【大阪の戦争遺跡】福島区野田の機銃掃射の痕

大阪市福島区野田2丁目にある機銃掃射の弾痕 戦争遺構をゆく

大阪市福島区野田。
のどかな住宅地が並ぶ隠れた大阪の下町の一つです。
ここはまた、先の戦争の空襲の被害を受けなかった、大阪市の中でも珍しい地区の一つでもあります。

その理由の一つに、「野田に高射砲があったから」伝説があります。

現在の阪神野田駅の前に、民家を強制疎開させて空いたスペースに、高射砲を設置したとのこと。
その高射砲が、当時としては最高性能のもので、実際にP51などを撃墜していたことがあるのだとか。

昭和17年(1942)の阪神野田駅周辺航空写真。駅前に強制疎開の空地がある

戦中の昭和17年(1942)の航空写真を見ると、確かに野田駅前に意味深な広場がありますが、高射砲は設置されていません。

1948年阪神野田駅付近航空写真

戦後の昭和23年(1948)の航空写真を見ると、その広場に何かがあった跡が確認できます。おそらくこれが高射砲の跡だったのでしょう。

高射砲については、戦争遺構ブログの先駆である「大日本者神国也」さまのブログに興味深い記述があります。

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野田地区に残る機銃掃射の痕

その阪神野田駅からJR野田駅を過ぎ、南下した野田2丁目。
ここも戦災を逃れた地域の一つで、昭和23年の航空写真を見ても町並みが無傷で残っています。

大阪市福島区野田2丁目あたりの戦前からの古い民家
大阪市福島区野田2丁目あたりの戦前からの古い民家

それだけに、戦前からの生き残りの建物が数多く残っており、散歩しながら建物観察しているとなかなかに面白い地区でもあります。

2丁目のピンポイント、8番地に戦争の痕が残されています。

大阪市福島区野田2丁目の民家に残る機銃掃射の弾痕

これはかなり多めに残っています。2階部分にも弾痕が少々残っております。

大阪市福島区野田2丁目のはり円加藤の機銃掃射の弾痕

この家のT字路の終点、関西弁でいう「どんつき」に「はり円加藤」という看板を掲げた家があります。
立派なうだつ・・・がある家で、これは「うだつが上がらない」なんて言わせない。
2階部分のうだつが気になるところですが…

大阪市福島区野田2丁目のはり円加藤の機銃掃射の弾痕

1階部分にところどころに弾痕が残っています。
といっても、これが弾痕の大きさから直接弾ではなく、機銃が地面に当たって散らばった破片が当たったものか、爆弾が爆発した際の破片でしょう。

個人的には、弾痕より「はり円加藤」が何の商売をやっているのかが気になりました。
鍼灸院なのか、それとも鍼灸で使う鍼を扱うお店か卸なのか。近所の方教えて。

以前は、この2つの家の対面にあった家にも弾痕がのこされていたのですが、2025年9月現在、建物は現存しておりません。
Googleマップのストリートビューを見ると、2018年までは残っていたのですが、2019年にお亡くなりになったようです。

野田2丁目の梶川商店の機銃掃射弾痕、でもこの建物は現存しない
Googleマップのストリートビューより

ストリートビューでもはっきり確認できる、この弾痕の生々しさよ。

もっと探してみると…

以上、これは「梅田の北っかわ」様のブログよりのカンニングです。
さすがは野田を知り尽くしたマスターノーダ、こんなところの戦争遺構はチョー穴場でした。

しかし!ここで終わる私ではありません。

筆者
筆者

ここにあるんやから、他の場所にもあるはずや

鷺洲の時と同じ勘がはたらきました。

大阪市福島区野田2丁目の民家に残る機銃掃射の弾痕

他の民家に見つけた、おそらく弾痕を埋めた跡が確認できます。

大阪市福島区野田2丁目の民家に残る機銃掃射の弾痕

こちらの判定はけっこうビミョーなのですが、ひとまずそういうことにしておきます。

大阪市福島区野田2丁目の民家に残る機銃掃射の弾痕

ある古民家。ガラスの割れ方がいかにも「弾丸が貫通したような感じ」ですが、石かもしれないし、空気銃かもしれないし、そもそもそんなの80年もほっとくか!?という疑念が消えないので、参考記録としておきます。

そして最後は…

大阪市福島区野田2丁目の民家に残る機銃掃射の弾痕

これは間違いないかな!?と思います。

これでマスターノーダを超えたか!?
調査日が真夏につきHPが1になり途中退散しましたが、探せばもしかしてまだあるかもしれません!?

おまけ

ここ界隈を徘徊していると、あるものを見つけました。

福島区野田二丁目はかつては大野町だった

現在は野田2丁目となっている区域、かつては大野町と呼ばれていたようです。
現在も残る、旧町名の標識です。
なお、そこに書かれている「大福信用金庫」は福島区の密着型の信用金庫で、2013年まで存在していました。

今の福島区野田は大野町という町名だった
『大大阪観光地図』1936年より

戦前の地図を見ても、私が徘徊した範囲は「大野町」だったようです。
「大野町→野田」になったは昭和50年(1975)からのことで、福島区ではこの年に大シャッフルとも言える町名改正を行い、現在に至っています。

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