港新地(大阪市港区)|おいらんだ国酔夢譚|

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現在の港新地を歩く

消滅して60年以上の月日が経った現在、港新地はどうなっているのでしょうか。

大阪市港区夕凪、新地があった場所の現在の住所です。旧住所は東田中町となります。中央大通り近く、こんなとこに赤線あったの?となりますが、確かにあったのです。

地下鉄中央線朝潮橋駅

現役時代に遊里に向かう客を運んだ市電は今はなく、現在の最寄り駅は地下鉄中央線朝潮橋駅となります。なお、市バス(大阪シティバス)だとなんば駅や大阪駅から天保山行きのバスで「三先」下車となります。

大阪市港区夕凪
大阪市港区夕凪港新地

大阪の築港と言えば、海遊館や天保山、赤煉瓦などデートスポットや家族でレジャーなスポットとして外国人観光客にも人気の地域ですが、ここあたりは大阪の下町の一つとしてのんびりとした空気が流れている地域です。

大阪市港区夕凪港新地跡1

大阪市港区夕凪港新地跡3昭和31年(1956)の住宅地図によると、ここが港新地の大通りになっており、赤線時代には道の左右に「いかにも」という名前のお店が建ち並んでいました。

昭和31年当時の店名

・月梅 ・みやこ
・祇園 ・はるのや
・笹家 ・くまのや
・末広 ・松ノ家
・銀波 ・やなぎ
・竜宮 ・松竹
など
(当時の住宅地図より抜粋)

すべて書くとキリがないのですが、一区画だけの狭いエリアに店が凝縮された、赤線こと「特殊料理店」っぽい情景が、地図からも伺うことができます。

しかし、紅い灯が消えて60年の月日はそこが「そういう所」だった痕跡をほぼ消し去ってしまい、現在は閑静な住宅地になっています。

大阪港新地

約10年前に一度同じ道を探索したことがあります。当時はこういう赤線時代の外観をよく残す建物も何軒か残っていたのですが、これも2020年に歩いた時は見つからなかったので、10年の間に解体されてしまったようです。

そんな中、一軒だけそれらしき建物が残っていました。

大阪赤線港新地元小松

建物の個性的な外観といい玄関の門構えといい、間違いないでしょう。住宅地図と照合しても間違いはないと思われます。こちらは元「小松」という店だったようです。

大阪港新地晴美

こちらは「晴美」という屋号だった店。転業後は待合だったそうですが、とてもそうには見えないような気がします。

大阪市港区港新地赤線

今は本当に静かな下町の風情を残す住宅街なのですが、ここもかつては店が軒を連ねていました。日が暮れると甘く紅い声が道の両側から聞こえていたとは、写真はおろか実際に歩いても想像すらできません。60年の月日はここが色街であったことを洗い流すには十分だったのでしょう。

大阪市港区新地薬局
(写真は10年前撮影)
10年前、ここ界隈に「新地薬局」という、名前そのままの薬局が存在していました。10年前でもシャッターが下りて久しい感じがして営業している雰囲気がなかったのですが、2020年に改めて来てみると、すでに存在すら確認できませんでした。

港新地の旅館

港新地を探索したブログ(といっても穴場中の穴場だったせいか数点だけだけど)でも、こんなところに旅館とは怪しい…とフラグを立てられている旅館です。
かなり立派なつくりでいかにも…という感じなのですが、結論を先に申せば港新地とは全く関係ありません。位置が新地から離れているし、赤線時代の住宅地図を見るとここには何も書かれていない…つまり空き地だったと。
かく言う私も、以前のブログでここを書いた時に「怪しい」と書いた一人。10年前の視点・経験ともに未熟だった時期とはいえ、ここにて強く別府荘の「潔白」を証明させていただきます。

おわりに

大阪築港にあった幻の赤線、港新地。紅い灯が消えた跡は色街の気配をすっかり消し去り、築港の下町と同化していました。60年の月日は短いようで長い、白粉や三味線の音色、女性たちの嬌声もすっかり時間によって洗い流され、マンションの下に埋もれています。
しかし、それで良いのかもしれません。それで良いのだ…港新地の声なき声は、雲一つない晴れの空の下に流れるそよ風が、そうささやいているように感じました。


 

・『港区史』(大阪市編)
・『大阪港史』(大阪市編)
・大阪市全住宅案内図帳 昭和31年
・大阪市全商工住宅案内図帳 昭和36年
・『大阪港のあゆみ』大阪市港湾局編
・国土地理院地図・空中写真閲覧サービス
・大阪市航空写真 昭和17年
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コメント

  1. ばあさん より:

    二階に赤い欄干のある建物。かつて住んでいました。
    現在は解体されているようですね。

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