女郎買道(愛知県岡崎市)ー日本のヘンな地名をゆく

愛知県岡崎市山綱町女郎買道歴史探偵千夜一夜
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「女郎買道」へ行ってみた

女郎買道の場所

女郎買道の場所は、上述のとおり東海道の赤坂宿と藤川宿の間に位置し、三河の海沿いの町々から東海道を結ぶ西郡道にしごおりみち沿いにあります。
東海道の宿場町は慶長6年(1601)に整備され、赤坂・藤川宿もこの時整備されましたが、それ以前は緑丸の位置に「山中宿」という宿場があったとされます。その山中宿は、江戸幕府や当時ここあたりを治めていた岡崎城主田中吉政による宿場町の整備で要らない子とされ、人も藤川宿へ移動となり廃止されました。その時、廃止された旧山中宿は「元の宿場町」として元宿となり、現在は「本宿」となり鉄道の駅も設置されています。

資料には、「女郎買道」の由来の一つとして、

「海辺の人が藤川宿の女郎を買いに通った道だから」

「おかざき東海風土記」

という記述があります。「海辺」とは現在の蒲郡あたりですが、それをわざわざ峠を越えて女遊びをしに行ったというもの。実際の藤川宿は大きな規模ではなく、宿場の経営は厳しく女郎屋は規模・数ともに隣の赤坂・御油の方がはるかに大きい。特に御油宿の「留女」は江戸にまでその名が知れ渡っており、御油・赤坂宿は近代史の視点から見れば宿駅全体が私娼窟。有名な『東海道中膝栗毛』でも、弥次喜多の弥次さんが道の両脇に立つ留女に袖を引っ張られ、御油を抜けるだけでクタクタになったという描写があります。

赤坂〜藤川宿はちょっとした山道になっており、急な坂はないものの、ゆる〜〜いアップダウンが続く東海道の難所の一つ。箱根や鈴鹿越えに比べたら楽勝の部類ですが、実際に歩くとかなりHPを削られる感があります。
現在の東海道本線が旧街道を避けて走っているのも、これが理由の一つ。

三河地区の東海道本線って、なんで東海道沿いを走ってないの?

どころか、豊橋〜岡崎間は明らかに旧街道を避けたな…ということが、実際に歩くとわかるのですが、その経緯を調べるとこれがなかなか面白い。時間があれば「講談風」にして書いていきたいと思います。

名電山中駅。女郎買道への最寄り駅

「女郎買道」への最寄駅は本宿ではなく、名電山中駅の方となります。
ここから「女郎買道」まで歩こうという変人、もとい物好きは、旧東海道(国道一号線)との交差点にコンビニがあるので、そこで必ず水分を買っておきましょう。ここから先、コンビニはおろか自動販売機すらありません。実際に歩いた感触では、真夏だと熱中症で即身仏不可避なので飲み物は必ず買おう。お兄さんとの約束だ。

目的地までの道は、延々とこんな道が続きます。人家はそこそこあるものの、ちょっとしたハイキング気分。
どこにでもある田舎道ですが、やはり三河地方を南北に連なる古街道か、写真ののどかな風景に反して交通量は案外多い。私の訪問時は、GWだったせいかバイクを何台も連ねたツーリング組も多く、海と山を結ぶ街道として現在も色あせていないようです。

この道中、私の中で天使と悪魔が常に戦っていました。天候も半袖だと少し寒かったほどの天候だったので真夏の苦行よりは全然マシでしたが、

筆者
筆者

はぁ、行くの面倒くさいな…

なんて思っていると、

天使
天使

行けば何かわかるかもしれないのです。行けば誰にも書けない記事が書ける、それがブロガー魂です!

悪魔
悪魔

面倒臭かったらやめようぜ!時間とHPの無駄やって!

歩いている間、天使と悪魔が常に戦っていたような感じでした。

岡崎市山綱町女郎買道

天使vs悪魔の対決が続くこと約30分。ここあたりやなとスマホを見ると、「女郎買道」の入口へ。隣町との境界線には川が流れており、写真の橋がその境界線になっています。
橋の手前には人家が点在しているのですが、橋の向こうには何もなさそう…しかし、ここで何もないかと引き揚げたら、ここまで来た時間と労力が無駄になる。私はこの先、「女郎買道」への世界への旅立ちを決意しました。

女郎買道

「女郎買道」はどんな所なのか!
百聞は一見にしかず、こんな所です(笑
一本道の片方は木々が生い茂る山、もう片方は田んぼが広がる緑一色、他には、今は使われてそうにない倉庫が何棟かある、ただそれだけのところです。橋の向こうには、人家が一軒ある以外は人の気配がしません。
資料には「昔、このあたりに女郎が住んでいた」と書かれていますが、いやいやこんな所に女郎どころか、人すら住んでた気配もないでしょうに。

念のために、戦後すぐの航空写真で「女郎買道」を上から確認してみても、人家は全くなし。むしろ現在と風景変わってへんやんという感想しか抱けません。

しかし、目的地到着と地べたに座り、川のせせらぎを聞きながらこうも思いました。
過去の「西郡道」が、数々の旅人が行き交う街道の時には、東海道の宿駅ほどではないものの、休憩のお茶屋や旅人宿くらいはちらほらあったかもしれない…いや、なかったはずがない。
もし「女郎買道」にそういうお茶屋があったら…確かにきれいな水が流れている(夏にはホタルもいるらしい)ところなので、お茶屋くらいはあったかもしれない。
そして、そこの女中が「副業」で…ということはあり得るんじゃないかと。だから「ここに昔、女郎が住んでいた」という言い伝えも、荒唐無稽と片付けるのも惜しい。
今でこそ人気すらない場所だけど、過去にはここに昭和の時代でいうドライブインか、道の駅のような施設があったのかもしれません。

それを間接的に示すものがこれ。

女郎買道の場所

国土地理院地図の新兵器「色別標高図」を見てみると、東海道からはハイキング気分だった西郡道、女郎買道から先は本格的な山道となります。歩きの旅人は峠越えを前にした休憩、峠を越えてきた者は山越えから解放され一息つける場所としては、ここ、「サービスエリア」を作るには立地条件的に悪くないなと。

さらに、女郎買道のすぐ峠側の地名は「恋ノ口」。女郎買道には一軒の家を除けば人気が全くなかったのですが、恋ノ口に入ると木材加工工場などがあり、人の気配が若干復活します。
「恋」…女郎のようなストレートではないものの、これも何やら意味深な地名な気がしないわけではない…。

17世紀の地誌より

西暦1636年にあたる寛永13年の書物には出てこなかった「恋ノ口」の地名ですが、その約50年後の貞享三年(1686)には①の「ちゃろうかいと」と共に、「こいノ口」②が出現していることが、資料からわかります。

もう一度、「女郎買道」という地名の由来を整理します。

①海辺の人が藤川宿の女郎を買いに通った道

②昔、このあたりに女郎が住んでいた(女郎屋があった?)

③昔、この道は女の旅人が本海道を避けて通った道だから

現地に来る前の推測は、

筆者
筆者

常識的に考えて①やろ。今でも何もないのに、②なんてあり得へんわいww

しかし、実際に現地に来た後で多角的にここを解剖してみると、②説が私の中で急上昇しています。皆さんはどう推察されるでしょうか。

女郎買道への道中、ずっと天使と悪魔がケンカをしていました。が、ここまで考察できたところで今回は、いや、今回も天使の勝ちとなったところで大団円。意外に歴史が古かった珍地名の話は、これにて終わりと致します。

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