現在、大阪には関西国際空港(関空)、大阪国際空港(伊丹空港)、八尾空港の3つが存在しています。
現在はそれぞれの空港で仲良く(?)棲み分けが出来ていますが、かつて戦前の大阪で熾烈な空港誘致競争があったのをご存知でしょうか。それも、市や府、お隣兵庫県も絡んだ仁義無用のバトルを。今日はそんな熱い熱い空港の歴史を。
元祖大阪空港、木津川飛行場
先日の大浜水上飛行場の記事のとおり、大阪初の空港は堺の大浜でしたが、所詮は水上飛行場、キャパシティ的には大したものではなく、将来性も低い。
当然、もっと本格的な「空港」をつくろうという話になるのは当然の流れ。そんな流れの中で作られたのが木津川飛行場でした。
木津川飛行場は、 日本の航空事業が急速に発展していくさなかの昭和4年(1929)に運用が開始されました。
(昭和11年発行『大阪觀光地圖』)
場所は現在の住之江区の木津川の河口付近、新木津川大橋の西側に作られました。
ここから東京や四国・九州など国内線の飛行機が飛んでいたことは、工場ばかりの現在の光景からは想像できません。というか、飛行場があった時から工場だらけじゃないかと。
大浜飛行場は滑走路のない水上飛行場でしたが、滑走路を備えた木津川空港は「初代大阪空港」として、絶頂期の昭和13年には年間離発着回数約8800回、旅客数約10000人と国内トップでした。
大阪市内に華々しくオープンした木津川空港ですが、航空産業の発展が予想以上に速く、すぐにキャパシティ不足に陥ってしまいます。
しかも、空港の近くの工場から出る煙霧で視界が悪くなり、それが原因による墜落事故も起こる始末。こんなにデメリットが多かったら、そんなとこに空港作らなかったらいいのにね。航空業界がまだ試行錯誤の頃ならではかもしれません。
その中で何より痛かったのが、大型機を使用する国際線が手狭さゆえに離着陸できず、大阪をスルーしたこと。工場の中に滑走路を作ったような飛行場にこれ以上の拡張性はのぞめず(なんでそんな所に作ったんや)、開港2年にして新空港の計画が持ち上がります。
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