現在の大浜公園と潮湯

大浜潮湯へ向かう大浜支線の跡。
現場に来てみてもわかりますが、ここの前の道に鉄道が通っていたなんて今では信じられませんね。

潮湯の跡は現在、野球場などのグラウンドになっています。

そのグラウンドの端に、なにやら古い階段の跡が。
これはかなり古い。意味深なその姿にあらかじめ撮影しておいた公園の案内図と比較してみました。


筆者
!!!!!
なんというか、ビビビときました。お前は松田聖子かよというツッコミは認めます(笑

謎の階段の位置、潮湯と納涼台の間にあることがこの地図から判明しました。
おそらくですが、海岸から納涼台へと上がる階段だったのでしょう。

さすがに昭和3年の航空写真なので拡大しても見えませんが、赤丸の場所に階段があったのだと思われます。

奥にさらに階段が続きますが、その先は大阪臨海線という道路。
臨海線は昔の海岸線だったのですが、昔のその先にあったのは納涼台しかありません。

納涼台があったあたりはすっかり埋め立てられ、ここがかつては「東洋一の海岸」と呼ばれたことなんて、到底信じられないでしょう。
おまけ 日本唯一の潮湯が残る銭湯
昭和の頃は、堺の至る所に潮湯が存在していました。
筆者も幼い頃はその大阪湾の海岸沿いの出身ですが、皮膚が弱かったのか夏は汗疹に苦しめられていました。今は逆に、冬の乾燥肌に悩まされていますが。
汗疹で痒くてたまらない時、親は常に

おかん
潮湯入っといで!
と銭湯代を渡され銭湯へ向かったものでした。
そんな銭湯も今はなく、おそらく日本唯一の潮湯が残る銭湯は、ここだけでしょう。

堺市の「湊潮湯」です。

ここの名物は当然潮湯。
知る人ぞ知る潮湯がここにあり、以前は目の前にあった海岸も数キロ先になり、そこから直接ポンプを引いて海水を直接汲んでいます。
堺に来た時は、ここで日本唯一の潮湯を堪能ください。
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