天童遊郭(山形県天童市)|遊郭・赤線跡をゆく|

天童の遊廓 遊郭・赤線跡をゆく
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天童の青線

戦後、天童は警察のデータに残っているほど売春が盛んになります。当時の新聞には「天童の特飲街」との表記もあります。
なんだ、天童の遊郭はそのまま赤線に…と思いきや警察のデータでは「青線」とあります。
「青線」とは何ぞやというと、まず「赤線」は旧遊郭や戦前からの私娼窟が風俗営業法としての営業許可を取り、エリアを決め売春を黙認してもらったエリアです。要は遊郭が看板を変えただけ。営業形態は都道府県によって違い、「カフェー(東京都)」や「料亭(大阪府)」「貸席(大分県など)」などバラバラです。
それに対し、「青線」は飲食店など食品衛生法などの許可を取り、「ふつうの店」の看板で営業しているものの、実態は売春の店というものとざっくりで覚えてもらって結構です。当然、青線は違法中の違法なのですが、戦後の混乱期で警察もいちいち取り締まってられず、事実上のお目こぼし状態です。
しかし、山形県の場合、赤と青の基準が曖昧なのか、天童は「青線」なのに新聞には「特飲街」や「特飲店」の記述が。警察資料にも「青線」と書かれているので青なんでしょうが…

現地の『山形新聞』によると、昭和30年末当時の天童の特飲店で働く女性の数は43人。山形の青線は合計9ヶ所あったと当時の新聞には記されていますが、天童は4番目の規模。なんと赤線の山形市小姓町(49人)や酒田(48人)に匹敵しています。
また、昭和33年3月8日、売春防止法完全施行寸前の天童のデータは、特飲店13軒、接待婦40人。業者や女性の転業がだいぶ進んだ時の数字ですが、やはり赤線の山形や鶴岡、酒田を抜いています。天童が温泉観光などで大いに栄えていたことが、こういう数字からもわかります。人が集まるところ酒あり女ありですから…。

毎度おなじみ『全国女性街ガイド』には、天童はこう記述されています。

『全国女性街ガイド』より芸者が6名で花代350円、(中略)酌婦が27名でお酌200円。泊まり1350円。

しかし、作者の渡辺寛はこう締めくくっています。
「酌婦を買わずに名産の将棋の駒を買った方が賢明」
よほどひどい目に遭ったのでしょう(笑

 

では、天童の「青」はどこにあったのか。

 

天童飲み屋街

天童の温泉街には、現在でも飲み屋街があります。私の訪問時、新型コロナウィルスの影響で「県外以外の人お断り」「常連さん以外お断り」と全くウェルカムされていない感のアフターバーナー。観光客目当てなのにそれはないやろと言いたいのですが、その観光客もコロナで来ないご様子…

それはさておき、戦後は人の流れが羽州街道から温泉に移り、歓楽街もそちらに移って青線化したと推測できます。『全国女性街ガイド』には「天童駅からバス3分」と書かれており、時間的にもここあたりが一致するかなと推測できます。

天童こすぷれ本舗

現在でも、飲み屋ばかりかと思えばこんなものも(笑
「生」って何?「本格的」とはどのように本格的なんだろうか…昼じゃなかったら…県外の人お断りじゃなかったら…ちょっと入ってみようかな…こ、これは遊里史の調査なんだからね!別にコスプレに興味があるわけじゃないんだからね!
それはさておき、ここあたり、このとおり飲み屋街に紛れて風俗店も点在しており、新日本DEEP案内さんによると天童の客引きは強引でうざいと巷では有名なんだとか。私の訪問時はコロナで休業中なのか商売あがったりなのか、客引きすらおらず静かなものでしたが、いたらいたで、ははんここが青線やったんやなとレッテルを貼ってやったのに。

天童の青線の正確な場所は、警察史にも新聞にも明らかではなくわかりません。が、風俗店があるところを見ると、ここあることは容易に想像できます。そう、やはり「血は争えぬ」のです。

以上、将棋の町天童にあった遊里の話でした。

山形県の遊郭は他にもあります。こちらもどうぞ!

 


・『天童市史』
・『天童の歴史 ふるさとの新しい歴史を求めて』天童の歴史を語る会/編
・『ふるさと三日町のあゆみ』天童市三日町青壮年会/編
・『天童の生い立ち』天童町史編纂委員会/編
・『大天童町の歴史と傳説』天童ペンクラブ
・『山形県史』
・『山形県警察史』
・『山形新聞 縮約版 昭和30年~33年』
・『全国遊廓案内』
・『全国女性街ガイド』
・その他天童市立図書館の郷土資料

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