インドとパキスタン
この二カ国の仲の悪さも、世界での知名度は非常に高めです。が、政府間は仲が悪いけれど国民どうしの仲は全然良好という、「仲悪い」の定石から少し外れたケースです。
インドとパキスタンは、人間関係で言えば「別れたカップル」のようなもの。元カレ元カノの関係です。元とは言え昔は一心同体のカップルだったので、心ではつながっているという感じでしょうかね。
この「元カップル」の険悪の原因、その半分は中国が絡んでいます。
インドと中国も、
・チベットのダライ・ラマ法王などを匿っている
・衛星国ブータンに中国がちょっかいを出し、領土を徐々に侵食している
・中国がスリランカを金で籠絡しインド洋に進出しようとしている
などの問題で対立しています。特に下の2つはここ直近の問題。インドやブータンが最近日本に近づいているのも、「敵の敵は味方」という対中国対策の一つです。
対してパキスタンは、残念ながら中国の属国同然です。
中パ関係も、中国にとっては対インド封じ込め対策の一貫。パキスタンも、インドの軍事的脅威は怖い。特に核を持っているのでこちらも核を。
そんな理由で、パキスタンは中国や北朝鮮という「悪魔」と契約し、軍事的バランスを保とうとしています。
つまり、核をエサに中国はインドとパキスタンの対立を狙い、あわよくば漁夫の利を得ようとしているわけです。春秋戦国時代や三国志を地でゆくような世界が、南アジアで展開しているのです。
インドもパキスタンも、そんな中国の思惑をわかっちゃいるのですが、もうどちらも核抜きでは軍事バランスを保てない。
そこで、どこか「差別化」を図ろうと、インドは日本や、日本を仲人にしてアメリカと手を結び、パキスタンは中国借金地獄にどっぷりハマってゆくというわけです。
タイとミャンマー
微笑みの国タイ。人はそう呼びます。そしてミャンマーも敬虔な仏教徒が多い国。
同じ仏教の国どうし、微笑みを浮かべていたら怒りや恨みは感じない…と思いきや、それが笑顔で済まされない事情が存在します。
タイとミャンマーは隣同士とはいえ、特に濃密に接したことなさそうと思いますが、それは「現代」でのこと。現代で隣同士なのに冷たい関係なのは、過去にそれだけのことがあったということです。
隣どうしの宿命で、タイとミャンマーは昔から領土争いでドンパチを繰り返していました。
仲が決定的になったのは、日本人の山田長政も活躍したタイのアユタヤ王朝が、約250年前(1766年)にビルマ王朝に滅ぼされた事件でした。
その時ミャンマーは仏像をことごとく壊し、敬虔な仏教徒のタイ人の怒りを買いました。
のちにタイの方がアユタヤを取り戻したものの、あまりの荒廃ぶりに立て直しを諦め、バンコクに都を移したという歴史的経緯があります。
タイのアユタヤ王朝の歴史については、以下のブログが詳しいのでご参照に。
ミャンマー人の方は忘れているようですが、タイ人は歴史の授業でも習うようで、タイ人のミャンマー人嫌いっぷりはハンパではないそうです。タイとミャンマーの国境に流れる、なんだかよくわからない冷た~~~い壁のような何かをバックパッカー時代に感じたことがあったのですが、なるほど、正体はこれだったか。
タイとカンボジア
また、タイはミャンマーの反対隣のカンボジアとも仲が悪い。
2003年に、タイの女優が
「アンコールワットはタイのもの」
「カンボジア人はアンコールワットをタイに返すべき」
などと発言。それに怒ったカンボジア人がタイ大使館を焼き討ちという事件が起こりました。
それに対しタイ政府は、
ほう、大使館焼き討ちとはいい根性だ。ならば戦争だ
と国境を封鎖。軍を国境に集結させ戦争寸前の事態にまで陥りました。
彼女の発言はメディアの捏造、「フェイクニュース」ということが途中で判明しました。しかしそれでも収まらなかったのは、そもそもタイ人とカンボジア人が仲悪く、下水道にたまったメタンガスに火が付いただけだと。
結局この騒動は、ASEAN各国が仲裁に入りカンボジア政府が土下座。かろうじて戦争までには至りませんでした。
ちなみに、カンボジアはタイと反対側の隣国、ベトナムとも仲が悪く、こちらの方はかなり有名。カンボジア人がベトナム人に抱いている感情は、ベトナムの属国になったりベトナム人に対する劣等感などの歴史的経緯もあり、どこか朝鮮人が日本人に持つ「反日感情」に似ています。
モンゴルと中国
地政学上では中国と仲良くせざるを得ないモンゴルですが、モンゴルの反中感情は我々の予想を超えています。日本人の「嫌韓」「嫌中」なんて、幼稚園児の「お前の母ちゃんでーべーそー」程度のかわいいもの。モンゴルの嫌中は、冗談抜きで生命に関わります。
