奈良県大和郡山市の洞泉寺遊郭跡。贅を尽くした外観の元妓楼が当時の繁栄をしのばせていたのですが、先日、老朽化した元貸座敷の取り壊しが決定して訪問しました。
さて、すべて写真に撮ったしもう心残りはない…と思った矢先、Twitterのフォロワーさんからこんな情報が。
□参考記事(毎日新聞)
壊される4棟のうち、保存状態の良い元「山中楼」が2日だけ公開されるとのこと。大和郡山市に開館希望の陳情が多く、所有主のお寺さんとも相談したところ、公開を決断したとのこと。私も先週、町屋物語館(旧川本楼)で、
「壊す前に公開できないものですかね?市に言うといてくれまへんか?」
とスタッフさんに愚痴半分で言ったので、上の「陳情が多く」の中に私も入っているかもしれません。
それを聞いた私、えー先週行ったばかりやのにまた奈良まで行かんとあかんのかいな…電車代けっこうかかるんやで…と考える間もなく、
「行く!」
この絶好の機会、逃さざるべからず。この記事を知った翌日には、近鉄電車に揺られてまた郡山へ。まさか2週連続で近鉄京都駅に転がり込むとは思わなかった。
軽くおさらい-洞泉寺遊郭
かつて全国には数百ヶ所もの遊里(遊郭)が存在しました。理屈上は違法(でも黙認)の私娼窟も含めると、その数は神のみぞ知る。
洞泉寺遊郭は大和郡山にあった遊郭の一つで、木辻・東岡町と並び、奈良県の遊郭として昭和33年の売春防止法全面施行まで営業を続けました。
そして施行後は隣の遊郭と違って一軒残らず店を閉め、ふつうの住宅街になり現在に至っています。
洞泉寺遊郭の歴史の詳細は、下の記事をお読み下さい。
□洞泉寺遊郭をもっと知りたい方は!
大和郡山市にはもう一つ、東岡町という遊郭がありました。
なんで大和郡山に2ヶ所も遊郭があったの!?奈良市ですら1ヶ所だけなのに!?
とう疑問が浮かびますが、シンプルに考えれば、それだけ需要があったということです。娯楽らしい娯楽といえば映画くらいしかなかった時代のこと、それはさもありなん。
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