を比べても長井の集落はさほど変わっていないということ。
そして、ここが井上成美記念館、もとい旧邸宅です。昭和9年(1934)に建てられたスパニッシュ風コロニアル建築だそうですが、間近で建物を見て思ったのは
建物がえらい新しくないか?
向かって正面、玄関がある建物は戦後に作られたもの、それは建築の素人が見ても一目瞭然です。
昔なら、いったん引き返して図書館などで情報収集をする必要があるのですが、今の時代はスマホでその場で調べることができる。今では常識として驚くに値しないですが、実はこれ、すごいことではなかろうか。
調べてみると、井上の死後は荒れるに任されていた邸宅を記念館として再利用する際、大幅にリフォームされたとのことでした。
その時、井上がお気に入りだった暖炉と煙突は残したそうですが、画像左側に見える煙突がそれだと思われます。おそらくその直下に暖炉がありますが、屋根も井上が生きていた時の瓦ではないので、ここらへんも改築されたのでしょう。
井上成美記念館は、残念ながら2011年3月の東日本大震災で邸宅が一部壊れてしまい、そのまま再開されることなく閉館となりました。
実は、その直前に私はこちらへ向かうはずでした。ホテル・レンタカーも予約しいざ出陣となるはずが、病を得て入院。その直後に震災→閉館となってその時は涙を吞みました。
よって、今回は個人的には10年越しのリベンジ。中は当然拝めずでしたが、ここに着いた、かつて井上が吸っていた空気を共有できたということだけでも、私としては感無量です。
邸宅の入り口にひっそりと建つ一本の柱。これは邸内の門柱だったもので、2007~8年頃の訪問ブログを見ると、向かって左にはもう一本の柱が建っていました。が、朽ちるに任せられたか、東日本大震災で倒壊したか、すでに存在しません。
伝記内に、私が撮影したのと似たような角度で撮った写真がありました。存命時は家の両側に煙突があったことが、この写真からわかります。
現在は主を失い荒れるに任せた邸宅前の庭ですが、この家に主がいたころは写真のように花や木々が生い茂る手入れの行き届いた庭だったのかと思うと、現在の姿を見るに時代の流れを感じると同時に、少しため息が出てくるような寂寞さです。
井上邸は現在、ある会社の管理下として私有地となっています。
字がほとんどかすれて判別困難ですが、過去のブログによると上は「これより 私有地 立入禁止」、下の看板には「井上記念館は 閉館 しました!」と書かれていました。
上述のとおり現在も企業所有の私有地につき、許可なく入らないようにしましょう。
軍人恩給が復活し生活は以前の素寒貧よりかは安定したものの、やはりあまり良いとは言えない。そこで、長井のこの土地・建物を売却してアパートにでも移りたい…井上からそんな要望がありました。
社会人となったかつての兵学校の教え子たちが尽力したものの、やはり土地の不便さから思うような価格がつきませんでした。
そこで、兵学校73期の深田秀明が経営する会社に土地建物を無償譲渡し、井上には「管理人」として引き続き住んでもらうということに落ち着きました。
そして、井上夫婦が亡くなり「管理人」がいなくなった後も深田の会社所有として残り、現在は「リゾート・コンベンション企画」という会社の所有となっています。この会社でググってみると、代表は同じ深田姓。かつての教え子の子孫の方かもしれません。
個人が入れるギリギリの距離から井上邸を観察していると、旧宅の片隅にあるものが私の視界に入りました。
それは…
「海軍」の標石が。
iPhone 13proのズームの限界でここまで撮影できるので、Google Pixel 7proの30倍ズーーーーーーーーーーームなら余裕です(笑
これは「標石」といい、陸海軍の敷地との境界線に置かれる標識です。海軍はアルファベットのMが二重になった波形の印が特徴で、他の土地の海軍標石も同じ形をしています。
なお、標石マニアによると、至るところに海軍用地があった軍都横須賀には、こういった標石がいまだにそこら中に転がっているそうです。
井上は海軍軍人だから、家に「海軍」の標石があって当たり前じゃないか…そう思うかもしれません。
が、ここはあくまで井上成美個人の邸宅(別荘)のはず。そこになぜ海軍用地を示す標石が?伝記にも阿川本にも、井上邸が海軍に買収されたとか、もともと海軍の用地を買ったとかそんな話はなく、単にネイビーとしての矜持として置いただけなのか…少し謎として残っています。
コメント
https://www.athome.co.jp/kodate/1000265880/?DOWN=4&BKLISTID=004LPC&sref=list_map
横須賀市 長井6丁目 (三崎口駅 ) 平屋建 2LDK
売りに出ているようですね。雰囲気的には在日米軍の住居のような感じですね。
自分にも陸軍中野学校出身の知人(故人)がおり、陸海軍の軍人話には胸が熱くなります。
>のらくろ二等兵様
コメント及び情報ありがとうございます。
これは元井上邸で間違いないですね。中は完全リフォームされて昔の面影はないようですね。
しかし8000万円か…。
旧帝国陸海軍、海軍に限って言えば艦艇や戦史などは昔ながらのマニアもおり掘り尽くされた感がありますが、人物誌は有名どころ以外は掘り尽くされていない感がありますね。