中国とモンゴルの歴史的因縁は、モンゴル帝国(元王朝)の因縁もありますが、本格的に始まったのは19世紀のこと。
清王朝は皇帝こそ満洲族でしたが、事実上の「満洲族=モンゴル族連合帝国」。モンゴル人の要求もあって、モンゴルへの漢民族の進入は厳禁でした。漢族も広大なゴビ砂漠を越える気もなく、外モンゴルは「国の中の国」の真空パック状態でした。
が、18世紀後半から19世紀くらいにその縛りも緩み、中国人商人がゴビ砂漠を越えロシアとの交易のためにモンゴルを中継地点にしたのが始まりです。
19世紀の清の時代、モンゴルに渡った中国人はモンゴルの真ん中に「買売城」(商売町)という名前の、交易中継基地を作ります。この「買売城」は町並みも完全に中国風の中華風城塞都市でした。
そこで中国人は「相当アコギなこと」をしたらしく、モンゴル人の中国人に対する怨みの根っこはここにあります。
そして20世紀、中国の清王朝が滅び中華民国へ、ロシアも革命でソ連となり、モンゴルはどちらかへの側に付くことを余儀なくされます。
モンゴルは「人民共和国」として、世界で二番目の社会主義国となりましたが、これは別に社会主義が好きだとかソ連が好きというわけではありません。
中国に従うかロシアに従うかの究極の二択を迫られたモンゴルは、
中国と一緒なんて絶対絶対絶~~対ごめんだ!
という消極法で「ソ連」「社会主義」を選んだだけ。事実、ソ連の社会主義がどん詰まりになると、世界で最も早く社会主義を捨てた国の一つになりました。モンゴルの手のひら返しは脱兎のごとく激速でしたが、社会主義もよっぽど嫌だったのでしょう。
社会主義国となったモンゴルがまず何をしたか。中国風の建物が並んでいた「買売城」を、チベット寺院一つだけ残してすべて更地に。そこに新たにロシア風の建物を建てイチ、いやゼロから街を作り直しました。それが今のモンゴルの首都ウランバートルです。
中国色を跡形もなく消す…それだけでもモンゴル人の中国人に対する感情を垣間見ることができます。
ところで、外務省が出している海外安全情報の「モンゴル」で、こんなことが書かれています。
外務省もやっと「比較的ストレート」に書き出したかと。10年前は奥歯に物がはさまったような、「察しろ」的文言。読んでいる方も不明瞭な文章でした。
「歴史的背景」とは、私が上に書いた19世紀以降の事情のこと。実際はもっとドロドロしていますが。
この注意喚起、日本だけではありません。アメリカ国務省の安全情報にもこんなことが書かれています。
Nationalist groups sometimes mistake Asian-Americans for nationals of China, Japan, Korea, or Vietnam, other known targets of such groups. In general, Mongolians are not well disposed to ethnic Chinese.
抄訳「モンゴルの民族主義者は、アジア系アメリカ人を、中国、日本、韓国、ベトナムの国民と間違うことがあります。一般的に、モンゴル人は中国人に対してあまり好意的ではありません」
米国国務省HPー国別安全情報(モンゴル)
比較的ストレートに書いていますが、「間違う」とどうなるのか。
私本人、モンゴルでえらい目に遭いました。というか、「街頭で日本人が中国人と間違えられ,モンゴル人に殴られる事件」の被害者の一人でもあります。「殴られただけ」で済んだだけラッキーかも…。
モンゴル人は、さすがは騎馬民族か、男女問わずめちゃくちゃ気性が荒い。デフォルトが朝○龍クラス、白○や旭●鵬なんかもう聖人君子レベルです(笑
「嫌中」にしても、ヨーロッパなどでは「Are you Chinese?(中国人か?)」とワンクッション置いてきます。我々は、胸を張って”No, Japanese”と言えばそれで問題なし。ヨーロッパで1日多いときには何十件ペースで聞かれ、相当うざかったでしたが、”Japanese”と答えておけばなんのこともない。危害を加えられたり罵声を浴びたことは、一度たりともなかったです。
ところが、モンゴル人はそんなの聞いてきません。いきなり無言で集団襲撃。さすがは遊牧民族。これで「てつはう」でも放たれたら、鎌倉時代の元寇じゃないかと(笑
モンゴル人の中国嫌いはいかほどかというと。
まずは、不文律だそうですが公の場での漢字禁止(国境は除く)。「漢字=中国語」というイメージがあるため、漢字を見ると強い拒絶反応を起こすのだとか。
今だから言えますが、私が仕事でモンゴルに着き、日本大使館とJICA駐在員に言われた第一声が、
モンゴルで中国語は絶対にしゃべらないで下さい!
