水戸の老舗花街、大工町・泉町
水戸市の中心部に、泉町・大工町という場所があります。
水戸の古くからの花街は、下市(南部)の竹隈町と上市(北部)の大工町が存在しており、明治初期の記録にはすでに存在するので、江戸時代からあった歓楽街だったのでしょう。
昔の地図を紐解くと、大工町といっても料理屋・置屋・待合がそろっていたいわゆる「三業地」は旧鳥見町に集まっていたようですが、この花街はなかなかに質が低く、裏で売春稼業をしていたことも市史に書かれています。
当時の花街は、一部を除けばほとんどが裏で売春行為を行っていたのが常。「不見転」または「転び」と呼ばれる芸が身に付かない三流芸者は、こぞって「身体」に走っていました。
それじゃあ遊郭と変わらんやないかい!とお思いでしょうが、実際にそうで、花街研究の第一人者の加藤政洋立命館大学教授も、遊郭と花街の区別はぶっちゃけあいまいと答えています1。
じゃあ、全員が全員、そういう行為をしていたのかというと、それも不正解。だから花街は場所によっては「準遊郭」とみなしてもいい所もあったはずです。
実際、和歌山の天王新地や大阪の今里新地は、「花街」という仮面をかぶった「事実上の遊郭」でしたし…いや、「現役」だから「です」か…。
大工町とある陸軍元帥

大工町にまつわる歴史上の人物に、陸軍の寺内寿一がいます。
最後には元帥にまでなったものの、親の七光りの悪い例としてよく名前が出たり2、昭和の陸軍幕僚たちのロボットにされ議会政治を強制終了させたり、軍人としての評価はあまり芳しくない人です。
文豪永井荷風と中学時代の同級生で、学内の風紀係を自認した生徒会長の寺内が荷風の長髪をバリカンで刈った話も残されています。
全く知られていないですが、海軍の井上成美大将の兄、井上達三中将が寺内の士官学校の同期です。
寺内は中佐時代の大正6年(1917)から1年間、第2聯隊付として水戸に赴任し、その時に派手に芸者遊びをしていたと、水戸の郷土史で伝えられています。
聯隊付につき特に決まった仕事はなかったと思われるので、重責を背負うこともなく気軽に飲みに行けたのでしょう。
戦争中の南方軍総司令官時代、愛人の赤坂芸者を司令部があるサイゴン(現ベトナムホーチミン市)まで「空輸」させた伝説を現代に残しているほどの男、水戸で芸者の一人や二人に入れ込んでいてもおかしくない。
戦後の大工町
戦後の大工町も、おそらく花街として続いていたと思われます。実際、昭和40年(1965)前後の地図を見てみると料亭や待合の文字がちらほら見受けられるのですが、特に現在の天王町には奈良屋町と同じように「酒」「旅館」の文字が…。
ここが戦後赤線・青線だったというデータは私の手元にはありません。『全国女性街ガイド』にも、泉町・大工町界隈は「花街」と書かれています。
が、住宅地図を見ているとこれはダウトどころかビンゴでしょ!と言わんばかりの「酒」の文字の紅白歌合戦。これは怪しい…
というわけで、私はその残滓を訪ねに町を徘徊してみることに。
泉町・大工町を歩く
町の南部・天王町はソープ街と化しています。
赤線廃止後、昭和40年代に入りここ界隈の特殊浴場の出店が認められ、私が訪問した時も朝からキラキラと看板が輝いていました。
大工町は、観梅で有名な偕楽園の近くに位置しています。

梅で名高い水戸の偕楽園。その近くにできたソープ街。だからここは「快楽園」。なんちゃって。

戦後の住宅地図で「いかにも」という区域に行ってみると、やはりというかまさかというか、ソープ街となっていました。血は争えないようです。

東京の吉原遊郭の妓楼を発祥とする風俗チェーン、「角海老」は水戸にも進出しています。

看板を見てみると、「人妻専門」「巨乳専門」「コスプレ専門」などお店によって趣向が細分化されており、それぞれのフェチに特化している感じです。
…って私は「現役」には興味ないので、気を取り直して界隈に残る色の跡を探すことにします。

