「日本の歴代首相の中で誰がいちばん好きですか?」
と聞かれたら答えに詰まってしまうので、以下の条件をつけます。
「戦後の首相では」
吉田茂の、マッカーサーを煙に巻いたユーモアエピソードを。なお、彼らの関西弁はただのフィクションです。
■エピソード1
吉田「GHQって何の略なの?」
マッカーサー(以下「マ」)
「かしこくもGHQとはGeneral Headquartersの略であってどうだの…」吉田「へー、てっきりGo Home Quickly(さっさと(アメリカへ)帰りやがれ)かと思ってたよ」
マ「www」
■エピソード2
終戦直後の食糧難は想像以上に深刻で、このままだと日本人が数百万人餓死すると言われました。
そこで吉田はマッカーサーに450万トンの緊急食糧援助をお願いしたのですが、アメリカ政府や議会は「自業自得じゃ」と拒否。さらに、日本国内では「米よこせ」の数十万人のデモが東京を埋め尽くし内閣は総辞職、次の内閣(第一次吉田内閣)も流産の危機にありました。そこで吉田は…
吉田「餓死者が出てデモが暴動になったら、赤(共産主義)の革命が起きまっせ。そうなると、あんたの統治能力も問われますわな」
大の共産主義嫌いかつアメリカ本土の評価を気にするマッカーサーをくすぐり、食糧援助を引き寄せました。結局70万トンが緊急輸入されたものの、日本での餓死者はゼロ(※実際は数万人(推定)の餓死者が出たと言われる)。マッカーサーは吉田を呼びつけました。
マ「こら吉田!輸入量6分の1なのに餓死者ゼロってどういうこっちゃねん!統計おかしいやないかい!(怒」
吉田「そりゃ当たり前やん。日本の統計が正確なら我が国はあんたらと戦争なんかやってまへん。統計が合うてたら日本が圧勝しとるはずやし」
マ「wwwwww」
「神」に対してジョークで料理しております。 それにしても、吉田のジョークをちゃんと理解して爆笑で応えるマッカーサーも、相当の知性があるなと思います。
「ジョークを理解するにも知性が要る」というのが私の持論なのですが、ここで言う知性は頭の回転とではなく、頭の柔軟性、フレキシブルさです。ジョークは頭が柔らかくないと理解はできません。
もしマッカーサーがコチコチの石部金吉なら、こんなジョークは全く通用しないどころか、「何をこんな時にこんなジョーク言いやがって」と即首が飛んだことですやろな。もっと以前に、吉田自身が石部金吉に対する別のアプローチを試みていたことでしょう。
また、ダジャレも好きだったそうです。
■エピソード3
首相になったら、ご存知日本国憲法により「国会議員でないといけない」のが決まり。首相になってしまったので、仕方なしに議席を持つために選挙に打って出ました。
しかし、「有権者に頭は下げない」「演説はしない」とわがまま放題。
ある日、誰かに促されて街頭演説に立ちました。寒かったのかオーバーを着て演説したものの、それが傲慢に見えたのか、
大事な一票をもらうのに外套を着て挨拶する奴がいるか!
と野次が飛びました。
そこで吉田のとっさの切り返し。
黙って聞きなさい。外套を着てやるから街頭演説です
まあ、今ならただのおっさんギャグで片付けられそうですが、おっさんギャグで何が悪いんだ、ジョークがわからん石頭がいちばんバカヤロウだと吉田は答えるかもしれませんな。
ちなみに、この「有権者に頭を下げない」「演説はしない」とんでも(?)選挙戦の結果は、98,000票を獲得し、ぶっちぎりのトップ当選でした。
そのジョークぶりは、政界を引退した後も変わりませんでした。 引退後のインタビューにて。
■エピソード4
記者「お年をとってもしっかりしてらっしゃいますね」
吉田「元気そうなのは外見だけです。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの以外受け付けず、耳の方は都合の悪いことは一切聞こえません」
記者「(汗)で、健康の秘訣はおありですか?」
吉田「そうですね。いいものを食ってるからですね」
記者「何を食べてらっしゃるのですか?」
吉田「人を食っております」
吉田茂の自慢の一つは、イギリス人顔負けのきれいなクイーンズイングリッシュを話すことでした。孫の麻生副総理も、祖父のイメージは「白足袋」「葉巻」、そして「イギリス英語」だったと言っておりました。
その麻生氏が若い頃、アメリカに留学して帰国、英語ペラペラとなり意気揚々と祖父の吉田に報告に行ったのですが、あまりご機嫌がよろしくない。
なんで?と思っていると言い放ちました。
「おい、俺はお前にEnglishを習ってこいと言った。しかしなんだそのAmericanは。英語勉強しなおして来い!」
このジョーク、わかるでしょうか?
個人的に好きな、ザ・ベスト・オブ・吉田ジョークはこれです。
■エピソード5
フィリピンとの外交交渉の場で。
吉田「ご来日を待ちかねておりました。賠償の支払いは、その原因をつくった側にある、とお考えでしょうね」
フィリピン「その通り。話は早いですね。我が国は日本軍により大きな被害を受けましたので、それ相応の賠償金を請求いたします」
吉田「我が国は、貴国の海域で発生した台風により、太古の昔より多大な被害を被っております。つきましては我が国は貴国に対して台風による賠償を求める所存であります。具体的な金額については大蔵省で計算中ですので、終了次第提出いたします」
フィリピン「wwwww(そう来たか!)」
外交という、食うか食われるかの瀬戸際、しかも日本側圧倒的不利な立場でこんなジョークが言えるのは、頭だけではなく相当な肝っ玉、安岡正篤の言葉を借りれば「胆識」があるということ。
このエピソードは日本より海外で有名で、当時のある国のトップが 「こんな場面でこんなジョークを言えるとは、日本の首相はなかなか手ごわいぞ」 と手放しで絶賛したそうです。
ちなみに、これはあくまで外交でのジョーク。日本はフィリピンに、マニラ湾で大破着底した軍艦のお掃除代も含めて相当の賠償額を払っており、フィリピン政府も国民に周知徹底済みです。
しかし、今回の記事のお題はユーモアのことではありません。