モンゴルの嫌中話を聞き、意識してウランバートルの街を歩いていると、確かに中国語の文字が全くない。中華料理屋はあるにはあるのですが、よ~~く見ると英語でごくごく小さく“Chinese restaurant”と書かれていたり、店に入ってメニューを見せられ、そこで初めて中華料理屋だと気づくほど。
こんな話も現地で聞きました。
ウランバートルの中国大使館近くの道が凸凹で大使館が修繕してくれとお願いしたのですが、モンゴル政府はお金ないとつっけんどんな対応。結局、中国が自腹で修繕したそうですが、そこで
「この道は中国政府がお金を出して修繕しました」
と書かれた幟かプラカードを、モンゴル語と中国語で掲示したそうです。
それを見たウランバートル市民は激怒。
道の真ん中に肥溜め置くんじゃねーよ!!
くらいの生理的嫌悪感を感じたそうで、結局壊されたそうです。
極めつけはこれ↓
JICAが作った「モンゴル日本センター」です。
私がここを訪れた時、たまたま日本語検定の受験受付初日でした。センター内は日本語勉強中のモンゴル人全員集合のような雰囲気。こんなに(日本語)勉強している人がいたのか!とビックリしました。
しかし、「日本」って漢字やん…同行人のモンゴル人通訳さんをちょいと煽ってみました。
これ漢字ですよ?漢字はそもそも中国語ですよ?ダメですよね?(^皿^)
これ”日本(語)”だからおk d(^^)
以上、非常にわかりやすい返答でした。
モンゴルに行くことがあれば、
「Би Япон хүн(ビーヤポンフン)」
「私は日本人です」というモンゴル語を覚えておいた方が良いかと思います、護身符として。
ウランバートルのデパートでこんなことがありました。
(スマホを渡されてガン飛ばしながら)写真撮ってくれない?(真顔
あ、あいよ…(その顔怖いよ…
写真を撮りスマホを返してあげると、
(ガン飛ばしながら)カムサハムニダ…
お、お礼にそのガン飛ばしはないやろ…(汗
朝○龍の結びの一番の時間いっぱいの時を彷彿とさせるガン飛ばしに驚きつつ、てめー俺のこと韓国人と思いやがって無礼千万、この不埒者!とすかさず返しました。
ビーヤポンフン!!
I’m a Japanese!
するとそのモンゴル人、どうなったか!
😊😊😊😊😊😊
180度、いや、一周回ってさらに180度まわったかのような態度の変わりよう。「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」と本人がおそらく知ってるだろう日本語のすべてを使い、満面の笑みを浮かべていました。コラコラ、さっきの朝○龍の結びの一番の時間いっぱいの時のようなガン飛ばしは、一体なんやったんや(笑
終わりに
他を挙げれば、「その2」が作れるほどのネタの多さです。何せ国際社会、お隣さんは基本的にみんな仲が悪いから(笑
日本のマスコミは「隣と仲良くできない日本が悪い」的な報道をしますが、世界の隣国はみな仲が悪いを知っている人にとっては噴飯ものの幻想。日本と韓国の仲の悪さなど、世界と比べたら『トムとジェリー』程度です。
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コメント
面白くて役に立ちました。南米編も期待します。チリとアルゼンチン等々。
ドイツとイギリスもひどいよね。荷物が送れないほど。
大変勉強になりました。
隣国間はできる限り仲良くあるべきだと思いつつ、なかなか難しい、、、と悶々としていましたが、国レベルの話で自分がどうこうできるわけもなく、身近な人達に対して国籍民族性別関係なく親切にすれば良いのかなと、割り切って考えたいと思いました。
貴重な経験談交えたお話。ありがとうございました!
時間を忘れるほど楽しんで学ばせてもらいました。
第2弾も期待しております。
全部読んで結果的に日本のマスコミの質の低さって深刻だなと思いました…。
日本人って良くも悪くも国際関係興味ないですよねぇ。