かつての花街、泉町・大工町はこのとおり、静かなたたずまいになっています。
ここでかつて三味線や笛の音、男女の交わりの声なんてなかったかのように。

閉館した旅館っぽい建物。場所が場所で名前が名前なので、怪しいオーラを出しているような。
大工町・泉町には、こういう建物がチラホラ散見されます。

おそらく元料亭だったのでしょう。
廃屋になって久しく、木の根が家の壁にこびりついて浸食していました。あと10年もすれば草で壁が見えないようになるでしょう。

これは遊郭・赤線というより、昭和40年代チックな建物。
コンクリート打ちっぱなしの無機質さと、奥の「オープン丸窓」が、高度経済成長期の攻めたデザインに見えます。

上手く言語化できませんが、このコンクリ剥き出しの姿と丸窓が、なんか昭和40年代チックなんですよね。
大復活!クイーン・シャトー
この大工町には、とあるいわくつきの建物が存在します…いや、していました。なぜ過去形なのか、それはこれから。
昭和55年(1980)、大工町にあるソープランドがオープンしました。
その名は「クイーン・シャトー」
西洋のお城をイメージした外観、正面にでかでかと描かれたトランプのクイーンの絵。
地元では「トランプ城」と呼ばれていました。
もちろん、中も豪華賢覧だったそうで、各個室には様々な絵が飾られていたんだとか。
お城というより宮殿がコンセプトのソープランドだったのでしょう。

ジオンの精神が形になったようだ!
とはガンダム0083のアナベル・ガトーのセリフですが、クイーン・シャトーはバブル前の築なのにすでにバブルを体現しているような存在感でした。
が、ここは昭和62年(1987)につぶれてしまいます。世はバブル真っただ中のに、なぜ?
当時の8億円の建設費の利子が払えなくなったとも、120分10万円というなんだそのバブリーすぎるお値段設定はと、バブル時代でもドン引きする料金が仇となったとも言われています。

早速建物も解体…といきたいところですが、モノがモノだけに解体費も建設費と同じくらいかかってしまい、結局そのまま放置。
トランプ城は時の流れとともに廃墟と化し、廃墟マニアの絶好のエサとなってしまいました。
挙句の果てには「心霊スポット」という、オカルト界の冤罪のようなレッテルも貼られ、主を失って30年以上の月日が経ちました。
その間も、クイーン・シャトーは水戸の裏シンボルとしてその存在感を保ち続けました。
私も、奈良屋町でお腹いっぱいなのにわざわざ大工町まで足を運んだ理由は、その廃墟っぷりをこの目で見てみたかったから。
すでに解体されている可能性もなきにしもあらずですが、それはそれで仕方ない。形あるものいつか滅びるのだから。
そこで私が見たものは!!

な、なんですとぉ~~~!!
あの廃墟が、新しいお化粧をまとい「さら」(関西弁で「新品」)になっとるやないかい!
大まかな外観や窓の形は廃墟と同じなので、元の建物をリニューアルしたものに間違いない。
城の下を見てみると、目新しい幟に「マリンブルー」と書かれたバカでかい看板が。
どうやら元ソープランドが、新しいソープランドとしてリニューアルオープンしたようです。
なんと「マリンブルー」にはツイ垢があるのですが、それによると今年の5月にリニューアルオープンした模様。私の訪問時からまだ再オープン半年、だからピカピカだったのか。
栃木県宇都宮のソープ店「マリンブルー」の姉妹店として生き返ったクイーン・シャトー、廃墟のまま朽ちるよりも、こうして再利用される方が明らかに幸せな人生…ならぬ建生。
廃墟マニアと心霊スポットマニア(笑)には納得いかないでしょうが、個人的には良きかな。
夜の世界はお休みの午前中に行ったため、道行く人はまばらでほとんど人気がなかったものの(その時間帯を狙ったというのもあるけどw)、「お化け屋敷」がまさかの現役復活を遂げるほど賑わっていることと推定できます。夜のこの区域の姿も見てみたいというささやかな欲望が。
水戸のソープランドの華やかな看板を見るに、過去の色街の姿をしのぶ建物はほとんど残っていなかったものの、遊郭は形を変えつつも現代も息づいている…そう感じるに足りる大工町でした。
- 性欲の研究 東京のエロ地理編より
- 父親の寺内正毅は長州藩閥のボスで陸軍元帥。
コメント